日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

季語にならぬは「人の恋」である

 

おもしろい話を訊いた。
「猫の恋」は春の季語なのだが、「人の恋」には特定の季節はないという。

そのわりには、恋愛を軸としたテレビドラマが減っているような気がしてならない。
4月から始まった各連続ドラマも、終焉に向かいつつある。視聴率についても先が見え始めている。

かつての『半沢直樹』、『ドクターX』のように、必ず最後に悪を懲らしめ、ハッピーエンドで終わるドラマはスッキリ安心で、今も人気があるようだ。勧善懲悪で単純明快なものがヒットの要素だというのもよくわかる。

また、脚本家のワザで、会話が面白い作品なども大好きである。不自然な状況設定の中、役者さんの力量で視聴率を獲得しているドラマもある。

 

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今さらではないが、携帯電話の普及で男女の“すれ違い”が減り、恋愛ドラマが作りにくいという話はよく訊く。ジャンルは問わず、ドラマに枷(かせ)は欠かせない。恋愛ものではとくに“すれ違い”のハラハラドキドキで、視聴者が釘付けにされていた。

冬のソナタ』という有名な恋愛ドラマでは、すでに携帯電話が存在していたが、“すれ違い”はものすごく多かった。携帯電話があろうがなかろうが、偶然の連続や隠された過去、交通事故、記憶喪失、記憶の植え替えなどと、<枷が出るわ出るわ>のオンパレードであった。それくらいタフにいかないと、恋愛ドラマの成功はないのだろうか。

携帯電話がジャマだと、ヒロインを毎度毎度アンテナの届かない孤島に追いやるわけにもいかないだろう。北原保雄さん編著『辞書に載らない日本語』の中に“圏外孤独”という言葉がある。圏外ならばなんとかなる、との言い訳が、制作側で蔓延しているかもしれない。

 

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作家・山口瞳さんが勤めていた出版社に、律義な女子社員がいたという。
私用電話は必ず、外に出て公衆電話を使ったそうだ。
それを見て山口さんは思った。

<私用でも会社の電話を使っていい。席に戻るまでの五分なり十分がもったいないし、仕事のため遅くなるので、先に食事をすませてくれと自分の母に連絡するようなことは、私用ではない>と。もちろん携帯電話のない時代のことである。

<“時間売り”である労働で、その時の刻みに公私のけじめをつけ、いかに誠実に仕事へ向けるか>などと会社員の倫理感にまで話が発展しそうであるが、今の時代なら仕事場からスマホでメールやLINEにて連絡を入れるか、通話の必要があれば少し席をはずすだけのことであろう。

 

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“ボタンの掛け違い”、“同じ時刻を示したためしのないふたつの時計”、などといわれた石原慎太郎さんと橋下徹さんが袂を分かつことになったのは一年前の今頃だった。
日本維新の会(当時)で共同代表を務め、石原さんが分党するということになった。

男女ではないが、このおふたりも恋愛みたいな感情があったかもしれない。
合流してから、異なる方向を指し示したことは一度や二度ではなかった。そもそも二つの時計に無理がある以上、予想された結末ではあるがなぜか懐かしい。
この1年でおふたりの環境も随分変わった。

石原さん・橋下さん体制下を顧みると、政府・与党に見境もなく一から十まで反対するのではなく、事案ごとに対応する「責任野党」であろうとした。今にして思えば爽やかさを感じる。

<プロポーズあの日にかえってことわりたい>。サラリーマン川柳の秀作である。
時計の針を合わせておかないため、プロポーズがいつかは悔いの種に。
このおふたりは携帯電話をどのように使われていたのだろう。
なんとなく、興味を感じる。