日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

網目のようについた溝の深さ

 

気温25度を上回る日が続いている。しかし、真夏の25度の暑さとはなにかちがう。湿度のちがいなのか蒸し暑さはなく、夜も更けると気温よりもひんやり感がある。

もうすぐ梅雨であるが、この4月が梅雨以上に雨が多かったため、どうもピントこない。

日本の国民の祝日である“海の日”が制定されたのは、1995年(平成7年)だという。施行されたのはその翌年からなのだが、つい最近できた夏の祝日というイメージがずっとあった。その海の日も、もう20年になるのだから、時間のたつのも早い。

 

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海に対抗してかどうかはわからぬが、夏のもうひとつの祝日となる“山の日”が昨年に制定され来年からスタートだという。その日は8月11日なのだそうだ。

日本人の生活や文化と密接に結びつき、山の恵みに感謝する日だという。
<峠を越した>とは、危険な時期を乗り越えたとき、また絶頂期を過ぎたときなどに使われる。人生の局面を山に見立て、準備、鍛錬、判断、忍耐などと、人が生きていく要素が登山に備わっているともいわれる。

“麗”という字を見ると、素晴らしい山の景色や美しいツノをいただき崖に立つ鹿の姿が浮かぶ。眺めていると絵や像が浮かんでくる、そういう漢字がある。
“串”という字を見ると、蒲焼きの幻影がいい匂いを放つという方もおられよう。さしずめ、懐具合の都合で、私などは焼き鳥しか頭の中に出てこないが。

 

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大麦の収穫作業の最盛期といえば、今ごろなのだろうか。実ったあの姿を見ただけでビールの喉ごしを連想してしまう。そういえば、この時期とくにビールの摂取量が激増している。

実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂の人もいれば、踏まれても天に向かって穂を突き出す元気な方もいらっしゃる。踏まれた夜は、苦いビールで一日の疲れを癒やすにも今はいい時期であろう。

字だけではなく、言葉からの連想も楽しめる。「競争」という言葉を育てたのは福沢諭吉さんだという。幕末、勘定方の役人に頼まれた諭吉さんは、“コンペチション”には「競争」という訳語を考案して充てたそうだ。

 

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しかし、役人は「争の字が不穏で上役に提出できない」と言った。
諭吉さんは<甲の店が安い品を売れば、乙の店がもっと安く売りたいと思うのは自然のことで、不穏ではない>と説得したが、相手は聞かない。そして、「競争」の一語は墨で消された。

その流れがあるのかどうか、国が発注する工事の談合事件は現代も続き、「不穏な争の字は避け、ここは皆で仲良く共存共栄を・・・」と業者が結託。持ち回りの高値受注で甘い汁を吸い合うようだ。

商行為を目的とした集団に「会社」という語を用いたのも、諭吉さんの「西洋事情」が最初。諭吉さんは「会社」と「競争」のふたつの言葉を生み育てたということなのである。

 

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「キャラメル」という言葉から私が連想するのは、<網目のようについた溝>である。
メーカーは、<原料の砂糖が値上がりすると、溝を深くして、値段や一粒の大きさを変えずに砂糖の価格変動に対応している>という噂が流れた。

なるほど、と訊いていたが、結局それはデマだったとか。
しかし今も、消費増税、原材料等の値上げで、製品を値上げせざるを得ないメーカーは多いはず。

値上げをすれば売上げに影響するため、製品の量や大きさを削る必要も出てくるであろう。その現実を目の当たりにすると、表面の溝がどんどん深くなっているキャラメルの“絵面”が頭の中をぐるぐる回り始めるのである。