日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ずっと読みたい松本清張さん

 

推理小説を読むスタートは江戸川乱歩さんである。夢中で読み漁った。すでに他界されていたので、作品には限りがあった。何作も読み進むうち、作品が尽きてしまうことが心配になった。古本屋や図書館にも通い、乱歩さんの世界を長く楽しみたかった。しかし、途切れるときがやってきた。

その後、他の推理作家へと矛先が向かうのだが、乱歩さんと並行して読んでいたのが松本清張さんである。熱く入り込んでしまう乱歩さんと反対に、清張さんには心地よい安定感があった。

多忙な清張さんは、地方の地図にある川の風景を想像して作品に描いた。その作品が世に出ると、川の地元の読者からハガキが届いた。その川は、数年前に埋め立てられていたのだ。
しかし、清張さんの作品には、いつまでも流れ続けている川がある。

 

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数年前、バス旅行で島根県亀嵩駅付近を通過した。西日本旅客鉄道木次線の駅である。
清張さん原作の映画『砂の器』で有名になり、付近の温泉に多くの観光客が訪れるとか。私も思わず、作品の登場人物がここに実在し、この地で過ごしていたような気分になった。

社会派ミステリーといわれた清張さんの作品は骨太である。社会の暗部や人間の情念が織り込まれ、謎解きだけでない魅力がある。約千編もの作品を40年間で残した。人間の心理描写が巧みで、土台のしっかりした多くの作品は、映像との相性もよく長年に渡り映像化されている。

<社会のひずみへの着眼点。愛憎や欲望。そして復讐>というわかりやすいテーマが太い幹となり、枝葉のドラマも結末にたどり着きやすい。そのことも映像になりやすい大きな要因だろう。

 

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松本清張さんには若い頃、新聞社の広告デザインの仕事で磨いた技術があるという。そのセンスの高さで、<見る人が思いを馳せられるキャラの設定>と<情景が目に浮かぶ文章>を手に入れられたのでは、との見解もある。そして<映像の作り手を刺激する要素が作品にまぶしてある>とまでいわれる。

1961年の映画『ゼロの焦点』のラストシーンは、犯人が断崖で犯行を告白する。今ではすっかりおなじみのテレビ「2時間サスペンス」の元祖はここにあったのだ。
また、テレビドラマ『波の塔』の影響で、青木ケ原樹海が自殺の名所と呼ばれるようになったのでは? とのエピソードもある。

そして、清張さんのドラマに欠かせぬものといえば“悪女”である。
<悪女は男性中心社会が持った恐怖の形。男性が自信を失っていく一方、女性の強さ、怖さが増している表れ>。これは、ある大学教授の御説なのであるが、たしかに今の世にも当てはまるような気がする。<世の男の考えの甘さに女が復讐>との展開は、やはりドキドキものである。

 

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清張さんは最大12本の連載を抱えていた時期があったという。作品の本文以前に、題名だけ考えるのもさぞかしたいへんだったと思う。『十万分の一の偶然』、『Dの複合』などは抽象的なのであるが、それでも読み手のこころを引き寄せるなにかがある。

このような記事にもいえるが、題名は小説の顔になる。超多忙のなか、どのように本質を見抜き、読者への“つかみ”を考えたのだろうか。そのセンスも広告デザインの仕事で磨かれたのかもしれない。そして、俳句もたしなんでいたという。

俳人と交友があり、清張さんが詠んだ句が出る作品もあったという。さぞかし日常を観察して、短い言葉で切り取る力が培われたことであろう。また清張さんは、タイトルにこだわりすぎて、改題も多かったらしい。今度、作品を読みながら、その本のタイトルに至るまでのプロセスを、想像してみたいと思う。

 

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清張さんの作品が古びないのは、作品のテーマが人間の煩悩だからだという。
<家庭も仕事も守り、愛人ともうまくやって。そう思う時に煩悩が生まれ、都合よくはいかず、罪を犯し人生どん底に・・>とのパターン。

作品では、<小金を稼いだ男は地獄に落ち、出てくる女も不幸になる>こともよくある。
清張さんが描くのは万物流転、因果応報。非情さだけでなく、弱さや挫折など人間臭さたっぷりのキャラだからこそ共感を呼ぶのだろう。