日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

武田鉄矢さんにおける人生の節目を2度ほど生で目撃している

 

卒業の季節である。今の人気卒業ソングはよくわからないが、かつて『贈る言葉』が学校の卒業式の定番曲であったことは知っている。1979年11月、海援隊のポリドールレコード移籍6枚目のシングル曲である。武田鉄矢さんが主演したテレビドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌として使われ、レコード売上が100万枚を超える大ヒット曲になった。

海援隊は、1972年(昭和47年)、武田鉄矢さん、千葉和臣さん、中牟田俊男さんのメンバーでバンドデビューした。当初は全く売れなかったが、武田さんが母親のイクさんに向けた『母に捧げるバラード』(1973年)がヒットし、世間の脚光を浴びた。このバンドのリーダーの武田鉄矢さんは現在、歌手、俳優、タレント、作詞家として活躍されている。

 

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横浜駅西口に三越が開店したのは、1973年である。しかし、2005年には閉店して現在はヨドバシ横浜になっている。私が無名の海援隊を目の前で見たのは、開店したばかりの三越であった。時期的には、以前エントリした『地方巡業のユーミン』と同時代であろう。

たしか三越の上の方のフロアで、楽器店の催事スペースだったような記憶がある。狭いステージの前に折り畳みのパイプ椅子が数列並べられてあった。人もまばらでとりあえず一番前の席に座った。

その時点で初めて、海援隊という名前のバンドが演奏するということを知った。もちろん私は海援隊のことをまったく知らなかったが、演奏を聴きながら、音楽好きの友人が言っていたことを思い出した。その友人はコンサートにもよく出かけ、前座で出た海援隊について「おもしろいバンドで、歌がウケるんだ」と教えてくれた。めずらしいバンド名なので思い出しやすかったのかもしれない。

さて、すぐ目の前で歌うときの鉄矢さんの形相がこわい。異様に長い髪。大きくて長い顔。そのうえ、すごい短足なのである。数曲を終えて、最後に聴いた『母に捧げるバラード』はおもしろかった。この人たちは。コミックバンドなのかなとも思えた。

海援隊の鉄矢さんは話がうまい。千葉さんと中牟田さんは、純朴でおとなしい。ギターをとても大事に扱って、ケースからの出し入れ時には隅々まで布で拭いていた。
そしてそれからしばらくして、海援隊の『母に捧げるバラード』はヒットし、テレビでも聴かれるようになっていった。

 

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あれから2年くらいであろうか。横浜に用事があり夕方に時間があいた。桜木町から紅葉坂を車で走り抜けていたら、神奈川県立音楽堂海援隊のコンサートの開催看板が目に入った。ちょうど開演前であった。とりあえず車を駐車して、当日券があるか訊ねたら手に入った。この県立音楽堂は何度かコンサートに訪れている。当時も古いホールではあったが、壁面はすべて「木」で作られており、アコースティックな響きはなかなかのものであった。

海援隊に関しては、あれから夢中になっていたわけでもないが、懐かしさと出世後の演奏に興味があった。『故郷未だ忘れ難く』と『思えば遠くへ来たもんだ』はお気に入りでもあるし、生で聴けるのは楽しみでもあった。

とりあえず、中に入ってみるとホール内はガラガラであった。時間が早いからだと思っていたが、すぐに開演間近になった。それでも、千人くらい収容の会場はひっそりしていた。そして幕があいた。

 

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ふつうは同時に演奏が始まるところなのに、いきなり鉄矢さんのトークであった。「皆さん、今日はものすごく空いております。だから、どんどん前に詰めて下さい。遠慮なさらずに」と促された。

こんなことは初めてである。そして、演奏が始まった。移動した私の席は、中央の前から2、3列目である。なんで、また鉄矢さんの歌をかぶりつきで聴かねばならないのだろう。その運命に笑いが出てしまった。

終盤の曲間でも、鉄矢さんのMCには物寂しさが漂っていた。デパートの催事場のときは、これから世に羽ばたく手前で勢いを感じたのだが、このまま彼らは終わってしまうのか。そのような予感がよぎった。

それでも鉄矢さんは、熱く語っていた。「メンバーと話し合っています。俺がどんな手を使ってでも、活動を続けるようにしていくから・・と」。すぐ目の前で見た、悲壮感いっぱいの鉄矢さんの姿が忘れられない。

 

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武田鉄矢さんは、1977年(昭和52年)に映画『幸福の黄色いハンカチ』で、さえない青年役を演じた。それが高い評価を得た。映画初出演ながら日本アカデミー賞最優秀助演男優賞も受賞した。山田洋次監督に抜擢され、高倉健さんの相手役であった。俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目されるきっかけにもなった。

私もあの映画はよく憶えている。シナリオを夢中で書いていた頃で、あの映画や鉄矢さんの話を仲間たちとたくさんした。鉄矢さんにとってものすごいチャンスで、彼ならではのキャラクターが印象的だった。映画を観ながら、本当によかったと思っていた。

思えば、すぐ目の前で鉄矢さんの人生の両極端な状況のところを2度も見ていた。そして、3度目は目の前のスクリーンの中である、新天地へ飛び込む鉄矢さんを眺めているようであった。お客さんがまったく入らないコンサートで、「俺がどんな手を使ってでも・・」と絞り出すように語った「どんな手」がこれだったのか、と勝手に納得した。そして、あのコンサートから映画出演されるまでのご苦労は相当なものであったのではないか。

 

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1982年12月19日に解散した海援隊は、1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、1994年(平成6年)に本格的にグループとしての活動を再開し現在に至る。

武田鉄矢さんは、『刑事物語』シリーズ(1982年~1987年)や1979年にスタートした『3年B組金八先生』などで、個性派俳優として活躍した。「月9」枠の『101回目のプロポーズ』(1991年)では、平均視聴率が23.6%、最終回では36.7%という視聴率を記録している。

話を『贈る言葉』という曲に戻してみよう。作詞の武田鉄矢さんは、最近のテレビなどでもおっしゃっているが、元々は卒業ではなくご本人が女性に振られたときのお話だそうだ。数年前に、その女性が亡くなられていることを、伝え聞かれたらしい。また、作曲の千葉和臣さんは映画『エデンの東』のテーマに影響を受けて作られたそうである。

鉄矢さんは歌詞の一部を、太宰治さんの小説の台詞を元にしたとのこと。その歌詞が「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」の部分らしいので、私はそのネタ元をいろいろ探している。

まず、『斜陽』の台詞の中に「私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら」というのがある。

あと、書簡集から「人を憂うる、人の寂しさや侘びしさ辛さに敏感なこと、これが優しさであり、また人間として一番優れていることじゃないかな」も、かなり近そうに感じる。いずれにしても、こういう推理ゲームは楽しい。そして『贈る言葉』という楽曲に含まれるいくつかのエッセンスに、温か味を感じてくるのである。