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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

体は賢く頭は丈夫に保ちたい

 

ボノボという類人猿がいる。
ネットで検索してみると、とても優しい面立ちである。
チンパンジーとの比較では、群れどうしで激しく争うチンパンジーに対し、ボノボは他の群れとも穏やかに交流するという。

さて、ヒトは類人猿を脱して、チンパンジー的であったか、ボノボ的であったのか。その答えは訊くまでもないだろう。

ヒトと共通の祖先を持つらしいボノボに、学ぶべきところは多そうだ。
ヒトの学名はホモ・サピエンス。ホモは人、サピエンスは考えるの意だが、昔も今も愚考ゆえの愚行が珍しくない。我々は本当に「考える人」なのか、考えてみる必要を感ずる。

 

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実家へ電話して、母親から詐欺師に間違えられたという知人がいた。
オレオレ詐欺”といっていた時代である。その後、手口はどんどん巧妙になり、名称も「振り込め詐欺」や「振り込む詐欺」などと多岐にわたり続いている。

今も、公共施設や交番で異様に目立つ警察のポスターを見かける。黒地に黄色の字で<息子はサギ!?>とある。息子から電話があれば、即犯罪者に結びつける親御さんが、ますます増えていくことだろう。

だまされるのは人の常なのか。ゴーストライター出現に衝撃を受けたのは昨年の今頃であった。耳の不自由な作曲家が現れれば、演歌好きの人たちも、交響曲を代作とも知らず聴き入り、「頑張れ」とつぶやく。油断があるとすれば、その温かさかもしれない。
“ある方面の人たち”から見れば、世の中は甘くできているのだろう。
しかし、それを一概に駄目と言うのはむずかしいものである。

 

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息子と思い込み、信じて裏切られる。「息子と言えば疑え」と思い込み、息子を信じない。だれにでもある“思い込み”というやつは、なかなかやっかいである。
いっそのこと、<思い込みを排除する>という思い込みがあってもいいのではないのか。
思い込みに縛られると、自由な発想も浮かばないし、面白いアイデアも浮かんでこない。

壁をつくらずオープンにする。情報社会を生き抜くには、自分を開放しておくことは必要である。情報の送り手は無数にあるため、最初から壁をつくって情報を遮断するのは情報の偏りを招く。

タテマエの世界とは“人にどう思われるか”と考える世界である。また、人は、“大多数の人がやらなければ”と考えていることをやっている。「常識に従っている」ということである。このタテマエや常識から抜け出すことで、真実が見えてくることもあるはず。

 

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松竹の創業者・白井松次郎さんは新聞に広告を載せたところ、やけに余白が多かった。
「で、この“白いとこ”の金は誰が払いまんねん?」と言ったそうだ。
余白で文字や写真が引き立つ、と考える人がいる。また、余白の部分にも情報を詰め込まなくてはもったいない、と考える人もいる。白井さんは後者であったようだ。

広告に限らず。駅のホームや電車内でスマートフォンとにらめっこの「充実派」は多い。
また、駅・天井裏の鳩や車窓に流れる景色をぼんやり眺める「余白派」もいる。
スマホに限らず、携帯ゲームに無言で何時間も興じる子どもたちもよく見かける。

この先も「充実派」はさらに勢力を増すことだろう。
生活に残る「白いとこ」の運命はいかなることか。

<楽は虚に出ず(がくはきょにいず)>(荘子)。
意味は、「音楽のゆたかな響きは、カラッポの穴から生まれる」ということだそうである。太鼓も笛も、音は空洞から鳴りいでる。時勢にいくらかでも抵抗し、「白いとこ」を楽しむこともよさそうだ。

 

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体の五感を全て賢く使い、未知の環境でも自分で考えて解決する。選択試験対応型ではない丈夫な頭が必要である。これからは体が賢く、頭は丈夫でなければならない。

歯の浮くようなお世辞は必要ないが、褒め言葉には堪能でありたい。
その人の本質に迫るような心の通ったお礼の言葉やほめ言葉を、その場に応じて口にできる術は大切だと思っている。

「いい加減」という言葉は悪い意味にも使われるが、「良い加減」なのだと解釈してみるとおもしろい。ほどほどの状態にして、最悪の状態にはならないようにするための知恵でもある。人生マイナス結果の出るのが当たり前と思えば、どんな結果でも平静に受け止められる。もしゼロであれば素直に喜べるし、プラスなら幸福な気分にもなれる。

 

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