日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

まさかこんなことで日本が世界一になっているとは知らなかった

 

日本国内で使用されている食品添加物は、既存添加物(天然)が365種類、指定添加物(合成)が438種類の計803種類ということで、この数は世界一だとか。ちなみに、アメリカでは140種類、イギリスにいたっては14種類に抑えられている。

既存添加物は、天然添加物(てんねんてんかぶつ)ともいわれ、化合物に分解反応以外の化学反応を起こさせて得られる物質は含まない。

指定添加物は、化学的合成品や天然添加物など製造方法の違いに係わらず、食品衛生法第10条に基づき、厚生労働大臣が安全性と有効性を確認して、指定した添加物である。

 

 

人々は昔から、食品を着色したり保存するために、自然界にあるものを食品添加物として使ってきた。日本では梅干を漬けるとき、シソの葉で着色したり、豆腐を作るときにも「にがり」を使ってきた。

 西洋では肉を保存するとき岩塩を使うことで、保存性が高まるだけでなく、肉の色や風味も高まることを経験的に知っていた。岩塩の効果を調べてみると、岩塩に含まれる硝酸という物質が、肉汁の中の微生物により亜硝酸になることが分かった。

そこで、人工的に作った亜硝酸塩を使うようになったり、その技術を応用して、ハムやソーセージなどの色や味をよくするため、人工的な食品添加物が使われるようになった。

 

 

長引く不況や酒類増税のため、安いお酒が市場に出回って久しい。それが、合成酒発泡酒第3のビールなどである。これらの酒類も添加物との関わりは大きい。清酒醸造用アルコールを混ぜて量を増やしたり、アルコールに糖類、有機酸、アミノ酸などを加えて、清酒のような風味にしたアルコール飲料を加工する。

安いビールにしても、人工的な部分が多いので、より飲みやすい味に仕上げることができるそうである。また、昔からのビールも、ビール用の麦に農薬が散布されているため、安心していられない。

 

 

盲点とでもいうか、ふだん当たり前に使っている食器用洗剤は、1970年頃から多く使われるようになった。しかし、アトピーの増加と合成洗剤の普及の傾向は、同じ曲線をたどっている。それは、中に入っている合成界面活性剤に問題があるからだ。

水と油は混ぜ合わせようとしても、決して混ざり合わず分離している。この働きを界面張力というが、それを失わせ混ぜ合わせる役目をする物質が、界面活性剤なのである。界面活性剤は「石けん」と「合成界面活性剤」の二つに分けられるが、合成界面活性剤は石油カスから合成された人工の物質で、地球の生態系に組み込まれた物質ではない。

自然界で分解されないため、人間の体内に侵入するといつまでも分解せず、細胞に対しても同じような働きをしてしまう。そして、細胞膜中の脂質と結合し、バリア機能を破壊してしまうのである。

私は食器洗いで、めったに洗剤を使わない。水だけで落ちるモノは案外多い。それでもダメなら熱めのお湯にする。そして、だめな(脂分の)汚れのときに洗剤を使う。そのときは後悔をする。洗剤使用以前の問題で、水やお湯で落ちないほどの「脂分」を口に入れてしまったからである。

「脂=旨い」の図式が定着しているが、脂の摂り過ぎは、添加物同様に注意が必要と思っている。かつて洗剤を多く使うことで、公害問題になっていたが、今はだれも騒がない。当時、公害といわれた成分が今、緩和されているともきかれないが。

 

 

『食品の裏側』を書かれたAさんは、添加物のセールスマンであった。そして、あることがきっかけで添加物のセールスを辞めた。あるときAさんは、得意先の食品メーカーから、添加物によるミートボールの作成を依頼された。その食品メーカーは廃棄寸前の「端肉」が安かったため大量に購入した。そして、それをどう売りさばくかAさんに託した。

Aさんはそのどうしようもない肉に、安い鶏のミンチ肉を加え、30種類の添加物を大量に使い、ソースやケチャップに至るまで添加物まみれで、見た目も味も申し分ないミートボールを作り上げた。その商品は安くてかんたんな調理のため、スーパ-などで大ヒットとなった。そして、その食品メーカーは、ミートボールの売上だけで、ビルが建ったそうである。

毎日忙しく働くAさんが、早めに帰宅したとき、幼いお子さんがおいしそうにミートボールを食べていた。奥さんが、有名な大手メーカーのものだから、安全と思い与えていたものである。それは、Aさんが開発したミートボールであった。そして、Aさんはあわててそれをお子さんの前から奪い取った。

Aさん曰く、自分は添加物でいろいろな味を開発して、売るのが仕事と思い込んでいた。なのに、まさか自分の子どもがそれを食べるところはまったく想像していなかった、とのこと。そして、今までたいへんなことをしていた、と悟ったそうである。