日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

粋な話に興じてみるのもいい

 

戦争と平和という言葉を並べるとき、平和を先に言う人は少ないだろう。
それは、トルストイの影響ばかりとはいえないはず。
平和をイメージするスポーツの祭典のときくらい、その順序が逆になってもいい。

安倍首相が思い出話を披露したことがある。1972年の札幌五輪に出場した選手にファンレターを送ったことがあるという。
フィギュアスケートの銅メダリストで、赤い衣装に身を包んだ「銀盤の妖精」ことジャネット・リンさんにである。

当時、高校生の安倍さんへ返事が届いた。それには「ラブ・アンド・ピース(愛と共に平和を)」
と書かれており、今も大切に保管しているそうだ。
そのジャネット・リンさんは選手村の部屋の壁に「Peace & Love(平和と共に愛を)」と書き残して帰国されたそうだ。どちらも、すてきな言葉である。

 

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ある放送局で、ラジオドラマの脚本のト書きに<音もなく降る雪>というのがあった。
映像で表現するテレビではないため、効果音のスタッフは頭を抱えたらしい。

もしも<春の足音>とト書きに書かれていたら、どんな効果音になるのだろう。
それでも毎晩、ラジオから流れるその足音に耳を傾けることは可能だ。

「あすの日の出の時刻」である。私の地元では、きのうが6時49分。きょうが6時48分である。日一日と夜明けが早くなっていくのが分かる。

 

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元首相の池田勇人さんは、「いよいよ首相になったよ。お前もごくろうさんだった」と妻の満枝さんに電話をかけた。その満枝さんは「あなた、やめる時が一番大事ですよ」と告げた。
病中の池田さんは1964年の東京五輪を見届け、閉幕翌日に辞任を表明した。五輪に影を落とさぬよう発表を遅らせたそうだ。満枝さんは、首相の渡米に夫人として戦後初めて同行し、外交に一役買ったことでも知られる。

半世紀後、安倍首相夫人の昭恵さんは、消費増税原発推進安倍政権に対し、「増税反対」「脱原発」を自由奔放に訴えるなど"家庭内野党"としてその存在を知られる。
外交で夫を支える一方、防潮堤計画の見直しを主張したり、農作業に携わり、居酒屋を営む。

1次内閣で、激しいバッシングにさらされた安倍首相。昭恵さんも傷ついた。
それでも、首相へ再挑戦の際、多くが反対する中で夫人は「自分のためではなく、本当に国のためになるのであれば、決めたらいいんじゃないの」と後押しをしたという。
長年築いた信頼関係での、家庭内の与野党協調である。

 

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相撲には相手の攻勢を軽くかわす「いなし」というワザがある。。
力士だけでなく、勤め人の土俵でも日ごろ、“突っ張り”や“がっぷり四つ”よりも「いなし」のお世話になることが多い。

会社に抱く不平不満といつも正面からぶつかっていては身がもたない。盃(さかずき)にこぼす愚痴や、趣味の時間などのありったけを燃料にして、右にいなし、左にいなし、かろうじて日々の土俵を務めていることだろう。

昨今のネット配信を利用した事件の動機や不満でも、周りを困らせたところでなんの徳もあるまいに。ただ、騒がれたいという心境だけかも知れぬが、いったい何をどう、いなしそこねたのであろう。「いなし」の心があれば、それでも人は明日を生きられると思うのだが。

 

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映画監督やタレントとして活躍している北野武さんに、明治大学から特別卒業認定証と特別功労賞が授与された。工学部に入学し卒業に必要な百四十単位のうち百六単位を三年間で取得しながら、学園紛争などのため中途退学したのだという。

「こいつは私が大学に行かしたのにやめちゃって」と言うのが、亡くなったお母さんの口癖だったそうである。
それは、北野さんが漫才師になっても映画で賞を取っても、家に行って小遣いをやるときも変わらなかった。

今でも遊びで数式を解く。書店で買う本も理科系のものなのだ。
<数学ができない人が文学をやったり映画を撮ってはだめ>だとも言う。確かな構成は数学の能力にあるということらしい。
若者には「粋に生きてほしい」とのこと。それは「常識をわきまえた形の、もうひとつ上のステップの生き方」だという。