日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

秋といえば味・本・眠・球・空の話

 

<干物では秋刀魚(さんま)は鰺(あじ)にかなわない>。
古今亭志ん生さんの川柳だという。
味の好みは人それぞれで異なるだろうが、なるほどと納得。

干物はアジであっても、塩焼きではサンマが魚の王様といえそうだ。
長雨が秋を早く運び、日の暮れが日に日に早くなるように感ずる。
頭と尾が皿からはみ出しそうなサンマを、柚子と大根おろしでいただく。
すでに、その味が恋しい季節に入っている。

イワシは昔の符丁で“むらさき”といわれるらしい。味がアユ(アイ=藍)よりも濃いからだと。今年(2015年)7月に解禁されたサンマ漁で、初日の水揚げ量は過去最少を記録した。
サンマ漁だというのに、水揚げでサンマはイワシにかなわない。イワシの相場はサンマよりも安く、漁をする人の青ざめた顔色も濃くなりそうである。

 

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英語の授業中、“New York”という地名の意味を先生に質問したら、<地名に意味があるか!>と怒鳴られた。帰り道に市立図書館へ立ち寄り、司書の人に必要な本を出してもらって読むと、英国軍の占領に伴い、英ヨーク公の名を冠したことがわかった。
司馬遼太郎さんの『随想集風塵抄』に、そのような中学1年の思い出が記されている。

司馬さんの“図書館好き”はこの時から始まった。もし、親切な司書さんがいなければ、国民的な歴史小説家は誕生しなかったかもしれない。

本の収集や整理に加え、図書館を訪れた人への読書案内もする。司書は「本のソムリエ」とも言える存在だろう。ちょうど今は読書の秋である。

 

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<あくびをするとき ネコのかおは花のようになります>。
まど・みちおさんの『ネコ』という詩の一節であるが、ネコ好きにはたまらないフレーズではないだろうか。

小さな口を開け、目鼻がグシャッとなるネコのあくびは、バラかダリアに見えてくる。
何事かをやりきった人の、さわやかなあくびも同様で、錦織圭さんが会見で時折みせるあくびも愛嬌がある。

質問される間も、睡魔を呼び込むのか、それが出てきて目をぱちぱちさせる。
その表情はどこかで見たような、懐かしさがある。

毎日早起きしてお弁当を作るお母さん。残業?でくたくたになって帰るお父さん。
受験時代、落ちるまぶたをこすりこすりした思い出もよみがえる。

秋の夜長、眠るも気持ち良し、起きていてもやることは尽きない。
翌日の学校や職場で出るあくびにも、秋の清すがしさが宿ることであろう。

 

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一昨年77歳で亡くなった土橋正幸さんは、プロ野球東映フライヤーズ(現・日ハム)で162勝をあげた名投手だ。テンポの速い投球は小気味よかった。

東京・浅草に生まれ、高校卒業後、実家の魚屋で働きながら、演芸場「フランス座」のチームに所属した。なんとその当時、照明係などをしていた井上ひさしさんと、バッテリーを組むこともあったという。

のちに数々の戯曲や小説を執筆する作家の手に、どのような“剛球”の感触が残っていたのだろうか。そんな数奇な出会いが起こるのも、軟式野球という庶民のスポーツゆえらしい。

通称“軟球”と呼ばれるゴム製のボールは大正期の日本の“発明品”。当たってもケガは少ないし、人に優しい競技である。この秋も、どこかの河川敷で元気に走り回る野球好きは多いと思われる。

 

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宮崎アニメでおなじみの宮崎駿(はやお)監督が、『風立ちぬ』を最後に長編アニメを引退して2年が過ぎた。引退作品もそうであったが、『風の谷のナウシカ』、『魔女の宅急便』など、誰しも忘れがたいのは空を飛ぶ場面である。私の中では、宮崎アニメのどの空も澄み渡った秋空に感じてしまう。

夜の闇の深さ、灯(ともしび)の胸にしみる温かさ。そして、青空の広さや悩みながら成長する人のいとおしさ。思い出す作品及びシーンは、人それぞれであろう。

すべての宮崎作品に流れる作者の心として、<世界は生きるに値する所で、美しいものが必ずある所だ>と。過去を振り返らざるとも、心の翼はいつでも持てる。そう教えてくれたのがあの空を飛ぶ場面であったかも知れない。

中島みゆきさんの『この空を飛べたら』や荒井由実さんの『ひこうき雲』がBGMになり、宮崎アニメの青空がどんどん広がるイメージが浮かんできそうだ。

 


※読売新聞・複数の過去コラム記事を参考にさせていただいております。