日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

深まる夏には「よもやま話」を

 

電車通勤の頃は本を読んだ。本に飽きると、無意識に乗客を眺め、人間観察を楽しんだ。最近はそれも楽しめない。大部分の人たちがスマホとにらめっこをしているからだ。

そばに知らない人たちがいると、その人たちに対して友好的か、もしくは敵対的に振る舞うべきかどうかを知るため、その一人一人を調べにかかるらしい。それは、人間の本能なのだという。

“沽券(こけん)にかかわる”という言葉は、名誉や評判が傷つけられるような場合に使われる。“沽”は売り買いをすること、“券”は証文で、沽券とは土地の売り渡し証文を意味した。

券面には物件の価額が記載されていたことで、人の値打ちや体面にも用いられるようになった。混み合う車内で、他人をじろじろと観察するのは、やはりマナー違反ということなのか。

 

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寄席にお金を持って来てくれる客のことを“きんちゃん”というらしい。噺家の仲間うちにある隠語だという。つまらないことにも大笑いする客は“あまきん”で、反応がにぶいと“せこきん”と呼ぶとか。

どの客にも感謝の気持ちを込めるのだろうが、その道のプロには誇りもある。高座にいながらにしてお客を選別するようだ。

人の腸内に善玉菌と悪玉菌がいるというのはよく知られている。ほかには日和見菌というのもいる。健康な腸では、善玉菌が20%、悪玉菌が10%で、残りの70%は日和見菌なのだ。

善玉菌が優勢だと良い働きをし、悪玉菌が優勢になると、そっちに加担する。人間の社会によく似ている。

 

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戦後の闇市に全国一斉の取り締まりが行われたのは、1946年(昭和21年)の8月1日。70年前のことである。

映画やドラマのセットで最も高くつくのは何か。
演出家・鴨下信一さんによれば、明治の鹿鳴館や江戸の大奥でもないらしい。

<今や闇市ぐらい撮影に金がかかるものはない>のだという。(著書『誰も「戦後」を覚えていない』より)。

魚の皮の革靴や、鉄兜(かぶと)をつぶした鍋。たばこ巻き器などを撮影用に少数つくれば高価だろうと。都内などでは(焼け跡の小さなバーなど)今も名残りはありそうだが、現在の技術と物量でも再現のむずかしい不思議な場所が闇市だという。

語り継がれるウイスキーの名作コピーがあるそうだ。
<恋は、遠い日の花火ではない>である。
1994年に発表されたこの作品には、どこか哀愁も漂う。

購買層として狙う団塊世代への応援歌のつもりだったが、当初スポンサーは、このコピーを強く反対したという。明るさや元気さに欠ける印象を与えたとか。

作者・小野田隆雄さんが、少年時代の思い出として残る夏の風景なのだという。
“魅力的な寂しさ”があったと回想している。

遠い日の花火も、瞬間の芸術であることに変わりはない。時よ止まれ、の願いは叶わない。興奮の余韻にはかなさが混じり合い、帰路につく。夏の花火は今が佳境である。