日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

クォリティを意識した追っ付け仕事にあこがれる

 

「追っ付け仕事」という言葉を私はよく使う。仲間内の会話では、これで通じるのであるが、この言葉を検索してみたら「やっつけ仕事【遣っ付け仕事】」などとヒットされる。その意味は「間に合わせの粗雑な仕事」ということらしい。私の思う「追っ付け仕事」は、「間に合わせのクオリティが高い仕事」なので、意味合いがまったくちがってくる。
以前、「にっぱちの法則」について書かせていただいたが、「段取り八分、仕上げが二分」や「雑用8割、実務2割」といった20%の部分に位置するのが「追っ付け仕事」なのでは、とも勝手に考えている。
昨年、AKB48の新曲作りの現場がテレビ放映されていた。締切の最後の最後に秋元康さんの歌詞が送信されてくる。待機しているスタッフ陣は、スタジオでそれをじっと待ち続けている。夜中に仮歌の女性歌手も待機。そして受信されるとともに仮歌の吹き込み。その楽曲を基に、別のところで待機中の振付師が振り付けをつくる。こんな綱渡りのような追っ付け仕事で、莫大な利益を生み出す曲が作られていたことにおどろいた。

 

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「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない」。昭和天皇のすばらしい言葉である。雑草を雑用に置き換えると「雑用という仕事はない。どんな仕事でもみな・・」となってくる。雑用がしっかりできる人は、仕事もしっかりできる。雑用ができない人は、仕事もできるはずがない。雑用ほど、差がつきやすい仕事はない。そのことは重々承知していても、忙しい時に舞い込んでくるのが雑用である。

突発的な仕事や雑用がメインで、やらなければならない仕事はどんどん後回し。必要な仕事が追っ付けになり、20%しかなかった時間の比率もどんどん追いやられていく。そして、そういうときの仕事にこそクォリティの高さが要求されたりするのである。追っ付け仕事がこなせるかどうか、の能力が問われることは、とても多いような気がする。思えば、学生のときの一夜漬け勉強にも通じる。追っ付け仕事の結果がその人の能力と判断されることもあるだろう。そこに、追っ付け仕事の妙味を感じる。

 

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毎日、おもしろいブログを更新されている人がいる。私はその方たちのファンになり、読ませていただくのが、ルーチンワークになっている。毎日楽しみに拝読させていただいているのであるが、あのクオリティを維持したまま、書き続けられることに敬服している。

私は怠け者であり、追い込まれての追っ付け仕事ばかりである。忙しい中、毎日書かれている方は、ブログを追っ付け仕事いう感覚で書かれることはないのだろうか。それとも、書くことをルーチンワークにして、尚且つ、そこにクオリティを探求しているのかもしれない。とても、興味のあるところである。

一見、追っ付け仕事に見えても、アウトプットを具体的に知り尽くし、インプットの照準を合わせていく達人がいる。その照準をアウトプットのどの位置にへ置くべきか、さえも把握されている。

 

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プロとアマのちがいは、写真のコンテストなどでその度ごとに入賞するのがプロ、とよく言われる。フィルム写真の時代、知り合いのアマチュアカメラマンK島さんは、まさにプロであった。私がスタッフ参加していたモデル撮影会には、必ずといっていいほど現れた。

そして、私たちを見つけるとそばに寄ってきて長話をしていく。撮影会が始まりそれぞれお目当てのモデルさんたちにたくさんのカメラマンが群がり、ハイエナの如く撮影しているというのに、K島さんはそちらへ目もくれず私たちとの会話で盛り上がっている。さんざん話し込んだ末、「ちょこっと行ってくる」と撮影に向かう。撮影会はまだまだ続いているというのに、軽く一回りした程度でK島さんは撮り終えて私たちのところに戻ってくる。

参加カメラマンたちの多くは数十本のフィルムを使うのであるが、K島さんは2~3本程度が常である。それで毎回、必ず入賞した。トップ賞も多く受賞しているのである。他の撮影者はモデルにへばり付き、必死に撮りまくるがなかなか入賞できない。この差がとてもおもしろい。K島さんの方はほんのわずかな追っ付け仕事みたいなのであるが、クオリティはだれよりも高いのである。

 

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情報のアウトプットを心がけるのは大事である。情報をインプットするときは、どうしたら即座にアウトプットできるかを考えておく。このことを、K島さんの撮影法から感じるのである。情報を引き出すのに時間がかかってしまっては情報の価値が半減する。モデル撮影の場合は、群がるカメラマンどうしの闘いである。とくに撮影位置の確保や、モデルの視線の指示など。おそらく、K島さんはそんなところに時間をかけていなかったと思う。

結果良ければすべてよしで、そのためには逆算がうまいのではないだろうか。着地点(写真の仕上がり)を具体的に把握して、そのポイントに集中していたと思われる。当時のフィルムカメラでは、今のデジタルのように撮影後の写真をすぐに確認などできなかったが、K島さんは頭の中でそれができていたのであろう。

おもしろいブログを書かれる人たちに、共通して感じられることも、逆算のうまさなのである。アウトプットされたブログを、インプットの時点で思い描かれているのではないか、と感じてしまう。そういう方たちなら、時間が少ない中でもクオリティの高い追っ付け仕事は可能な気がしてくる。追っ付け仕事にこそ華がある。すばらしきかな追っ付け仕事。