日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

『俺たちの旅』は俺たちになぜあんなにウケたのだろうか

 

1975年10月から始まったドラマの人気がすごかった。
毎週日曜日20:00~20:54に放送され、友人と外で遊んでいても、この時間に帰るという者が続出であった。まだ、ビデオテープレコーダなどが家庭に存在しない時代であった。

私も観てみるとおもしろいので、やはり嵌まった。
その時代背景として、大学を卒業しても就職難で、とまどいながらも生きることの意味、悩み、喜びなどについて問いかける物語である。

ちなみにその年の流行語を調べてみると、「私つくる人僕食べる人」、「中ピ連」、「ホッカホカだよ、おっかさん」、「世界同時不況」、「総不況時代」、「視界ゼロ」、「共闘なき共存」、「乱塾時代」、「不景気」などが出てきた。やはり不景気な時代だったのであろう。

 

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そんな時代において、等身大の若者たちを描いたこのドラマは、当初予定の放映期間2クール(半年)が、高視聴率を獲得し続けたことで4クール(1年)に延長された。
主な登場人物は、三流私大生カースケ、その同級生オメダ、同郷の先輩グズ六(早大OB)。そして、同じ下宿の東大浪人生ワカメである。

<人生と葛藤する青年たちの姿が共感を呼んだ。ドラマを作る。それ自体、仕事であるには違いありませんが、あの作品の場合は、特に全力で、一生懸命やったという感じが強かったのです>。カースケを演じた中村雅俊さんは語る。

 

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<制作態勢的な面では、今よりも随分と時間をかけて撮影していましたね。スタッフに映画畑の人が多かったこともあって、ワンカット、ワンカットを念入りに撮っていました。それに監督が望む演技じゃないとオーケーがなかなか出ませんでした>、と中村さん。
恩地日出夫さん、出目昌伸さん等の豪華な監督陣と、私の大好きな鎌田敏夫さんを始めとした脚本家たちが相まって、毎週楽しい作品の連続であった。

<出演者もスタッフも、今とは気質が違っていました。当時は仕事が終わってもそのまま皆で飲んでいろんなことを語り合ったりしたものです。『俺たちの旅』は、放送が1年間にわたったことで、演じる俳優も育っていきました。同時に、登場人物も育ちます。視聴者の方も深く彼らの世界に共鳴できたわけです。ドラマと一緒に、俳優も、演じる役柄も育って行った>。中村さんは夜通し飲んで、撮影時間に遅刻することがよくあったそうだ。それでも、スタッフは笑顔で出迎えてくれた。おそらく、若いスタッフたちも一緒に飲み明かしていたのだろう。

 

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個性のまったく異なる3人の若者カースケ、オメダ、グズ六が実におもしろかった。
カースケの中村雅俊さんの他に、オメダを演じたのは田中健さん。あおい健さんという名のアイドル歌手でデビュー後、役者に転向したことは知っていたが、このオメダ役はすばらしかった。

そこでふたりに絡むのがグズ六役の津坂匡章(つさかまさあき)さん。現在の芸名は秋野太作さんである。当時は映画『男はつらいよ』シリーズで、寅さんの舎弟役で活躍していて、津坂さんを観るのが楽しみだった。そのシリーズには5本くらい出られていた。

この3人が中心で笑いと涙の物語が進行していき、途中から頻繁に出るようになったのが、同じ下宿のワカメである。森川正太さんが演じていて、当時はいろいろな番組でもお見かけして、私のお気に入りの役者さんなのであるが、最近はまったく観られないのが残念である。

中村雅俊さん曰(いわ)く、<この40年間を振り返ってみると、デビュー間もないこの当時が抜群に楽しかったですよ。最初は、役者として何も知らないで芸能界に入ったわけです。その知らない世界が少しずつ分かってきたし、自分のことも少しずつ周囲に認知されてった。そういう実感をもてた時期でした>とのこと。

 

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<『われら青春!』もデビュー作ですから、自分にとって大事な作品ですが『俺たちの旅』では、ようやく演技をすることにも慣れてきて、ドラマを作ってゆく楽しみも味わいました。何より、テレビドラマが、こんなにも人に影響を与えるものなのかということを実感できたのが、この作品です>。
中村さんにとっても忘れられない作品であるようだ。

そして、この作品のインパクトをさらに強くしたのは、小椋佳さんの作られた楽曲である。すてきなオープニングシーンに流れる主題曲『俺たちの旅』と、ドラマの大事なシーンに流れる『ただお前がいい』の2曲は名作である。歌うは中村雅俊さんである。
小椋佳さんご自身もコンサートでよく歌われているし、私もたまにカラオケで歌っている。

それでは、最後にまた雅俊さんのコメントをば。
<俺の楽曲は、実はそうそうたるアーティストの方たちが作詞、作曲に携わってきてくれました。実際にお会いしたりすると、『俺たちの旅』のファンだったとか、「実は、あの役好きだったんだよ」と言ってくれたりします。自分が演じてきた役や、一生懸命みんなでつくった作品に、ものすごくシンパシーも持ってくれていたがゆえに、快く引き受けて、作品を提供してくれた人たちが数多くいたように思います>。