日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

花見は直球ど真ん中の絶好球

 

この土日は仕事だった。そのおかげで、昨日と本日の2日間はゆっくりとお花見を楽しむことができた。(最近、友人から作り方をご伝授いただいた)自作の“おにぎらず”と缶ビールを持ち込み、ソメイヨシノにたっぷりと酔いしれた。

天気の週予報では、この2日間を除くと青空の下でのお花見が危ぶまれるとか。明後日に晴れ間が少し出るようなのだが、気温はかなり低くなるそうだ。

桜の花びらは、この数年の白さより桜色がかっているように感じた。思えば一昨年に1週間で7ヶ所の花見を試みたが、これほどまでの天気に恵まれたのは1日くらいであった。

ソメイヨシノの満開は短命なため、菜の花へと方向転換しようとしたが、こうして独占できるとまんざらでもなくなった。

私が勝手に決めている<“マイ桜”の木>の下のベンチで飲むビールの味は格別である。
この時期は、桜だけでなくどの花も色づくようで、うぐいすの鳴き声も心地よい。

 

1200

 

花見をするたびに頭の中で必ずイメージするのが、落語の『長屋の花見』である。

“お茶け”に“練馬のかまぼこ”。貧乏長屋の愉快で哀しい花見風景はたまらない。
貧乏長屋の住人たちが、朝そろって大家に呼ばれた。みんなてっきり家賃の催促だろうと思い戦々恐々。

ところが大家は「みんなで上野の山に花見としゃれ込もう」と。酒を一升瓶で三本用意したと聞くと、一同は大喜びする。これが実は番茶を煮だして薄めたものなのだ。

色だけはそっくりで、その“お茶け”でお茶か盛り。
玉子焼きと蒲鉾の重箱も、中身は沢庵と大根の漬け物。
まったく盛り上がらないお花見のやりとりが、何度聴いてもおもしろくてたまらない。

そしてオチは...
一人が湯のみをじっと見て「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるかい?」
「酒柱が立ちました」

 

1201

 

昨年、日本を訪れた外国人は1340万人に達した。初めて1千万人を超えた前年より3割増である。日本に来る外国人の中で中国人の買い物代は突出している。

1人当たり約14万円で“爆買(ばくが)い”とも呼ばれている。2万円台の韓国人や5万円台の台湾人を寄せ付けない。

そして、訪日外国人が日本に落としたお金は初めて2兆円を超え、過去最高となった。
それは<日本人1人の平均的な年間消費を、外国人10人足らずの来日でまかなえる>額だとか。

もちろん、隣国の人々の旺盛な購買意欲の力が大きい。総額の4分の1強を中国人が使っているそうなのだ。その“爆買い”はいつまで続くのか。日本の経済にも大きな影響があるはずだ。

 

1202

 

「外国人抜きには地域も企業も成り立たない」との声がある。そのためには、訪問先を大都市圏や有名観光地からどう広げていくかが大きな課題となる。
外国人の団体旅行の定番は、富士山をはさんで東京~大阪間を巡る「ゴールデンルート」だという。

旅行業者と自治体が新たな広域周遊コースを売り込む例もあるようなのだが、既存の観光地の連携強化にとどまってはもったいないし、連携も魅力ある地域があってこそ。
個人の観光客に狙いを定めれば、インターネットで直接情報を発信できる。

外国人の買い物で免税対象が食料品や日用品にも広がったため、地方の特産品も売り込みやすくなった。ひとたび注目を集めると、ソーシャルネットワークサービスを通じた“口コミ”で一気に広がっていく。

そして、一度目は買い物目当てでも、次回もそうとは限らない。
再訪では花見や紅葉で四季を感じ、歴史や伝統文化を体験したい、という希望も増えるだろう。花見客にしても、外国人がとても増えているように感じる。

そこでの宴(うたげ)は、日本人よりも古き時代の日本人のような楽しみ方に思えて微笑ましい。なぜか『長屋の花見』の風景を、外国人にオーバーラップさせてしまう。

 

1203

 

「遊山」は本来、仏教の言葉だという。
“遊”というと、遊戯、遊覧、豪遊など、好きなことをして楽しむイメージなのであるが、<自由に動き回ることを表す>漢字だ。

そして、「物見遊山」という言葉は、楽しむというより<息抜き、気晴らしにさえなればいい>とのニュアンスで使われる。「物見遊山じゃないんだぞ」と、非難の意を込めて言われることもあるが。

本来、<修行遍歴をしたり、曇りのない心境で山水に親しんだりする>という意味の言葉も、宗教的な部分が薄れ、花見や紅葉狩りなどの行楽一般を指すようになっているそうだ。