日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

家族が消えるという意味は?

 

前にも書いたが、私はストップウォッチをよく使う。とくに目的はないが、<1分間で自分の歩ける距離を知る>など、他愛のないことが楽しい。

1分を60秒にしたのは、紀元前3~1世紀のバビロニア(現イラク南部)人らしい。
60の倍数は2、3、4、5、6、10・・・と多い。使い勝手がよいからなのだという。1分は10秒の6つ分などと考えていれば、忙しいときも落ち着ける。

日本海の地震による津波が、最短1分で到達する市町村があるそうだ。
10秒あれば、人は意外に動けるとか。高い建物を探すのに10秒、急ぎ足で移動するのに10秒、階段を駆け上るのに10秒・・・と。

そのためには、自分の体力と要する時間を、ふだんから確認しておくのも悪くはない。
時間というもの、気の持ちようで長くも短くもなる。

 

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話は飛ぶが、“からだは借り物”という考え方に興味ある。そして、この世に生を受け、与えられた時間が寿命ということになる。

寿命にしても、長寿に恵まれた人だけが知る悲しみもあるという。身体を健康に保つだけではなく、強い心も必要となる。多くの親しい人を見送る悲しみにも耐えねばならないからだ。長寿に至る道だけではなく、至り得た長寿もまた、平坦な場所ではないようである。

超高齢社会は、“多死社会”でもあるようだ。現在、年間130万人近い人が亡くなり、2030年頃には160万人を超す、とあった。多くの人が死を意識し、延びた寿命を生きていくことになる。

 

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人生の終わりの迎え方を計画し、準備するということで、終活ブームが熱を帯びている。
終末期の医療や介護、葬儀、墓・・・などと、。関連業界による終活フェアは活況で、“入棺体験”のイベントが人気を集めているとか。暗所、及び閉所恐怖症の私には、信じられないことである。

1951年(昭和26年)、『山びこ学校』(無着成恭さん編)が世に出た。山形県の山深い村で中学生の書いた作文集なのである。
その巻末には、生徒たちの簡単な紹介文が載っている。“九人兄弟の末子”、“七人兄弟の次男”などとの具合に。少子化といわれる現代では夢のような記述といえる。

予備校「代々木ゼミナール」はマンモス予備校と呼ばれ、3000人の大運動会や1万人の入学式が新聞紙面をにぎわした。受験人口の増加を背景に、1980年から多校展開を開始し、多くの受験生を集客。生徒が殺到し、1990年代には全国展開した。

 

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少子化で受験人口が減少した今は、全国27校の約7割にあたる20校が閉鎖した。
<日日是(ひびこれ)決戦>という伝統の校訓はよく知られているが、代ゼミに限らず、
少子化と格闘する予備校共通の経営訓にすり替わっている。

1950年代、日本の世帯平均人数は5人だったという。夫婦に子供3人ということもあれば、祖父母との3世代による世帯構成もあっただろう。

それが、1970年代までにかけて世帯構成人数は急速に減少し、1961年には4人を切る形(子供2人の夫婦)となった。1970年代以降は、世帯人数の減少傾向がやや落ち着くも、1980年代後半以降は再び減少幅が大きくなり、1992年には3人を切る。2014年では2.49人なのだという。

 

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<子供のいない夫婦が多い>少子化傾向だけではなく、独り身の世帯である“単独世帯”が増加しているのも一因といえる。その分、世帯数そのものは徐々に増えている。このように世帯の分散化(少人数による世帯構成化)が進んでいる、という現状なのである。

国土交通省の試算によれば、単独世帯は今後も増加を続け、2050年には全世帯の4割を超えることになる。2005年の国勢調査時点では3割足らずであった。

<晩婚化に伴う若年一人身世帯>、<高齢化による高齢一人身世帯>の増加が目立つ。
後者は孤独死や買物困難者問題をはじめとした、各種の社会問題とも密接に影響し合う要素になるという。