日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人生は螺旋階段

 

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、「一年の計は元旦にあり」の意味を調べてみると、おもしろい発見があった。

明代の中国で編纂された『月令広義』という、年間行事や儀式等についての解説書の中の“四計”という項の一節に由来しているらしい。

  •  一日の計は晨(あした=朝)にあり。
  •  一年の計は春(正月)にあり。
  •  一生の計は勤にあり。
  •  一家の計は身にあり。

これを訳すと「一日は朝の気持ちのありかたで決まり、一年は年のはじめの決意で決まる。人生はまじめに勤めることで決まり、一家の将来は身の振り方(生き方)で決まる」といった意味だそうだ。元旦のみならず、一生を通しての心得と解釈できそうである。

 

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年末から年始における気分のちがいを、私は毎年ハッキリと感じている。

クリスマスまでは、仕事が忙しくなるも浮かれ気分でいられる。クリスマスを迎えてから大晦日に至るまでは、年内の残された用事が凝縮されて、あとわずかのあせりが強くなる。大晦日になると、ゆったり感の中に、妙な物思いも浮かんでくる。

そして、新年の三が日。2日までは正月気分であるが、3日の午後あたりから時の早さを感じる。そして、新年の出勤や(学生の頃は)登校に憂鬱感が現れる。年末のあのテンションが嘘のように冷めているのである。同じ連休でも、ゴールデンウイークやお盆休みとは別物の、大きな落差のある感覚である。

 

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樹木には、(通常温帯から寒帯の木の断面に生じる)同心円状の模様をした成長輪がある。成長輪のうち1年に一つずつ増加するものを年輪という。年輪を数えることで、その木の樹齢を知ることができる。このことは知っていたが、年輪には大規模な旱魃(かんばつ)や山火事、虫害などの痕跡が残されていることがあるらしい。この痕跡と様々な記録を比較することにより、その木の過去の生育環境を調査することができる。

 

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人間にとっての年輪は?と考えてみれば、螺旋階段が思い浮かぶ。上から見ると一年の輪をグルグル回っているだけであるが、横から見ると着実に登っているはず。

毎年同じことの繰り返しのようでも、人は皆、上へと登っているのである。そして、それこそが人生なのであろう。ただ、私の場合、階段の踊り場で、胡坐を組んで呑みながらの休憩時間が多いようで、歳の分だけしか登っていないような気もする。

とりあえずは年輪に負けず、なんらかの痕跡を残していければいい、と思っている。結局は、こんなことを考えながら、来年の正月も同じように過ごしているのであろう。

 

今週のお題「私の年末年始」