老いも若きも赤ん坊も共生中
「スマホに子守をさせないで!」というポスターがある。日本小児科医会がそれを配り、注意を促しているとか。スマホがロボットのように子守でもするのか、と思ったがそうではないようだ。
今スマートフォンが子育てに使われるという。パズル、ゲーム、絵本などの乳幼児向けアプリがあり、スマホを子どもに渡してひとり遊びをさせることもあるらしい。
<むずかる赤ちゃんに子育てアプリで応えると、育ちをゆがめる可能性がある>という。
親からみれば、外出先などでぐずる子どもに、スマホのアプリは効果的なのだとか。そういう使い方が悪いわけではないだろうが、小児科医たちの懸念は以下にあるようだ。
泣く子をベビーカーから抱き上げもせず、スマホを与えるという接し方ではなく、赤ちゃんの目を見て語りかけることが育児の基本だという。大事なのは、親子で会話をしながらスマホを使い、親密になる手立てとするのがおすすめなのだ。
昭和30年代、評論家・小林秀雄さんと物理学者・中谷宇吉郎さんは、<すべてをお見通しの2人の神様が将棋を指したら結果はどうなるか>という問答をした。
中谷さんの結論で、“先手必勝”のような答えは出るだろうが、勝負自体は無意味になってしまう、と。今にして思えば、未来のコンピュータを想定しての問答であった。それから半世紀、将棋ソフトはプロの棋士に勝つようになり、囲碁のソフトもアマチュア高段者のレベルに達しているときく。
人とソフトが切磋琢磨している現状といえるだろう。半世紀後には、どんなソフトが登場しているにせよ、盤上対決の奥深さに変わりはないだろう。
<八十は老(おい)の序の口冬若葉>。
傘寿を迎えた際に、名優・島田正吾さんが詠んだ句である。
うなずく“序の口世代”の方々も今では多かろう。
出産、子育ての支援とともに高齢者の活力をどう引き出すかは、日本の未来にとってとても大事なこと。60歳代のみならず70歳代でも元気で働きたいという方はいらっしゃるはず。
<またしても同じ噂に孫自慢、達者自慢に若きしゃれ言>。
江戸期の随筆集『耳袋』の狂歌だそうだ。くどい話や流行語の多用には気をつけなさい、と。“序の口世代”に、「仕事自慢」があってもいい。
異なるものがお互いに利益を与え合っている関係を相利共生というらしい。
そして、一方が利益を得て他方が害を被る、あるいは利益をもらわない関係を片利共生と。
サル学の権威・河合雅雄さんの著書にある。
人間と自然では、<人間が一方的に利益を受ける片利共生>の関係にあるという。
人間は大地も大気も水系も汚染し、多くの生物を殺した。
<無限の恵みを受けながら、何のお返しもできていない。自然への寄生虫的存在になってしまった>。謙虚さを失った人間に、河合さんはこう警鐘を鳴らしている。
共生は、互いに競争し努力し合ってこそ成り立つという。寄生は他の強い存在に頼って生きていく方便であり、寄生する相手が死ぬときに自分も死ぬ。
企業社会でも学問研究でも、共生の中でこそ創造性が発揮される。
互いに支え合うのは当然である。生まれたときや老いたときなど、一生のうちにはだれもが必ず支えられる側に回る。
しかし、振り込め詐欺などのように、人の財産をかすめ取ることを専業とする、犯罪者集団もはびこる。片利共生や寄生の典型的存在といえるかもしれない。
利権の拡大に奔走する政治家や官僚がいるとすれば、やはり寄生の同類だと思えてならない。