日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

涙の沸騰点はどのあたりにあるのだろうか

 

映画やテレビドラマのシナリオでは、泣かせるものを書くよりも、笑わせるものを書く方がむずかしいといわれる。人間は笑うことのセーブはしやすいが、泣くことにはもろいのかもしれない。
そういうことの意識からか、私は悲しい作品より笑える作品が好きである。それでも、いくつかの(泣かせる)話題作は観た記憶がある。

 

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かつて、『ある愛の詩』という作品が大ヒットした。小説を読み、映画も観た。物語としては(当時でも)新しさは感じなかった。演出はお涙頂戴を強調するわけでもなく、淡々とした自然体で好感が持てた。
クライマックスの悲恋のシーンでも、涙を流さずに観賞できた。ところが、ラストに流れる美しいメロディを聴くとウルウルしてしまった。それでも、負けるものか(何にだ?)と涙はこらえた。

同名の主題曲は、フランシス・レイさんの作曲で、アカデミー作曲賞を受賞している。アンディ・ウィリアムスさんの歌でも有名である。
映画ではこらえられた涙も、近年カーラジオなどからこの曲が流れると、思わず涙がこみあげてきて困る。

 

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日本にも『愛と死をみつめて』という大ブームになった作品がある。マコ(實さん)とミコ(みち子さん)の実話を元にした物語である。Wikipediaで検索してみると、3年間に及ぶ文通を、書籍化したものだそうである。映画化もされ、テレビドラマやラジオドラマもすべて大ヒット。同名の曲もレコード大賞を受賞した。
映画やテレビドラマは観たはずだが、涙を流したという記憶はない。もっとも、子どもの頃だったので、そのへんの感性が鈍かったのかもしれないが。
ただ、ミコの命が尽きる寸前に、マコが電話越しでギターを奏でるシーンの記憶が残っている。そのときの楽曲が『禁じられた遊び』である。それ以来、なにかで『禁じられた遊び』のメロディが流れると、そのシーンを思い出して涙腺が弱くなる。

 

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映画の“寅さんシリーズ”でも、忘れられないシーンがある。
女子高生役の桜田淳子さんが、亡き母親の想い出を語るシーンである。そのシーンは、(母親の)映像がない語りだけのものである。映像を使わず、セリフだけの説明というものは、シナリオとして、もっともインパクトが弱いはずなのである。
それなのに、涙が流れて止まらなくなった。おそらく、映画館で泣いたのはあれが初めてであろう。映像のない分、勝手に想像して桜田淳子さんが可哀想でたまらなかった。

 

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浜田省吾さんが、闘病中の父親を亡くした時、故郷へ向かう新幹線の中にて、自分のすべてのアルバムをヘッドホンステレオで聴いていた。
そのとき、車内販売の女の子が目の前に現れた。そして、この女の子にも家族がいるんだな、と思うと涙があふれ出たそうだ。
涙をこらえることのもろさを考えると、直接的よりも間接的にこられると弱いような気がする。直球より変化球がはるかによく効く。
そして、その沸騰点があるとき急にやってくることがある。いい歳をした自分が、ひとりテレビを観ながら泣きじゃくる姿を、想像すると笑えてくるのであるが、涙とまったく無関係なところに、その沸騰点が潜んでいるから始末におえない。