小津さん伊兵衛さんへの憧憬
“ロー・ポジション(ロー・ポジ)”は“ロー・アングル”とはちがい、カメラの仰角を上げる(アオル)のではなく、カメラの位置を下げることである。
ロー・ポジ映画の名手といえば、小津安二郎さんがすぐに思い浮かぶ。静かで観やすい作品が多く、細かい演出を随所に感じる。役者さんたちに対する演出は、ハードボイルドというか、人物の感情が(顔の)表情にはほとんど表れない。
黒澤明監督の作品は、物語のテンポの良さとダイナミックな画面。顔のアップも多く、豪雨のシーンが有名。迫力のある時代劇や人間ドラマ、サスペンスを描いた。
張力ある黒澤監督の画面が鋭角とすれば、小津監督の画面はゆったりとした鈍角である。なにもかもが正反対のような感覚で、このふたりの巨匠は対比されることが多い。
小津作品は、カメラをほとんどアオらず、低い位置にすえて、ごくわずかにレンズを上にあげていた。カメラを大人の膝位置より低く固定し、50ミリの標準レンズで撮った。
小津さんの松竹作品の撮影監督であった厚田雄春(ゆうはる)さんは、照明も担当した。
『父ありき』(1942年)の笠智衆(りゅうちしゅう)さん臨終場面で、外のライティングを快晴にした。
<外が快晴だってことでかえって死んでゆく悲しみが出る>と考えたからだ。
後に小津さんが「あれはよかった」とほめたそうだ。
カメラを低い位置に置いて撮影する独特の技法は、小津安二郎作品の特徴といわれているが、撮影では厚田さんの尽力が大きかったはずだ。
「俺はねえ、人を見下げることは嫌いなんだよ。俯瞰(ふかん)ていうと見下げるじゃないか」。小津さんは雑談的にこんなことを語っていたという。
小津さんがロー・ポジでキャメラをのぞく後ろ姿は、まわりのスタッフからものすごく大きく見えたという。
監督がコップなどをセンチ単位で指示される位置に置いて、テーブルに鉛筆で印をつける。そして、「ロー・ポジなので見えないからね」と笑う。
撮影に対する姿勢は、いつも真摯で真剣。静かな現場には緊張感があふれた。
格調高く本物志向でもあり、ほんの少しだけ映る絵画も東山魁夷さん、橋本明治さんなどの本物を使用したという。
巨匠といわれた小津さんは、スタッフを怒鳴るようなことはなく大事にした。
いつも近くにいるスタッフからは、小津さんの<気分が乗らないことのわかる日>があったという。そんな日は、小道具が足りないと言ってスタッフに銀座へ借りに行かせたことも。(使いに行った)スタッフが戻ってくると午後になる。
「これから撮ってもしょうがない」と、撮影は中止になった。
相撲好きで、場所が始まると夕方ごろから何となくそわそわしていることもあったそうだ。
背景に映る石灯籠も本物だった。
『秋日和』では、石灯籠を、カメラを移動撮影する台車に乗せてレールの上を動かした。
とんかつを食べるシーンでは、行きつけの東京のとんかつ店から、神奈川県鎌倉市の松竹大船撮影所へ職人を呼んで揚げさせたこともあったという。
小津作品は、特別な事件が起きたりドラマがあるわけではなく、市井の生活がいつも淡々と描かれるだけなので、強烈な印象が残るということは少ない。それなのに、雰囲気に酔わされてしまうのである。
前面に演出を押し出す黒澤作品とは真逆であるが、小津さんはあの静謐さを描くための演出を当然されているはず。しかし、それを見せないし感じさせない。
同時代に生きた二人の写真家、木村伊兵衛さんと土門拳さんの関係も、小津さんと黒澤さんにたとえられることがよくある。
執拗に対象を追いつめ、カメラに収めようとする土門さんに対して、木村さんはことさらにテーマを強調するのではなく、演出のない自然な写真を撮る。
女優・高峰秀子さんの著書では、<いつも洒落ていて、お茶を飲み、話しながらいつの間にか撮り終えているのが木村伊兵衛さん>。
<人を被写体としてしか扱わず、ある撮影の時に京橋から新橋まで3往復もさせ、とことん突き詰めて撮るのだが、それでも何故か憎めない土門拳さん>と評されていた。
土門拳さんは深い被写界深度で、女性のシワやシミなどもはっきりと写し出すため、嫌われることが多かったのに対し、木村さんは浅い被写界深度でソフトに撮り、女性ポートレートの名手とうたわれたそうだ。
思えば、ものすごい人達が同時代に活躍されていたものである。
- 木村伊兵衛さん(1901年12月12日~1974年5月31日)。
- 小津安二郎さん(1903年12月12日~1963年12月12日)。
- 土門拳さん(1909年10月25日~1990年9月15日)。
- 黒澤明さん(1910年3月23日~1998年9月6日)。
参考:Wikipedia