日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

粋でモダンな池波正太郎さん

 

池波正太郎さんが亡くなり四半世紀が過ぎた。
生まれ育ったのは、江戸の風情豊かな下町であった。
職人だった祖父は孫をかわいがり、浅草や歌舞伎見物などによく連れ出した。

小学校を卒業した池波さんは、家の事情で奉公に出た。
奉公先を移り変わり、株式の仲買店に入った。

同店でのチップや小遣い銭で相場に手を出し、月給を上回る収入を得た。池波さんは映画、観劇、読書、食べ歩きを楽しみ、吉原で遊蕩にふけることもあった。

1946年には、東京都職員となりDDTを撒布してまわることもした。
その3年後には、長谷川伸さんに劇作を師事し、『名寄岩』(1955年)が上演され、自ら演出も行った。

都職員を退職後には、作品を次々と上演する一方、『大衆文芸』誌に小説を寄せ続けた。そして、『恩田木工(真田騒動)』により、時代小説を執筆活動の中心に据えるようになる。1960年に、『錯乱』で直木賞を受賞した。

 

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池波さんがブレークするきっかけは、1968年に連載開始の『鬼平犯科帳』である。無頼の青春を経て、“鬼”と呼ばれる怖さと優しさをあわせ持つ平蔵の魅力。それまでの捕物帳と異なり、盗賊側のドラマもしっかり描かれた。

ストーリーテリングと人物造形の上手さに加え、食べ物の描写が際立つ。作中の生活が人物に血を通わせ、江戸に命を吹き込んだ。

池波さんは、『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人藤枝梅安』、『真田太平記』など、戦国と江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表するが、美食家や映画評論家としても著名になった。

また、フランス映画を愛し、お気に入りの映画俳優は、ジャン・ギャバンだった。深夜の執筆中では、シャンソン、(ルイ・アームストロングなどの)ジャズを、ウォークマンで聴いていた。

江戸から続く下町庶民の生活感覚と戦前のモダニズムが、池波さんの中でうまく混ざり合い、その感性は作品にも生きていたようだ。

 

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江戸の闇社会を描く『仕掛人藤枝梅安』には、池波さんご愛好のフィルム・ノワールの香りがあるという。作品が古びない要因は、そういうところにもありそうだ。

亡くなる3年前の小説『原っぱ』は、当時の東京が舞台となる。
池波さんとおぼしき老劇作家の旧友が、地上げに耐えかねて生まれ育った下町を去る。<東京なんて、もう無いのも同然だよ>と。

時代小説3大シリーズが始まった1960~70年代には、高速道路やビルが次々と建ち並び、東京を全く違う都市に変貌しつつあった。

子どもの頃に残っていた<習慣や風俗、風景を“自分の江戸”と信じ>書いていると池波さんは語った。現在と過去がなめらかに結ばれた江戸は、記憶と思い出が作り上げた街なのだ。

池波さんの随筆『男の作法』で教わったことがある。「粋」を大げさに構えず、タクシーに乗った時、お釣りをもらわないだけでも自分が変わるから・・と。
ずっと実践して、ホンの小銭でも大声でお礼を言われ恐縮している。