日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

映画界を支えてきたアナログ技術の職人芸

 

2013年4月、ある映画照明技師の訃報が伝えられた。
熊谷秀夫さん。84歳であった。多くの映画人にとって、忘れられぬ存在の人である。
1948年に大映京都撮影所に入所して、55年に日活東京撮影所に移籍。81年からフリーになった。

生涯を通じて照明を手掛けた作品は150本以上。
1950~60年代に量産された、プログラムピクチュアを支えてきたスタッフである。
その名が後世に残ることになったのは、持ち前の実験精神であった。

 

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熊谷さんは、田中登監督『屋根裏の散歩者』では光を乱舞させた。
鈴木清順監督『東京流れ者』では、真っ赤なバックをさっと真っ白に変えて見せた。
その手法はマジックのようである。

また、相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』や『雪の断章』での驚異的な長回しの撮影では、カメラはもちろん動き回る俳優を追い続けるが、照明も俳優の動きに合わせて変化させなければならない。俳優やカメラと一緒に移動する照明技術を披露した。

照明が、俳優やカメラと一緒に移動するということは、よほどの力量がないとできない。俳優の顔への光の当て方なども細やかな工夫を凝らした。

 

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熊谷さんがかかわった作品を、今一度DVDで観てみれば、映画が<光と影の芸術>であることが一目瞭然でわかるであろう。
そして、熊谷さんの存在の大きさをあらためて理解できるはずだ。

熊谷さんが他界された前年の11月には、映画録音技師の橋本文雄さんも亡くなった。
<話し声、鳥のさえずり、もろもろの音を集め、聴かせた男>といわれている。

橋本さんは、熊谷さんと同じ時代の作品を手掛けただけでなく、近年まで、森田芳光阪本順治監督らの作品にも参加し続けた。

 

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話し声、鳥のさえずり、衣擦れや列車、車の音などをどの音量で集め、聴かせるか。
映画の場面の完成度は、橋本さんの繊細な仕事にかかっていたといっても過言ではない。

熊谷さんや橋本さんといったベテランスタッフを失うことで、映画の未来を懸念せざるを得ない。撮影所という場で先輩から技術を引き継いだ2人は、自らの腕を撮影所で磨いていった。

映画の斜陽化により、大手映画会社の撮影所がその役割を果たせなくなってからも、(喪失の危機を自覚していたであろう)相米、阪本監督らの作品を通して、技術はかろうじて継承されてきた。

 

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それらの技術継承が可能だったのは、フィルムの時代だったからである。
撮影された瞬間、その場にあった“光や音”。

今の映画界ではデジタル技術が席巻し、フィルムで撮影する作品は限られている。
デジタル技術の駆使により、撮影後に光線の具合をボタン一つで調整したり、音を人工的に作り出すことも可能だ。

そこで生成された、光の美しさや音の鮮明さが最上であっても、撮影された瞬間その場にあった光や音を完全に再現することは不可能であろう。

その違いはわずかなように見えて、とても大きい。デジタルの良さを認めつつも、熊谷さんや橋本さんの仕事を振り返り、アナログ技術を継承することも映画人にとって使命のひとつのように感ずる。