日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

"逃げる2月"後は"去る3月"

 

江戸っ子かたぎは、せっかちでケンカっ早いとか。
東京都中央区築地市場で、(ケンカを抜きにしても)せっかちは見ることができる。

飲食店の立ち並ぶ場内では、客が「のせ!」と言うだけでカツカレーが出てくる店があるそうだ。<カツをごはんの上にのせたカレー>を“カツカレー”と呼ぶのもめんどうで、もっと短い2文字に要約されたのである。

昨年末、新市場建設協議会は2016年11月上旬に、豊洲新市場(江東区)が開場することを正式に決定した。店が移転するであろう新市場は、魅力の近代建築で、銀座の商業ビルと見まがうような装いになるという。東京湾の夜景を楽しむ地上7階の温浴棟もあり、めざすは「首都圏の一大観光拠点」とか。

20年前、豊洲まで往復5時間通勤した私も、その変貌ぶりに驚愕しそうだ。開発は未来に温かく昔に冷たいもの。ほのかに残る江戸の空気を少しでも残していただけるのかどうか心配である。

 

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小沢昭一さんは、<静岡でうまい塩せんべいを見つけた>ため、ひと袋200円のせんべいを東京から新幹線で買いに行っていたそうだ。そのことを対談で話したりするのだが、店の名前やおおよその場所も語らなかったという。
店側に対する小沢さんの配慮であろうが、“せんべい好き”には悔やまれるはず。

どの業種にせよ、世間に広く知られてうれしがる店ばかりとは限らない。
以前、飲食店の口コミサイトに店の写真を無断で掲載されたとして、大阪市内のバーが損害賠償を求める訴えを起こしたことがあった。

看板も出さず、<「隠れ家」バーを売り物にする営業戦略が妨害された>ためだという。
口コミサイト側は「店の評価という“表現の自由”を制約するもの」と反論し、請求棄却を求めた。
<千客万来みな来ると困る也(なり)>と、古川柳にもある。
裁判の結果はわからぬが、「みな来ると困る店」があってもいいような気もする。

 

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向田邦子さんは、テレビドラマで<家族がすき焼きを囲む場面>を書くとき、肉の値段を台本に書き添えた。<家族だけなら100グラム450円、お客もいるなら650円>、といった具合にである。

その以前に書いた台本のドラマ制作で、<暮らし向きのつましい一家のすき焼きに、スタッフが豪勢な霜降り肉をふんだんに用意した>のに懲りて、値段を指定するようになったという。

画面の隅々にまで神経の行き届く人は、昨年の今頃で肉よりも野菜の量に頭を悩ましたかもしれない。関東甲信を襲った大雪の余波で、ネギやハクサイ、ニンジンなどの野菜が大幅に値上がりしていたからだ。こちらは、この2月に昨年のような大雪もなかったため、野菜は行き届いているようだが。

昨年、値上がりの著しいのがホウレンソウで、平年の約7割高だったとか。
<南無滋養(なむじよう)法蓮華経(ほうれんげきょう)菠薐草(ほうれんそう)>。
小沢昭一(号「変哲」)さんの一句だそうである。ホウレンソウが食べたくなってきた。

 

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近松門左衛門『冥途の飛脚』の一場面。忠兵衛の懐中には三百両の金がある。<身も懐も冷ゆる夜に>。今なら「懐が温かい」と言うところだが、小判の昔は懐が冷えたのだろう。見て、触れて、温度を感じることができる。お金はそういうものと思い込んでいたが、ついていくのに骨の折れるご時世である。

先日<「イスラム国」が活動資金にインターネット上の仮想通貨「ビットコイン」を利用している可能性が高い>と報道された。
イスラム国」は、毎月200億円規模で資金を集めているとされ、<資金の流れを解明されるのを防ぐために、仮想通貨を利用している>とみられている。

以前、サイト運営の国内業者が取引を突然停止し騒動になっていた。<ビットコインには発行者も管理者も存在せず、規制する法律も所管する役所もない>。利用者の自己責任で成り立つ仕組みとはいえ、お金を預けた人は気が気ではなかろうに。
<懐ならぬ、肝(きも)の冷えるお金>としか、私には思えない。

 

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“松竹梅”は、「歳寒の三友」と言われる。松と竹は、厳冬に耐えて緑の葉を絶やさない。
梅は雪の中でも、馥郁(ふくいく)とした香りの花を咲かせ、慶事の象徴とされた。
この三友は、いずれも昔から薬として用いられてきた。

滋養食として広く親しまれてきたものと言えば梅の実。
日本3大庭園の一つ、水戸の偕楽園の梅は藩主、徳川斉昭公が、戦時に備える非常食として植樹したと伝えられる。

梅には桜のような華麗さはないかもしれない。だが、凛(りん)と咲く紅白の可憐な花に、内へと秘められたエネルギーを感じる人も多いはず。
桜と梅の優劣をめぐり、古くから様々な見方があったようだ。

平安朝の時代、藤原頼通が「春は桜が第一」との主張に対して、歌人藤原公任は「なほ春の曙に紅梅の艶色捨てられがたし」と反論した。
禅宗でも、梅は桜より重視され、人生の苦難を乗り越え悟りを開く人の姿に重ねられた。

そういう日本文化に思いを巡らしながら心豊かに春を迎えたい。