日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

やはり人の記事をよく読んでいる人のブログはおもしろい

 

書くことと読むことではどちらがおもしろいか。私は書くよりも読む方が好きで楽しい。“書く”のは、気が向いたときだけであるが、人の記事を“読む”のは毎日欠かせない。

ブログを読み手として見てみると、<書き手の目線や視点>を強く感じられる記事が楽しい。そこに個性が感じられると、書いている方への興味がわいてくる。

 

 

なかには、<今日は書くことがないから>と、律儀に報告するブログを書く方もおられる。書くことがなければ書かなければいいのに、と思うのだが、ご本人にとってはそうでもないらしい。

なんでだろうと、ふしぎであったがある日ひらめいた。<連続投稿が途切れるから>のためのようだ。

それぞれの方のプロフィールかどこかに、連続投稿日が表示されるらしい。
そういえば、毎日のように楽しいブログを書いていたのに、一度途切れると、次第に遠のいて、いつのまにかいなくなっていた、という方が何人かいた。読ませていただく側からは寂しい限りである。

 

 

急にブックマ-ク(ブクマ)がついてアクセス数が伸びると、それを意識してブログがつまらなくなることもある。もちろん、私の感想だけであるが、今まで感じてた“親近感”のようなものが失せ、色褪せた感じになるのだ。

スターマークは書いている人からいただける、という比率が大きいが、ブクマでは“読むだけの人”の割合が増えてくる。
自ずと、付けていただける人からは評価の質が変わる。どちらがいいか悪いかではないが、両者のコメントの差で判断はしやすいだろう。

 

 

ネットに投稿する以上、読まれることの意識は大事。やはり“読み物”である。
日記、備忘録、どんな種類においても、読み物としての観点は必要だと思う。
そして、<読まれたい>という“下心”はなにより大事。

もし、それがなく読まれなくてもいいと思うのなら、PCなどの中に保存すればいい。
また、ネットを介して、いつでも読み書きできるようにしたいのなら、「Evernote」などのソフトを利用すればいい。

 

 

それはそれとして、読まれたことがうれしくなり記事内でアクセス数を報告する方もいる。それなりにいいブログを書いていた結果であろうが、そんなことは自分の腹の中でよろこんでいればいい。

人はなにを思うのも自由であるが、今までの素晴らしい記事までがくすんでしまう。
これも、あくまでも私だけの所感であるが。
「知る者言わず、言う者知らず」。世の中、上には上がたくさんいる。
そういう人たちがそれを見たらさぞかし滑稽(こっけい)であろう。

もちろん、なにを書くのも本人の自由で、記事として投稿すれば、それ以上でもそれ以下でもない。読む人の受け取り方もそれぞれちがうだろうし。
そのかわり、アップした以上は<だれかの目にふれる位置>にいるということ。

腹の中で、<読まれることは意識しながら>人の顔色などはうかがわず、飄々(ひょうひょう)とその人の“味”が出るような記事。そういう記事との出会いが、なによりの楽しみなのである。
それは、読まれたいという“下心ありあり”のブログでいっさいかまわない。

  

今週のお題「書くこと」