「持っている」の勘違い
「持っている」の語源ってどこからきているのでしょうか。
サッカーの本田選手なども言っていたように思いますが、やはり印象が強いのはWBC 2009でイチロー選手が決勝で勝敗を決する一打を放った試合でのインタビューである。
今ではルーキー斎藤佑樹投手の代名詞のように「持っている」が使われているが、イチロー選手の「持っている」とはその意味がまったくちがうような気がする。
運がいいだけとの解釈と、千両役者には名場面の登場シーンが待ち受けているということ、との大きな違いとでもいうのか。かの長嶋選手などは「持っている」の元祖といってもいいほどであったし。
巨人のルーキー澤村投手はいいピッチングをしていても、巨人の貧打線が足を引っ張ってなかなか勝ち星に恵まれない。もし、(今年 異常なほどに好調な日ハム打線のような)庇護があれば、澤村投手なら文句なしの4連勝だろう。結果さえよければ、ではなく結果よりもプロセス。そこに人は酔う。
かたや順調に2勝をしていても、「持っている」だけで奥歯にモノが挟まったような言い回しの評価が大多数で、「ハンカチ王子」が「半勝ち王子」になった、などとの声も聞こえ始めている。結果よりも今のプロセスで、これからの差がどう出るのかが楽しみである。