日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

佐渡

この島に訪れるのは4度目である。
先週の今頃はここにいた。気温は34度。帰りの新潟の道路での気温表示は37度にまでなっていた。積雪に対応した道路や建物を眺めながら、猛暑の中にいるアンバランスさがおもしろかった。

さて、私が佐渡に初めて訪れたのは12歳のとき。母親と弟とで、生まれて初めて(新潟までの)寝台列車に乗って昂奮していた。まだ、新幹線もない頃であった。
佐渡には母親の生家があり、夏休みにいなかへ行けたということである。
そこで食べた大きなトマトがとてもおいしかった。また、蛍を生まれて初めて見て数匹を虫かごに入れてじっくりと観察できた。

それから訪れたのが20歳で、友人ふたりとまったく(いなかの家に)事前連絡もせず、数日間泊めてもらった。島についてから急に連絡して、バスに乗って呑気に向かったら、祖父と祖母が停留所まで迎えに来てくれていた。私の電話の声を父親と勘違いしたらしく、緊張した面持ちだったのが、私らを見てほころんだ笑顔になった。

祖父とおいしい日本酒を呑み交わした。
男の子の孫としては、私が一番年長だったので、祖父にとって初めての孫との酒盛りであった。やはり、喜んでもらい楽しい時を過ごした。

昼間は友人と3人でじっくりと島めぐりである。バスの本数がとても少ないので、待ち時間がもったいないと徒歩でのスタートである。始めのうちはよかったが、歩き疲れてペースの早い者のあとにつきながら、ウトウトと半分居眠りもした。歩きながらの居眠りというのは、後にも先にもこのときだけである。

そのうち、ダメ元でヒッチハイクを試みたら、意外にあっさりと乗せてもらえた。
市役所の方の車にお世話になったときは、仕事中であるのに各観光地を案内して、見物させてくれて待機していてくれた。

そして、そろそろお別れというときに、左後ろのタイヤがパンクをした。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、私はそのタイヤを指さして写真を撮った。その写真もアルバムのどこかにあるはずだ。他に大きなトラックにも乗せてもらった。観光客がめずらしい時代でもあったのか、私たちの話を楽しそうに聞いてくれた。
また、別の日はレンタカーを借りて、南半周をドライブもした。

その数年後、祖父が亡くなり、(母親は先に行っていたので)父親とふたりで訪れた。
新潟からのフェリーは海が大荒れのため、激しく揺れた。
その船で、やはり葬儀に向かう伯父と会って、勧められるままに日本酒を呑んだ。
ちなみに、私の父親は宴席が大好きなのであるが、まったくの下戸である。その代行として私が呑む席などの相手を受け持つことが多かった。

葬儀の方は、我々の住む地域とちがいとても長い。
そして、その分日本酒を呑むことも多くて、とうとう悪酔い状態で気持ちの悪い状態から抜け切れなかった。父親も葬儀の区切りがついたところで、私に「逃げよう」とのサインを送ってきた。酒浸りの私も渡りに船との思いで、用事があるからとまだまだ続く葬儀から抜けた。

港に向かうバス亭の方へ向かい、運よく見つけたタクシーに飛び乗り、その反対方向の相川という町で一泊することにした。まだ葬儀中の家の前を通るときには、知り合いがいるため、父親とふたりでタクシーの後部席で身を伏せた。

母親だけ置き去りで申し訳なかったが、相川ではいい旅館でおいしい魚をいただきながらゆっくりできた。あれほど苦しんでいた悪酔いも、新鮮なイカ刺しですっきりしてきた。
また、苦しそうにしている私を見て、父親が背中をマッサージしてくれたのにも救われた。
その翌日は、レンタカーで南半周をドライブしながら帰りの港へ向かった。

これで、私としては佐渡を一周運転できたということになった。
帰りの船は当時運行を始めたしたばかりのジェットフォイルに乗れた。
高速で、新潟との往復時間がとても短縮できるようになったのだ。

それから34年後の先週に、また訪れることができた。
今回は観光バスの移動であったが、母親の生家の前を、行きは表から、帰りは裏から通過して確認できた。

観光バスでは、運転手さんが運転をしながら『佐渡おけさ』を歌ってくれた。
ずっと忘れていたけど、このことは子どもの頃から何度も母親から聞いていた。
それから数十年を経ても、その伝統が続いていたことにも感謝。

今回は、高速船「あいびす」を観光バス5台分のツアー客で貸切という中で訪れたが、我々のツアー客以外は観光客も少なく、素朴さは昔と変わらない。

ただ、ツアーポイントの目玉といっていいのか、その行先の中でジェンキンスさんと次女の娘さんに会える、ということが織り込まれている。娘さんはとても元気に酒蔵の商品の販売をしていたが、ジェンキンスさんの寂しそうな表情が忘れられない。
ツアー客への販売売上としては貢献しているけど、ご本人はどういう気持ちでいるのだろう。