日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

謎の楽器ストラディバリウス

 

バイオリンを弾いたことがない人でも、アントニオ・ストラディバリ(1644~1737年)の名前は聞いたことがあるだろう。
ストラディバリはイタリア北部のクレモナで、93年という長い生涯のほとんどを、ひたすらバイオリンなど弦楽器の制作に費やした人である。

彼の作ったバイオリン、すなわちストラディバリウスは多くの演奏家に愛され、聴衆を魅了してきた。ストラディバリウス。は約600丁が現存すると言われているが、すべて億単位の値段がついている。日本では日本音楽財団が2011年、東日本大震災の文化復興資金に充てるため、ストラディバリウスの名器「レディー・ブラント」をオークションに出し、12億7000万円という値段がついたこともあった。
演奏家は家を売るなどでお金を作るか、財団などが所有する楽器を借り受けるかして、この楽器を手に入れるという。

彼の黄金期は1700年から20年にかけて。年齢でいえば56歳から76歳までにあたる。普通の人なら引退している年齢である。中でも1714年から1716年にかけては「黄金の3年間」と呼ばれ、名だたる傑作が次々に生まれた。
「バイオリンの貴公子」と呼ばれたナタン・ミルシテイン(1903~92年)やイツァーク・パールマン(1945年~)の妙なる音色も、このストラディバリウスから生まれた。

 

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千住真理子さんも、ストラディバリウスの音色に魅せられたバイオリニストの一人である。その愛器は(「黄金の3年間」に生まれた)1716年製のストラディヴァリウスで、「デュランティ」の愛称で知られる。
千住さんは2002年、ストラディバリの黄金期に制作された「デュランティ」と運命的な出会いを果たし、それを手に入れた。

ストラディヴァリウスが持ち主を選ぶ>とよくいわれるが、この名器にも数奇な運命があるという。(千住さんが手にする)「デュランティ」は、製作されてすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスの貴族デュランティ家に200年もの間、隠されるようにひっそりと眠っていた。後に「デュランティ」と名付けられた由来がここにある。

次にこの楽器はスイスの富豪の手に渡り、約80年間弾かれることなく保管されていた。
そして、2002年にその富豪が、演奏家のみを対象に売りに出したため、千住家が数億円(金額は非公表)で購入した。
約300年もの間、誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器なのである。 

 

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千住さんが「デュランティ」を初めて手にした時の気持ちはいかがであったのか。

<楽器は演奏家の運命を変える。バイオリニストならだれもがあこがれるアントニオ・ストラディバリ制作のバイオリン、ストラディバリウス。その中でも幻の名器とされる「デュランティ」が突然、何の前触れもなく(千住真理子さんのもとに)やってきた>という。
そして、それがその後の運命を決める出来事になり、2002年は長い夏になった。

きっかけは、楽器に詳しい知人がスイスから電話をかけてきて、「今、目の前にすごいのがある。自分は生涯ストラディバリウスを何十丁と見てきたけれど、こんなの初めてだ。おったまげた」と言ったそうだ。

千住さんはそれまで弾いていた楽器もいい楽器だったので大切にしていて、新しい楽器を買いたいとは思っていなかった。まして、そんなにすごい楽器なら値段もすごいだろうし、今から金銭的な苦労をしたくないと思った。
<そんなの見ないに越したことはない、絶対見たくないと、一生懸命、遠回しに忙しい、忙しいと断っていた>そうである。

そうしたら、「そんなに忙しいのなら日本に持って行こう」ということで、持ってこられた。それが出会いとなった。そして、その瞬間から<もうこの楽器から逃げられない>ことを悟った。

 

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デュランティ」と出会った時、千住さんは<人生が音をたてて変わっていく>のを感じたそうだ。ケースを開けて初めて楽器を見た時の輝き。目に見えないパワーに圧倒され、<これ本当にすごいかもしれない>と感じドキドキした。

それから手に取り弾いてみた。
自分の人生がガラガラと音をたてて変わっていくのを感じた。
どうすることもできない運命につかまってしまい、千住さんは<もうこの楽器から逃げられない。もう放したくない。何だったらこれを持って逃げたいと思ったくらい>だったと言う。

弾けば弾くほど、イメージしたことのない音がどんどん出てくる。
もしかしたらこれは楽器じゃなくて地球外生物じゃないかと思うほどで、むしろ恐ろしかった。生物の声のような音が楽器から出てくるのだ。本当に怖いと思った。
音色を聴いた時、<自分の心をすべて見透かされている気がして、本当に誠実に向き合わなければ、わが身に何が起きても不思議じゃない>と感じたそうだ。

その時点で、千住さんはストラディバリウス「デュランティ」の経歴を全然知らなかった。
弾いたとたん、<ずいぶん弾かれてきた楽器なのだろうなあ>と思った。
そのくらいすごい音が鳴った。<きっと、ものすごく体格のいい人がバリバリ弾いていたから、こんなに大きい音が出る>と勘違いしたほどに「わあっ」と鳴った。
でも、<自分がコントロールできないぐらい勝手に鳴っちゃって鳴っちゃって、手に負えない、言うことを聞いてくれない>。これが千住さんの第一印象だった。

 

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真理子さんの母親である千住文子さんの著書に『千住家にストラディヴァリウスが来た日』がある。残念ながら私はまだ読んでいないが、そこにはストラディヴァリウス購入にあたり、次兄の明さんが「何とかする」と言い、ニューヨーク在住の長兄・博さんと連携しつつ、必死に金策に奔走した兄妹愛が生き生きと描かれているそうだ。

<楽器の良さはわかった。でも買えるのか>。迷う真理子さんの前で、母親の文子さんが強さを見せたという。
「まだ値段も聞いていなかったし、こんな楽器無理よねえ、高いんだろうねえ」と言う真理子さんに、母は「高くても何でも、この楽器は千住家に来たのだから手放しちゃだめよ」と、力強いことを言った。

母の文子さんは、その時台所の水を一番大きく出して、じゃーっていう音で水しぶきをあげながらすごい勢いでお皿を洗っていたそうだ。
その母が大きな声で「これはもう手放しちゃだめよ」と言った。
真理子さんは、その時の興奮した様子と母の強い決断は「今でも忘れられない」とのこと。

ストラディヴァリウスは非常にデリケートな楽器で、湿度が高いと壊れてしまう。
千住さんの自宅では、ストラディヴァリウスをバイオリンケースに入れ、室内に湿度計を3つ置いて湿度をチェックしながら、大切に保管している。
海外での演奏のためストラディヴァリウスを飛行機で運ぶときは、ストラディヴァリウスのために飛行機の座席を1人分用意し、ストラディヴァリウスにシートベルトをかけて、さらにクッションを敷いて置いているそうだ。