日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

いい加減を良い加減と解釈し

 

明治の時代、背広を“窮屈袋(きゅうくつぶくろ)”と呼んだことがあったとか。
といっても、洋服の仕立屋仲間による隠語らしいが。
どうやら、江戸時代に武士の袴(はかま)をそう表現したのが語源のようだ。

“窮屈袋”の初代は袴で、二代目が背広ということになる。
どちらも身に着けずにすむ人の目には、とても堅苦しく映ったのであろう。

“窮屈袋”が背広とすれば、ネクタイは袋の口を締める“窮屈紐(ひも)”であろうか。
窮屈はイヤだと、就職するまで背広とネクタイから逃げていた方もおられるはずだ。

<ネクタイを上手に締める猿を飼う>。
川柳作家・森中恵美子さんの一句だとか。

現在の「ノーネクタイ浸透率」がいかほどかは計り知れぬが、目に見えぬネクタイに締め付けられることがあるかもしれない。

 

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真新しい背広のふたりが、電車内で話していた。
「これから“れんま”の方へ?」
新人同士で営業に回る途中、相方へ行き先確認をしているようだ。

いったいどこへ行くのだろう。なにげなく訊きながらこちらも考えてしまった。
「うーん。“れんま”ではなく“ねりま”だ」と相方。
そういえば、尋ねた彼の言葉には関西風の抑揚があった。

それで、新婚当時のことを思い出した。うちの奥さんが関東にまったく馴染みのない頃、ひとりで東京探訪に出かけた。まだ、スマホもインターネットもない時代で、駅員さんたちに確認することが多かった。

ある駅で「“ごせいもん”へ行きたいのですが」と質問したところ、その駅員さんはわからない、としばらく考えこんでしまったそうだ。
そして、急にニヤリとすると「それって御成門(おなりもん)のことでしょう」と。

サラリーマン川柳に、<電話口「何様(なにさま)ですか?」と聞く新人>という句があった。
人間いくつになっても、新人という立場にいることはあるだろう。
電話の応対、酒席の作法、地名の読み方ひとつに至るまで、ときに内心赤面しながら学んでいくのも楽しい。

 

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団塊世代退職の10年問題」(2007~2016年)と騒がれて久しい。<「団塊の世代」1947年生まれが60歳になる2007年から、1949年生まれが67歳になる2016年頃までの10年間にわたり、相当の数の退職者が発生する>からだという。

仕事をしている人や探す人(男性)の割合が、60歳から67歳にかけて、9割から5割へと徐々に低下してくる。この期間、それに相当する数の退職者が発生することになる。

退職後に別な仕事へ就く方や、離職したままの生活を始める方もいらっしゃる。つまり、60歳を過ぎてからも新人としての生活が待っているのだ。仕事をせず家庭に引きこもれば、ご主人の食事を毎回用意しなければならない奥様は、ご自身のペースもくずれ、いつまでもいいお顔で応対できない。

奥様の負担を減らすなら、外出したり、家事をこなすことも必要。私の知る団塊世代の多くは、趣味が少なく家事もこなさない。それを悔いるのではなく、自慢気に話している。

やがて、奥様から相手にされず、外出や宿泊旅行の留守番が多くなっている。
<家庭内を万事丸く収める仕事>の新人を始めれば、それまでの仕事の方が、よほど楽だったと感じるのだ。

 

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どのような形の新人も、他人とちがう「オンリーワン」になる工夫は必要だと思う。
平日の高齢者たちを見ると、散歩や買い物で奥様にくっついて離れず<ひとりで行動ができない「ワシも族やお前も族」>のご亭主がいる。

他人とちがうことの第一歩として、(「オンリーワン」の文字通り)自立するということを目標にすればいい。食事、洗濯、掃除、ゴミ出し、買い物など、奥様に頼らずすべて自分でこなせただけでなかなかの快適気分である。

<他人がやっていないようなことをやろう>と思えば、案外身近で発見できることが多い。「競争相手があまりいないから楽」であるという利点もある。
ちょっとでも人と違うことをしている人には、他人も思わず注目してしまうはず。

 

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<成功は誰にでもできることをすることなのです。誰にでもできるけど、誰もやろうとしないことをすることが、成功>。
<成功の階段は、上にいくほどすいている。平均値に向かうより、平均値から離れるほうが、成功する>。

作家・中谷彰宏さんの言葉である。
中谷さんは、あまり飾らず「分かりやすく」をモットーにして本を書いている。
そして、<頭を絞って苦しみながら書く>ことをしないで、誰もが手に取りやすく、読んでみたいと思う本を、執筆してしまう。

肩ひじをはらず気楽に考えたほうがうまくいくし、人生も楽しいのではないだろうか。
それは、自分らしく「いい加減に生きる」ということなのかもしれない。
うまくいかないことがあっても人のせいにしない。いつもありがたいとの気持ちを忘れずにいて、謙虚におのれを見つめ続けることができればしめたものである。

そのときはきっと「いい加減」が「良い加減」になっているはずだから。