日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

話し合いの食べ物に合う酒は

 

<起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半>。金儲けをしても人は畳半分か一枚分。一度に食べられる量も取るに足りない。

とはいえ、年末年始はご馳走にありつけそう。最近は鍋料理もよくいただく。この手の料理は、“話し合いの食べ物”なのらしい。それぞれの好みに合うようにと、薄くしたり濃くしたりして味をととのえる。

俳優・池部良さんの随筆にあった。作家・志賀直哉さんから、(猪鍋を食べさせると)湯河原の家に招待されたという。鍋料理を前に、ご機嫌の先生は味見をかねて、先に肉を食した。ところがそれをテーブルに吐き捨て、庭に鉄鍋を放り投げたとのこと。

味が気に入らなかったらしいのであるが、“小説の神様”と言われた志賀さんも、かなり短気だったようだ。

 

 

本年もあと3日。新年を待たずに酒量も増え始めている。欧州由来の醸造技術でビールの生産が盛んになったのは、明治半ばだという。洋風の食堂などで客が喉を潤す光景が見られることになる。

ビアホールに憧れていたのは、俳人正岡子規さんだったとか。ご自身のエッセイに、見た事のないもので、ちょっと見たいと思う物は“ビヤホール”と記した。

さて、私の好きなビリー・ワイルダー監督の映画『失われた週末』(1945年)の冒頭には、窓にぶらさげた酒瓶が登場して、主人公の作家が映し出される。身内や恋人にいくら注意をされても隠れて飲んでしまう。主人公は必死に酒を手に入れて、あらゆるところへ隠す。

ユーモア溢れる作品のイメージがあるワイルダー監督であるが、アルコール依存症をシリアスに描いた最初の作品になっている。その気持がよくわかるだけに、観ていて悲しくなる。

そういえば昨年に、飛行機内のごみ箱を酒瓶の隠し場所にしていた40歳代の女性客室乗務員が、アルコールを検知されたという問題が起きた。

 

 

男性パイロットの飲酒不祥事は多いようであるが、女性乗務員は珍しいのでは。まずは、乗客に提供していないはずのシャンパンの空き瓶がごみ箱から1本見つかった。

客に提供していないのに、空になっていた。 ⇒ 客以外の誰かが失敬したのか? ⇒ もしや勤務中の飲酒なのか・・・と調査した。

そして、アルコールの臭いを感じたと複数の同僚も証言をして、会社は女性乗務員が酒を飲んでいたと結論付けたのだ。

年末年始は、おいしい料理やお酒も多いので、注意をしなければいけない。この時期に、作家・内田百閒さんに叱られたという出版関係の方のお話を思い出す。

「お忙しいですか」と百閒さんに聞かれ、「忙しくて困っています」と答えたという。

すると百閒さんいわく、<忙しいというのは、ひとに向かって尋ねるときの言葉ですよ。自分で自分を忙しいというのはバカです。1日24時間を自分で適当に処理できないで、どうしますか>と。

なるほど・・と、うなずきながらも、今年はホントに忙しかった。(^^ゞ

 

クリスマスに はしゃげた時代


まだ昭和の頃だったか、クリスマスの日に仕事で車移動していた。カーラジオのFEN(極東放送網)からクリスマスソングが延々と流れて、聴いているうちにウキウキしてきたのを今もよく憶えている。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではなく、降誕(誕生)を祝うミサなのらしい。当時は一日の境目が日没。教会暦上では、12月24日(クリスマス・イヴ)の夕刻から朝までが、クリスマスと同じ日に数えられたとか。

今の若い人たちはどんなクリスマスソングを聴いているのだろうか。私たちのときは、いろいろな曲が流れていた。『クリスマス・イブ』(山下達郎さん)が定番みたいになっているけど、この曲に馴染みはない。

浜田省吾さんの『MIDNIGHT FLIGHT(ひとりぼっちのクリスマス・イブ)』やB'zの『いつかのメリークリスマス』などを聴きながら、クリスマスのイメージをふくらませた。

 

 

松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』も流れると楽しい。稲垣潤一さんの『クリスマスキャロルの頃には』は歌って盛り上がった。『WON'T BE LONG』(バブルガム・ブラザーズ)みたいなノリで、みんなで踊り狂った。

昔ながらのお気に入りは、『Santa Claus Is Comin' To Town(サンタが町にやって来る)』で、聴くとからだが自然に動く。ビング・クロスビーさんの『ホワイト・クリスマス』も大好きだ。それこそFENから流れると最高な曲である。

今は家でAIスピーカーからクリスマスソングを聴いている。ジャズのクリスマス、クラシックのクリスマスもいい。しかし、一番聴き入ってしまうのはキッズのクリスマスである。クリスマスだとなぜか童心に戻ってしまう。

 

 

5年前のクリスマスは、当時行きつけのスナックで盛り上がった。歌って騒いだ後、あれこれ話をしたが、メリークリスマスからの連想か、ハマ(横浜)のメリーさんの話になった。店に残った4人の全員が、メリーさんを目撃していると知っておどろいた。

白塗りのお顔と真っ白なドレス。学生の頃は何度見ても怖くてドキドキした。スーッと横から現れてくるのでよけいにビックリ。横浜育ちは私だけで、あとの3人は東京や別の市の出身だった。

さて、クリスマスの風景で思い浮かぶのは黒澤明監督である。音と映像の対位法(コントラプンクト)というのを、映画『醉いどれ天使』で試みた。悲しい場面などでは、明るい曲をわざと挿入する表現方法である。

落ちぶれた主人公が病(やまい)に苦しみながら、闇市をさすらう。その陰鬱な場面に明るい曲の『カッコウワルツ』を流した。そのことで、主人公の惨めさがより強調されるのだ。

その感性は黒澤さんの実体験から生まれたという。気が滅入ってたまらないときに、街角からクリスマスの明るい音楽が流れ、よけいに落ち込んだとのこと。

クリスマスを迎えれば本年もあと一週間。今年はまだまだ仕事が残っていて、落ち込む暇もなさそうなのである。

 

 

今週のお題「クリスマス」

逸話から垣間見られるホント

 

私はどんなジャンルでも逸話が好きである。

「今日のお客さんは◯百◯十何人でしたね」と、演壇から降りて係の人に告げた。将棋の大山康晴十五世名人が講演をした際の逸話だ。その数は主催者の記録と、ぴたり一致。「客席は将棋盤と同じマス目だから、ひと目で分かりました」と。

棋士の頭脳は神秘的。神童と呼ばれた少年たちの一握りだけがプロになり、タイトルを手にする確率は極小。“永世”の称号となれば、宇宙にも届くような天の高みである

この時期の季語に“凍星”がある。凍てつく夜空には鋭い光の星が似合う。また、星空は人を哲学的にもする。

さて、水の存在を示す鉱物が小惑星17個から見つかったという。日本の赤外線天文衛星「あかり」が、小惑星表面の反射光から水を含む鉱物を検出した。

 

 

地球の生命や水の起源は宇宙にあり、空から降ってきたという見方が有力な仮説になってきた。天文学用語である「隕石重爆撃期」は41億年前~38億年前に月や地球と小惑星など他の天体との衝突が頻発したとの説に基づく。

この“重爆撃”が、地球に水や生命のもととなる有機物を運んだ、との観測だ。理屈がわからなければ人が納得しないのは、いつの世も同じである。

1922年、ちまたの妄言によほど困ったのか味の素がある広告を出した。<味の素は断じて蛇を原料とせず。弊社は名誉を賭し、ここに声明す>と。そして、小麦を原料とすることや製造法を詳しく明記した。そして、しばらくして妄言は収まった。

この時期など、“伊達直人”を名乗り、兵庫県内の児童養護施設にクリスマスケーキなどを30年以上も贈ってきた男性がニュースになったとき、初めは妄言なのかと思った。そして、正体不明の人物に興味を持った。

漫画『タイガーマスク』で、タイガーの正体である伊達直人は、トラックにはねられそうになった子どもを助けようと飛び出し、身代わりに死んでしまう。

 

 

強いタイガーが交通事故であっけなく・・・。死の間際、伊達直人上着のポケットにあった虎のマスクを、そばの川に投げ捨てる。自分がタイガーだったことを隠し通すためである。子どもたちへの善行も知られず、報われることのない最期は、切なくて印象に強く残るシーンである。

数々の名作を残した作家・池波正太郎さんの作品のラストシーンも、感動的なものばかり。食通で映画評論家としても著名であった池波さんの逸話も楽しい。

年賀状に関する話は有名である。年が明けると、池波さんは年賀状の干支の絵を描いた。流行作家の池波さんの暮れは多忙で、書くことができなかったのか。と思いきや、描いているのは来年の年賀状の下絵なのだという。

毎年、数千枚の年賀状を出していたので、年末になってからではとても間に合わない。そのため、春に刷り上がった年賀状を日に十枚ほどずつ書いていくという。これほどまでに丁寧な年賀状を、もし、いただけるのなら、家宝にしたくなりそうだ。

 

その判断基準はどこにある?


日本は異常に海岸線の長い国らしい。その長さのランクは世界で6位。とはいえ、国土面積が日本の25倍近くもある米国の(海岸線の)1.5倍。26倍近くもある中国の2倍以上にもなる。

四方を海に囲まれているだけではなく、海岸線の多くが凹凸に富んでいる。島国に閉じこもっていれば安心という内向きの思いが、江戸時代中期まであったようだが、外国人による上陸や略奪事件が実際には起きていた・・とか。

戦後の日本人の海防に対する意識も似たようなレベルらしい。日本海沿岸への北朝鮮オンボロ木造船の漂着などのニュースもよく耳にする。2017年には、北海道南端部で無人松前小島にある管理小屋の窃盗事件が起きた。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、オーブンレンジ、コンポからバイクまでが消え、軽油や灯油に石けん、シャンプーまで根こそぎ泥棒された。長すぎる海岸線を持つ国の宿命とはいえ、やられ放題である。

 

 

複雑で長い海岸線を判断基準におくと、この国の対応策も具体的になるかもしれない。

俳優・高倉健さんは、出演する映画作品を選ぶ判断基準について語ったことがある。まずは“脚本の中身”。それと、出演料だという。数々の名作で主演をこなした健さんのイメージと違和感がある。しかし、具体的な理由があった。

<僕はギャラの額を大切にします。いかに必要とされているかが出演料でわかる。そして、撮影前に多くのものを背負っていれば、自分を追い込むことにもなる。今日はつらいから撮影をやめる、なんて絶対に言えなくなる>。高倉健さんの判断基準は実に明確である。

スズメバチは通常、時速5キロほどで悠々と飛んでいる。それが、怒れば速度を一気に5倍以上に増して、人を追い回すとのこと。まるで、危険な“あおり運転”みたいだ。スズメバチとあおり運転の加害者が共通する判断基準は“キレる”のようである。

 

 

囲碁呉清源さんは若い頃に、夢のなかで妙手を見つけたそうだ。<目がさめてから、形の一部をおぼえていることがある>という。

そういえば、ビートルズのあの名曲『イエスタディ』も、ポール・マッカートニーさんの夢に現れたメロディーから生まれた。目がさめて、その曲をすぐに楽器で再現した。ただ、迷いがあった。果たしてそれがオリジナルなのか、すでにあった曲なのか・・・。

周りの人たちに聴かせることが判断基準になった。まちがいなくオリジナルだ、と。一芸に抜きんでた人は、夢も無駄には見ないようである。

さてさて、年末である。まだ年賀状を出していない。今年はすでにいただいている喪中ハガキが多い。知人ともども年を重ねている。

もう何年も、何十年も会っていない人の記憶を、年に一度 呼び覚ます。年賀状の終活などと言われているが、ここ数年はその判断基準をどうしようかと考え始めては・・いる。

 

思いもよらぬことが普通へと

 

吾輩は猫である』(夏目漱石さん)の一節にある。<人類で最初に海鼠(なまこ)を食べた者はその胆力において敬すべく・・・>と。

「海鼠の化けたよう」なる ことわざもあるという。醜いものの例えらしい。海鼠は見た目で損をしているのか。とはいえ、あの歯ごたえに味わいがあり、酢の物などを肴に一杯はうれしい。

そういえば、最近は口にしていない。先日のテレビニュースでは、最近あまり穫れないと言っていた。その際、海鼠の形容詞として「高級食品の・・」とあり少々ビックリしたが、食物の位置づけにも時代の移り変わるがあるのだろう。

20年以上も前、プロの将棋棋士を対象にあるアンケートが行われたそうな。<コンピューターに負ける日が来るのか>。多くの棋士が全面的に否定するなか、その日が来るのを正確に予想していた棋士がいた。羽生善治さんである。

 

 

人間にあってAI(人工知能)にないのは“恐怖心”である、と羽生さんは言った。長い歴史で生き延びるために、人間は“恐怖心”を獲得した。しかし、AIは怖いもの知らずで、人間の思考の盲点を平気でついてくるのだ・・・と。

<あなたは監視されている>。かつて、新聞記事の見出しにあった。防犯カメラや監視カメラにもAIが絡めば、いくつもの情報が手に入る。人間の気づかない盲点をチェックできるのだから。

全国一の繁華街・東京の歌舞伎町に、防犯カメラが導入されたのは2002年だという。「防犯効果に地元期待」や「善良な市民の平穏まで害するおそれがある」など、賛否両論の意見があったとのこと。

地元の期待通り、歌舞伎町での犯罪は激減した。それが評判となり、全国で防犯カメラの導入が相次いだ。現在国内では、約500万台が稼働しているともいわれる。

 

 

2018年、渋谷の繁華街にてハロウィーンで仮装した若者や外国人ら4万人を超える人出があり、トラブルが相次いだのは記憶に新しい。とくに目立ったのが、取り囲み横転させた軽トラックで、はしゃぐ若者たちの狂態であった。

警視庁の捜査員は、現場周辺のカメラや通行人が撮影した画像を収集、解析して、軽トラック横転にかかわった15人を追跡した。そして、約2週間で全員の身元を割り出し、とりわけ悪質だった4人の逮捕に踏み切った。あの群衆の中からそこまでできることに驚いた。

しかし、こちらの国はもっともっと上手(うわて)だ。中国の監視カメラは2億台に迫る勢いだという。そして、それらのカメラは「天網」と呼ばれる最新の顔認証技術を持つ。そのシステムで、14億人の国民のなかから即座に人物を特定できる。追跡するのは犯罪者だけではなく、もちろん民主活動家らも監視対象になるのだ。

“覗く”という行為に人間は“羞恥心”が伴うだろう。ところが、AIには“羞恥心”もなければ“恐怖心”もない。“清濁併せ呑む”が如く、人間を裁く日も遠くはないように思える。

 

ガリ切りの名人と語呂合わせ

 

ふと、懐かしきことが思い浮かぶ。あの頃...手軽にプリントを作るとき、謄写版印刷機が欠かせなかった。どういう訳か、我が家にもあった。ロウ引き原紙に鉄筆でガリガリと音をたてて文字を書く。あのガリガリ感覚が蘇る。

そこからガリ版と呼び、その作業をガリ切りと言ったようだ。当時、学校の先生は上手で試験の問題なども手作りだった。その憧れで、自分も使ってみたものの、必ず手がインクまみれになった。

先生は見事な「学級だより」も刷っていた。デジタル以前の手書き文字ってやっぱりいい。文集や創作品も、謄写版印刷で作った。パソコンの文書より、熱き感覚だったのか。

<立派なことが書いてある本はどうせ嘘だから読まない>。百の能書きよりも一つの実証を大事にした。ホンダの創業者、本田宗一郎さんは読書嫌いだったとか。本田語録で“本には過去のことしか書かれていない”とあるそうな。

 

 

いいクルマ、いいエンジンであること は百の宣伝文句ではなく、一つの勝利によって実証したかった。本田宗一郎さんは、亡くなるまで自動車レースの最高峰F1世界選手権に血をたぎらせた。それでもホンダは、2009年以降F1世界選手権シリーズから撤退する方針を発表した。

昭和と平成の境目の頃から、新聞記者の生活は大きく変わったという。それまでは取材に出てしまえば、会社に連絡しないかぎり、行動の自由があった。職種は違えど、我が身も同感である。ポケットベルのおかげで、いつでも呼び出されるようになった。

新聞記者は他社の記者と居酒屋で一杯やっていると、一斉に鳴り響く。あのピーピー音だ。そこから始まるのが、公衆電話の争奪戦。当初、ポケベルは外出が多い営業職などビジネス用途で広まった。

それが、若い女性を中心に、数字や記号の表示機能を利用して、語呂合わせを楽しむ遊びに発展。大流行したのだ。

 

 

「0840(おはよう)」といった語呂合わせのメッセージが、発端だったのかもしれない。「12345780」では、6と9がないから「ろくでなし」。そんな“技あり”も生まれた。

平成8年(1996年)には、国内全契約数が1061万件に達した。← それも次第に携帯電話へと取って代わられることになるのだが。

1968年に電電公社(現NTT)が始めたポケベルも、2007年にNTTドコモは全サービスを終了。その後、ポケベルの事業を国内で唯一展開する東京テレメッセージは2019年9月にてサービスを終了した。

約50年の歴史に幕を下ろすきっかけは、契約者数が約1500人まで減ってきたことだという。今、謄写版などよりすごいことが簡単にできるパソコン、そして何でもできる高機能スマホが手元にあるが、できて当たり前が前提で、あのワクワク感がなぜか失われている気がする。

 

テレビっ子の原点ならアレ?

 

私は“テレビっ子”である。とはいえ、テレビではなくスマートフォンなどで、動画や配信映像を楽しむ人が増えている今は、この言葉も死語なのかもしれない。私もリアルタイムの番組はほとんど観ていない。

白黒、カラー、地上デジタルと進化してきたテレビも、2018年12月1日からは、BSで本格的に家庭向け4K・8K放送が開始。美しい映像をより鮮明で楽しめるという反面、私の周りでは現在の2K放送で十分という人ばかりである。以前、新聞のコラムにあったが、期待する一方で4K・8Kは「四苦八苦」なのらしい。

平凡でありふれた日本人の光景でも、長い一日の終わりに同僚と飲み交わすことは、西欧人の目からは“日々の祝賀”のように新鮮に映るとか。日常生活にドラマがあるという。

ちなみに、私が最初に観たテレビドラマは『月光仮面』だ。技術は進歩しても、高画質の映像でなにを見せるかが肝心なようである。

 

 

テレビ黎明期の昭和30年代、大村崑さんを有名にした時代劇コメディーの役名は「尾呂内楠公」。「姓はオロナイン、名は軟膏(なんこう)」というセリフを今も覚えている。

最近は、大相撲の生中継で観客としての大村崑さんをテレビでよくお見かけする。上述の時代劇『頓馬(とんま)天狗』の頃と変わらないくらいにお若く感じる。

我が家で最初の白黒テレビから、大相撲の生中継はずっと続いている。今も視聴率はかなり高いようだ。

先月の大相撲九州場所では白鵬が43度目の優勝を飾った。私はこの大横綱のファンであるが、相撲や態度にひどいことをいう人も多い。この場所も遠藤との取り組みで、強烈なかち上げ(肘打ち)で遠藤を出血させていた。

 

 

白鵬は、相撲の歴史なども日本人力士よりよく勉強して、日本の国にも敬意をはらっている。本来、白鵬は突っ張り、張り手など相手と離れて相撲を取ることを好む力士で、近年は衰えもあり、多彩な技を繰り出す。

白鵬を、横綱相撲でないと批判する人たちにとっての理想は、双葉山大鵬なのだろう。受けて立つという相撲で、恵まれた体格と力で圧倒的な強さを発揮した。そして、彼らのようなスタイルでなければ横綱らしくない、という見解の人が多い。

勝率.962で史上最強の力士といわれる雷電は、まったくちがうタイプだったという。あまりにも強すぎるために、“張り手”や“鯖折り”、“突っ張り”などが禁じ手にされたというからすごい。あと、第22代横綱太刀山も同タイプだったとのこと。

物は考えようで、白鵬が昔のすごい力士たちの取り組みを、再現してくれているのだ。スピードと躍動感があふれる白鵬の相撲は、意外性もありワイルドである。案外、これが大相撲の本質なのかもしれない。

 

対等に話せるためにはAIを

 

わずか20年ほどで、ITは私たちの生活を大きく変えている。その快適さからもう後戻りはできそうにない。世界中のパソコンやスマホの膨大なデータは、プラットフォーマーと呼ばれるIT(情報技術)大手が吸い寄せ、それをまた新たなビジネスへつなげていくから肥大化するばかり。

当然、ネット社会の落とし穴もある。スマホにしても、あの小さな端末内の個人データも相当なもの。さまざまな検索履歴、交友関係、音楽の趣味も、写真だって数千枚。紛失したらとても厄介なことになる。あなたのすべてが知られてしまうから。

さて、安倍首相主催の「桜を見る会」で、紛失? したデータは復元できないと。招待者文書も電光石火のごとくシュレッダーで破棄された。なぜ都合よくそういうものがなくなるのか。今の時代、毎年開催されるもののデータを残さないということは考えられない。個人レベル以下である。

 

 

今、よく話題になるのは、米国生まれのグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン(略して「GAFA」)の膨大なデータについてである。自分に関するあれこれを見えない力に握られて悪用されたり、国家権力と結びつけばさらにたちが悪い。それ以前に、この国の政府では、オープンすべきデータを削除することに必死のようである。実に情けない。

情けないといえば、部下と心が通わぬ上司も増えているのだろうか。<飲み会に 部下を誘って 10連敗>。サラリーマン川柳の入選作にあった。

私は上司とよく飲んだが、会社関係の飲み会というと「若い人に敬遠されがち」、「仕事の話ばかりでつまらない」などとネガティブなイメージのようだ。

この場面でもAI(人工知能)が活躍してくれるという。その名も「先輩風壱号」で、長野県のビール会社が開発した扇風機なのだという。職場の飲み会を嫌がる人が多い現状を変えようと、AIが会話に聞き耳をたて、上司が先輩風を吹かせばビューと吹き付けるとのこと。

 

 

“甘い"、“バブル"、“近頃の若者は"、“俺の若い頃は"・・・といった約2000のキーワードにAIが反応するという。AIスピーカーにもそういうスキルができるといい。扇風機ではないから、代わりにブザーが鳴るとか。

「先輩風壱号」は昨年の開発というから、今は世間に出回っているのだろうか。この扇風機をそばに置けるなら、上司がわざとダメなキーワードを連発したり、若者が引き出させたりで、ギャグとして楽しめるかもしれない。

<相談は 上司先輩 よりネット>や<ブログ見て 部下の本音を 家で知る>の時代でも、ある調査で意外な結果が出た。

「上司と部下の飲み会実態調査」(800人対象)にて、飲み会では上司が部下の1.7倍も話しているとか、部下の6割以上が上司の武勇伝を聞かされた、などネガティブに感じたが、「上司と“対等に話せる"飲み会は楽しい」と思っている部下が71.0%もいたという。

さて、いよいよ忘年会の時期である。

 

本来と異なる用途に商機あり

 

今秋に始まったテレビの連続ドラマはけっこう楽しい。大好きな『結婚できない男』が13年ぶりに復活、『時効警察』も12年ぶりの復活である。

あと、女優・波留さん主演のドラマ『G線上のあなたと私』は、見慣れた地元周辺のロケシーンがとても多いので、背景まで気を入れて観てしまう。

バイオリン教室で知り合った3人が、それぞれに待ち合わせて、一緒に練習するシーンも多く登場する。その場所は、カラオケボックスなのである。

防音設備の整うカラオケボックスは、周りへの迷惑を気にせずに利用できる。カラオケ業界でも、カラオケボックスを“歌う”以外に・・・と、活用するサービスが広がっている。

室内で自分の好きな映画などを鑑賞できるサービスに力を入れたり、ボードゲームの無料貸し出しを始めたところもあるようだ。

 

 

背景には、カラオケ自体の先細り感があるという。1995年に国内のカラオケ人口は5800万人を超えたが、近年は4700万人程度まで減少。仲間や会社での飲み会が減り、2次会でカラオケに行く機会も少なくなっている。

各社は、本来の目的とは異なる用途に商機を見いだそうと必死なのだろう。

また、飲食店などではメニューはそのままでも、個人席(スペース)を用意して、スマホの充電、利用ができて飲食を楽しめるようにしている。利用スペースを改良することで売上が伸びているのだ。

サービス形態はちがっても、“個室化ビジネス”ということがポイントになるようである。複数の人で自動車を共有するカーシェアリングでも、移動手段での利用以外で使われ始めているとのこと。

仮眠や読書など、手軽な個室として利用する人がいるらしい。また、企業の営業社員がカーシェアで借りた車を、営業先への電話をする「オフィス」として利用するケースもあるという。

 

 

首都圏400人のカーシェア利用経験者で、利用方法についての調査を、昨年に大手通信社が行った。その中で、移動以外の用途にカーシェアを使っている人は約13%だった。その中の内訳は、仮眠64%、友人や家族との電話が40%、読書34%とのことである。

短時間でも利用でき価格も安いので、手軽な部屋と考える利用者が多いようだ。思いついたときにスマートフォンやネットで、(15~20分単位という短い利用時間から)簡単予約ができるのも魅力のようだ。

仮に1時間だけ利用したとして、(車種によっては)喫茶店のコーヒー1杯程度の負担だというからすごい。

<ものがゆるみ、ほどけ、流動し、とけていく>。国語学者大野晋さんいわく、「名詞の“時”は動詞の“解ける”と語源を同じくする」という仮説を唱えた。同様に、<時代の流れで、使い方もほどけ、流動し、とけていく・・・>のではないだろうか。

 

 

今週のお題「紅葉」

アナログに追いつけない性能

 

デジタル時代以前、一般的に映画で使われていた35ミリフィルムの映像の解像度は、4Kに相当するという。フィルムで撮られた名作映画やテレビ番組が、相次いでデジタルリマスターされているのはそのためらしい。

従来のテレビ放送は、その解像度で映せなかったが、4K放送でそれが可能となり、最新技術でやっとオリジナルフィルムの高い性能に、放送の環境が追いついたという。

ただ、2018年12月1日スタートの新4K・8K衛星放送も、視聴比率はまだ低く、自宅に4Kテレビがあっても、4K放送を視聴している人は、まだまだ少数派であるのが実態だとか。

フィルム映画を多くの映画館で当たり前に観ていた世代であるが、アナログの性能に改めて驚く。

美談も、人々のアナログ感覚が刺激されるとすごいパワーだ。一昨年 米国で、車のガソリン切れのため立ち往生した女性は現金がなくて困っていた。近くにいたホームレスの男性がなけなしの20ドルでガソリンを買ってくれたという。

 

 

感激した女性はネットで話を広め、男性への寄付を呼びかけると短期間に約4千万円が集まった。デジタルの拡散力が人情に訴えかけたのだろう。

後日、真っ赤なウソだったことが判明。女性とホームレス役の男性は知り合いで、ガソリン切れも20ドルも全部作り話だった。それは、日本にも昔からあった「泣き売(ばい)」という手口で、人情に付け込み商品を売るものに似ている。

アナログといえばこの人か。サイバーセキュリティ基本法改正案を所管する元五輪相だった桜田氏。一年前の衆院内閣委員会で、担当能力を不安視する声に反論した。

その前の国会答弁では「自分でパソコンを打つことはない」と述べた。

野党議員から担当閣僚としての能力を問われ、<有能な人間の能力を総結集して、ジャッジ(判断)するのが私の仕事だ。私は、判断力は抜群だ>と胸を張った。

米紙ニューヨーク・タイムズは、桜田氏の発言について「コンピューターを使わない人は多い。だが、そのほとんどは国家のサイバーセキュリティー責任者ではない」と論評。

質疑で桜田氏は<世界に私の名前が知られた>と述べたそうな。もはや、アナログをも超越した人なのだろう。

 

 

<鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも>。石川啄木さんの歌である。私にもよくある。酔った自分の姿を街中のショーウインドウに見つけたときなどに。

普段は、ひとの人相に内心あれこれ文句をつけているも、鏡の自分の人相の悪さにドキリとすることがあるのだろうか。

「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い」。首相当時の麻生氏が公式の場で述べたという。不明朗なカネや見識を疑う放言で閣僚が、性懲りもなく入れ替わる昨今、“政治家には・・・”と置き換えた方が説得力は増す。

漢字の読み方や言葉遣いと、首相の仕事が小学生の勉強並みに大変なことだったであろうが、総選挙という有権者の「鏡」に身を映すまで我が身が見えていなかったようだ。

10年前のあの鏡も、その奥の国民にもよく見えないように曇りきっているのかどうか。閣僚たちがやっていることは、なにも変わらないのに・・・。

 

 

今週のお題「紅葉」