日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

消える日本語が映す今の時代

 

1901年(明治34年)の冬に柳田国男さんが信濃路を旅した際、車屋が「とても寒い」と語るのを聞き、飛び上がるほど驚いたという。

“とても…できない”のような否定形を伴わない“とても”に、柳田さんは初めて出会ったという。でも今は「とても寒い」がふつうに使われている。言葉は生き物であり、時代とともに姿が変わる。

“青田買い”は、“青田刈り”として多く使われるらしい。
黄金色に実らぬ前の青田を買うのはいいが、刈り取ってしまっては収穫にならない。

世間の考えからずれている意味で“世間ずれ”を用いる人が増えたようだが、本来は“世慣れたずる賢さ”を評していわれる言葉だという。

劇作家・山崎正和さんいわく、言葉は変わりゆくものだからこそ誰かが<保守的に抵抗しなければいけない>。世代ごとに言葉が変わるようでは困る、とのこと。

 

1687

 

国文学者・折口信夫さんは清潔であることに細心の注意を払ったらしい。
つまようじをマッチの火で先をあぶり、消毒して使った。

泉鏡花さんは他家を訪問して座敷であいさつする時、手のひらが畳につくのを嫌った。
手首を内に折り曲げ、手の甲をあてたという逸話が残っているそうだ。
思えば、「つめの垢を煎じて」いう慣用句も、清潔とは言いがたい。

昔、文芸雑誌が「消える日本語」と題して特集していた。
そこには、“ごめんなさい”、“ありがとう”、“粋と野暮”、“武士の情け”などが紹介されていた。

今では“恩”や“孝行”の言葉が消えつつあるとも訊いた。
歌詞に“わが師の恩”とある『仰げば尊し』は、もう卒業式で歌われていないのだろうか。
家庭では“孝行”の代わりに、“虐待”が盛んに聞かれる時代でもある。

 

1688

 

かつて、三遊亭円生さんは「しばち(火鉢)」、「しとちがい(人違い)」で、桂米朝さんは「ひつこい(しつこい)」「ひちや(質屋)」となったとか。
江戸っ子は“ヒがシ”に、関西人は“シがヒ”になってしまう。

「布団を~」は“ヒく”か“シく”か? となれば、敷布団という言葉で喩えれば、“敷く”が正解だろう。「フライパンに油を~」は、“ヒく”の“引く”になりそうだ。“敷く”は、上に何かを載せるために広げること、“引く”は、表面に塗るように広げること、との違いらしい。

“とりつく島”を“とりつく暇”だと思っている人も増えているようだ。

昨日の新聞記事にあった。女流作家さんが22歳の女の子と恋愛の話をしていた時、「へぇ、2人はプラトニックな関係なんだねぇ」と言ったら、「プラトニックって何ですか?」と聞き返されてしまった、と。

“プラトニック”という言葉もなくなりつつあるのだろうか。

それならば、“胸キュン”でも“ワクワク”でもかまわないので<何にでも敏感だった当時に戻るような気持ちになれる>“ときめき”だけは、失わず持ち続けていきたいものだ。
おたがいに・・・。