ネット情報の肥満&ダイエット
昨年の今頃、15年半も続けてきたメーリングリスト(ML)を閉鎖した。
多くの人と出会い、ネット以外にも飲んで騒いで遊んだ。
メンバーが長い付き合いになれば書くことも減りがちで、今は携帯メールやLINEで連絡をとり、一緒に飲んだ方が話は早い。
サーバー会社へ閉鎖処理をお願いしたにもかかわらず、なくなっているはずのMLが、実は今もネット上に存在していて、メンバーで投稿し合った70963通のメールは今でも閲覧できる状態のままなのだ。
私たちが得ることのできるネット内情報量は爆発的に増えている。いつでもスマホをちょっといじれば、調べ物も簡単にできる。その便利さの一方で、情報の氾濫がもたらすマイナス面を心配する声も強まっているという。
大量の情報に振り回され気を散らされて、物事をじっくり考えなくなった。大切なことに集中することができなくなった。そんな危惧の声なのである。
ネット利用者は時折<あらがいがたい気持ちに襲われたり、ほとんど役に立たない物をアテもなく見てしまい、もっとうまく使えたはずの時間や労力をムダにしてしまう>などの発作になる。
私もネットをのぞいているうちにやめられなくなり、いつのまにか時間だけが経過していた、という経験は多い。
増え続ける膨大な情報をいかにうまく処理していくのか。それはビジネスの世界でも新しい問題になっているようである。組織が情報の肥満状態に陥ると、そのパフォーマンスは損なわれる。
世の中のデジタル情報は今後もますます増え続けていくことだろう。その中で、いかに不要な情報を捨ててスリムになり、必要な情報をうまく使いこなしていくのかが課題になる。
つまり、情報分野におけるダイエットということなのだ。
昨今の高齢化で、“終活”という文字に接することが多い。ネット内もご多分にもれず『ラストメッセージ』なるサイトが話題になった。
死後、インターネット上の個人情報を消す終活サービスのひとつだ。ネット上には、膨大な個人データが、日々蓄積されている。ツイッターや、ウェブの閲覧履歴、メールの送受信。
ハッキリ言って(とここで声を高くしてはいけないが)、私も人に見られたくないネット情報はいくつかある。
突然、自分の身に何かあったら、自分の「影」がネットを漂い続けることになる。
死後、家族が読んだら変に受け取られないだろうか。それを誰かが消してくれるなら助かるが。
ただし、自分の死後に消してほしいメールやSNSなどのID、パスワードを受け取り、自分に代わり消去してくれる相手を決めなければならない。死んでからならまだしも、生きているうちにその人物を探すのは、なかなかの難問である。
などと悩んでいるうちに、その『ラストメッセージ』のサイトがオープン1年を前にして、先月突然サービスを終了した。もしかして、多くのラストメッセージを預かりながら、自分のラストメッセージを残さず消えたりはしていまいか。
ブログで、若くして病気で亡くなられた方の闘病記などは、今も多くの方たちに読み継がれ、ランキング上位の座を維持していることがある。気づいても、気づかなくてもいい。タイムカプセルのように、ネットの世界へそっと埋めた方もおられるかもしれない。
2014年11月のパソコンからの国内閲覧者数は、ツイッターが約1930万人、フェイスブックが約1736万人だという。スマホ利用者を加えればさらに増えるはずだ。
総務省の13年のサンプル調査で、13~69歳の57.1%が何らかのSNSを利用しているとのこと。様々な個人情報がネット上に散らばるのは当たり前になっている。
生前に準備したメールや動画を、死後に指定された相手へ送るサービスも次々と登場しているようだ。死者とつながりたい。それは、多くの人が抱く自然な感情のひとつなのだろう。
葬儀、お墓、遺影。死者と生者をつなぐものは、時代や文化を問わず存在している。今や、面影や声も、永遠に劣化しないデータとして残すことが可能になった。何を消し、何を残すか。ネットは「死後の世界」をも変えるのであろうか。