見も知らぬ恩人と運の貯金
フーテンの寅こと車寅次郎は実に惚れっぽい。そして最後はフラれるのだ。映画『男はつらいよ』の目玉は、毎回登場のマドンナである。
数々の恋愛の中では、何度か受けいられるも自ら身を引く始末。
もっとも寅さんの恋が成就したら、名作が48本も続くことはなかった。
マドンナにフッてもらい、シリーズのロングヒットが成り立った。
寅さんをフッてくれたマドンナたちが、あの映画にとっての恩人なのかもしれない。
人には誰しも、顔や名前を知らない“恩人”がいて、今を生きられているらしい。
<今までに、私をフッてくれた人たち、ありがとう。おかげでこの息子に会えました>。
以前、日本一短い手紙のコンクール“一筆啓上賞”の優秀作に選ばれた一編だ。その作者は愛知県の女性であった。
息子さんからみれば、この世に自分の命があるのは、独身時代のお母さんをフッてくれた男性たちのおかげともいえそうだ。
作家・色川武大さんによると、“運”の貯金なるものがあるらしい。
人は営々と運を貯金しているのかも知れないと、随筆に書いていた。
賭け事の大家とも評された色川さんだからこそ、運と不運をみつめるまなざしには独特なものがある。
<不運な人とは実は運を貯金している人>であり、生涯ためるばかりで貯金をおろせない場合が多いらしい。親から子、子から孫へと、運の口座が引き継がれていくうちに、貯金をおろす幸運な末裔が現れるのだそうだ。
わりに合わないけれども、我々は3代か5代後の子孫のために、こつこつと運を貯めこむことになる。不運も貯金と聞けば、いくらかの救いがあるかもしれない。
名前も顔も知らぬ恩人となれば、遠い祖先もそうだろう。父母、祖父母がいて、そのまた父母がいて・・・と、何百年、何千年をさかのぼるなかの一人が欠けても、自分はこの世に存在しない。
また、“フッてくれた”誰かみたいに、(血縁のない)外野席の恩人もいる。そう考えると、今を生きているそれぞれの命が、奇蹟の産物なのである。
かけがえのない大切な命が、あまりにもむごたらしく失われている現実。被害者の方々には、“運”の貯金のチャンスさえ与えられていないのだろうか。言葉もなく、ただただ、こころが痛む。