日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ガリ切りの名人と語呂合わせ

 

ふと、懐かしきことが思い浮かぶ。あの頃...手軽にプリントを作るとき、謄写版印刷機が欠かせなかった。どういう訳か、我が家にもあった。ロウ引き原紙に鉄筆でガリガリと音をたてて文字を書く。あのガリガリ感覚が蘇る。

そこからガリ版と呼び、その作業をガリ切りと言ったようだ。当時、学校の先生は上手で試験の問題なども手作りだった。その憧れで、自分も使ってみたものの、必ず手がインクまみれになった。

先生は見事な「学級だより」も刷っていた。デジタル以前の手書き文字ってやっぱりいい。文集や創作品も、謄写版印刷で作った。パソコンの文書より、熱き感覚だったのか。

<立派なことが書いてある本はどうせ嘘だから読まない>。百の能書きよりも一つの実証を大事にした。ホンダの創業者、本田宗一郎さんは読書嫌いだったとか。本田語録で“本には過去のことしか書かれていない”とあるそうな。

 

 

いいクルマ、いいエンジンであること は百の宣伝文句ではなく、一つの勝利によって実証したかった。本田宗一郎さんは、亡くなるまで自動車レースの最高峰F1世界選手権に血をたぎらせた。それでもホンダは、2009年以降F1世界選手権シリーズから撤退する方針を発表した。

昭和と平成の境目の頃から、新聞記者の生活は大きく変わったという。それまでは取材に出てしまえば、会社に連絡しないかぎり、行動の自由があった。職種は違えど、我が身も同感である。ポケットベルのおかげで、いつでも呼び出されるようになった。

新聞記者は他社の記者と居酒屋で一杯やっていると、一斉に鳴り響く。あのピーピー音だ。そこから始まるのが、公衆電話の争奪戦。当初、ポケベルは外出が多い営業職などビジネス用途で広まった。

それが、若い女性を中心に、数字や記号の表示機能を利用して、語呂合わせを楽しむ遊びに発展。大流行したのだ。

 

 

「0840(おはよう)」といった語呂合わせのメッセージが、発端だったのかもしれない。「12345780」では、6と9がないから「ろくでなし」。そんな“技あり”も生まれた。

平成8年(1996年)には、国内全契約数が1061万件に達した。← それも次第に携帯電話へと取って代わられることになるのだが。

1968年に電電公社(現NTT)が始めたポケベルも、2007年にNTTドコモは全サービスを終了。その後、ポケベルの事業を国内で唯一展開する東京テレメッセージは2019年9月にてサービスを終了した。

約50年の歴史に幕を下ろすきっかけは、契約者数が約1500人まで減ってきたことだという。今、謄写版などよりすごいことが簡単にできるパソコン、そして何でもできる高機能スマホが手元にあるが、できて当たり前が前提で、あのワクワク感がなぜか失われている気がする。

 

テレビっ子の原点ならアレ?

 

私は“テレビっ子”である。とはいえ、テレビではなくスマートフォンなどで、動画や配信映像を楽しむ人が増えている今は、この言葉も死語なのかもしれない。私もリアルタイムの番組はほとんど観ていない。

白黒、カラー、地上デジタルと進化してきたテレビも、2018年12月1日からは、BSで本格的に家庭向け4K・8K放送が開始。美しい映像をより鮮明で楽しめるという反面、私の周りでは現在の2K放送で十分という人ばかりである。以前、新聞のコラムにあったが、期待する一方で4K・8Kは「四苦八苦」なのらしい。

平凡でありふれた日本人の光景でも、長い一日の終わりに同僚と飲み交わすことは、西欧人の目からは“日々の祝賀”のように新鮮に映るとか。日常生活にドラマがあるという。

ちなみに、私が最初に観たテレビドラマは『月光仮面』だ。技術は進歩しても、高画質の映像でなにを見せるかが肝心なようである。

 

 

テレビ黎明期の昭和30年代、大村崑さんを有名にした時代劇コメディーの役名は「尾呂内楠公」。「姓はオロナイン、名は軟膏(なんこう)」というセリフを今も覚えている。

最近は、大相撲の生中継で観客としての大村崑さんをテレビでよくお見かけする。上述の時代劇『頓馬(とんま)天狗』の頃と変わらないくらいにお若く感じる。

我が家で最初の白黒テレビから、大相撲の生中継はずっと続いている。今も視聴率はかなり高いようだ。

先月の大相撲九州場所では白鵬が43度目の優勝を飾った。私はこの大横綱のファンであるが、相撲や態度にひどいことをいう人も多い。この場所も遠藤との取り組みで、強烈なかち上げ(肘打ち)で遠藤を出血させていた。

 

 

白鵬は、相撲の歴史なども日本人力士よりよく勉強して、日本の国にも敬意をはらっている。本来、白鵬は突っ張り、張り手など相手と離れて相撲を取ることを好む力士で、近年は衰えもあり、多彩な技を繰り出す。

白鵬を、横綱相撲でないと批判する人たちにとっての理想は、双葉山大鵬なのだろう。受けて立つという相撲で、恵まれた体格と力で圧倒的な強さを発揮した。そして、彼らのようなスタイルでなければ横綱らしくない、という見解の人が多い。

勝率.962で史上最強の力士といわれる雷電は、まったくちがうタイプだったという。あまりにも強すぎるために、“張り手”や“鯖折り”、“突っ張り”などが禁じ手にされたというからすごい。あと、第22代横綱太刀山も同タイプだったとのこと。

物は考えようで、白鵬が昔のすごい力士たちの取り組みを、再現してくれているのだ。スピードと躍動感があふれる白鵬の相撲は、意外性もありワイルドである。案外、これが大相撲の本質なのかもしれない。

 

対等に話せるためにはAIを

 

わずか20年ほどで、ITは私たちの生活を大きく変えている。その快適さからもう後戻りはできそうにない。世界中のパソコンやスマホの膨大なデータは、プラットフォーマーと呼ばれるIT(情報技術)大手が吸い寄せ、それをまた新たなビジネスへつなげていくから肥大化するばかり。

当然、ネット社会の落とし穴もある。スマホにしても、あの小さな端末内の個人データも相当なもの。さまざまな検索履歴、交友関係、音楽の趣味も、写真だって数千枚。紛失したらとても厄介なことになる。あなたのすべてが知られてしまうから。

さて、安倍首相主催の「桜を見る会」で、紛失? したデータは復元できないと。招待者文書も電光石火のごとくシュレッダーで破棄された。なぜ都合よくそういうものがなくなるのか。今の時代、毎年開催されるもののデータを残さないということは考えられない。個人レベル以下である。

 

 

今、よく話題になるのは、米国生まれのグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン(略して「GAFA」)の膨大なデータについてである。自分に関するあれこれを見えない力に握られて悪用されたり、国家権力と結びつけばさらにたちが悪い。それ以前に、この国の政府では、オープンすべきデータを削除することに必死のようである。実に情けない。

情けないといえば、部下と心が通わぬ上司も増えているのだろうか。<飲み会に 部下を誘って 10連敗>。サラリーマン川柳の入選作にあった。

私は上司とよく飲んだが、会社関係の飲み会というと「若い人に敬遠されがち」、「仕事の話ばかりでつまらない」などとネガティブなイメージのようだ。

この場面でもAI(人工知能)が活躍してくれるという。その名も「先輩風壱号」で、長野県のビール会社が開発した扇風機なのだという。職場の飲み会を嫌がる人が多い現状を変えようと、AIが会話に聞き耳をたて、上司が先輩風を吹かせばビューと吹き付けるとのこと。

 

 

“甘い"、“バブル"、“近頃の若者は"、“俺の若い頃は"・・・といった約2000のキーワードにAIが反応するという。AIスピーカーにもそういうスキルができるといい。扇風機ではないから、代わりにブザーが鳴るとか。

「先輩風壱号」は昨年の開発というから、今は世間に出回っているのだろうか。この扇風機をそばに置けるなら、上司がわざとダメなキーワードを連発したり、若者が引き出させたりで、ギャグとして楽しめるかもしれない。

<相談は 上司先輩 よりネット>や<ブログ見て 部下の本音を 家で知る>の時代でも、ある調査で意外な結果が出た。

「上司と部下の飲み会実態調査」(800人対象)にて、飲み会では上司が部下の1.7倍も話しているとか、部下の6割以上が上司の武勇伝を聞かされた、などネガティブに感じたが、「上司と“対等に話せる"飲み会は楽しい」と思っている部下が71.0%もいたという。

さて、いよいよ忘年会の時期である。

 

本来と異なる用途に商機あり

 

今秋に始まったテレビの連続ドラマはけっこう楽しい。大好きな『結婚できない男』が13年ぶりに復活、『時効警察』も12年ぶりの復活である。

あと、女優・波留さん主演のドラマ『G線上のあなたと私』は、見慣れた地元周辺のロケシーンがとても多いので、背景まで気を入れて観てしまう。

バイオリン教室で知り合った3人が、それぞれに待ち合わせて、一緒に練習するシーンも多く登場する。その場所は、カラオケボックスなのである。

防音設備の整うカラオケボックスは、周りへの迷惑を気にせずに利用できる。カラオケ業界でも、カラオケボックスを“歌う”以外に・・・と、活用するサービスが広がっている。

室内で自分の好きな映画などを鑑賞できるサービスに力を入れたり、ボードゲームの無料貸し出しを始めたところもあるようだ。

 

 

背景には、カラオケ自体の先細り感があるという。1995年に国内のカラオケ人口は5800万人を超えたが、近年は4700万人程度まで減少。仲間や会社での飲み会が減り、2次会でカラオケに行く機会も少なくなっている。

各社は、本来の目的とは異なる用途に商機を見いだそうと必死なのだろう。

また、飲食店などではメニューはそのままでも、個人席(スペース)を用意して、スマホの充電、利用ができて飲食を楽しめるようにしている。利用スペースを改良することで売上が伸びているのだ。

サービス形態はちがっても、“個室化ビジネス”ということがポイントになるようである。複数の人で自動車を共有するカーシェアリングでも、移動手段での利用以外で使われ始めているとのこと。

仮眠や読書など、手軽な個室として利用する人がいるらしい。また、企業の営業社員がカーシェアで借りた車を、営業先への電話をする「オフィス」として利用するケースもあるという。

 

 

首都圏400人のカーシェア利用経験者で、利用方法についての調査を、昨年に大手通信社が行った。その中で、移動以外の用途にカーシェアを使っている人は約13%だった。その中の内訳は、仮眠64%、友人や家族との電話が40%、読書34%とのことである。

短時間でも利用でき価格も安いので、手軽な部屋と考える利用者が多いようだ。思いついたときにスマートフォンやネットで、(15~20分単位という短い利用時間から)簡単予約ができるのも魅力のようだ。

仮に1時間だけ利用したとして、(車種によっては)喫茶店のコーヒー1杯程度の負担だというからすごい。

<ものがゆるみ、ほどけ、流動し、とけていく>。国語学者大野晋さんいわく、「名詞の“時”は動詞の“解ける”と語源を同じくする」という仮説を唱えた。同様に、<時代の流れで、使い方もほどけ、流動し、とけていく・・・>のではないだろうか。

 

 

今週のお題「紅葉」

アナログに追いつけない性能

 

デジタル時代以前、一般的に映画で使われていた35ミリフィルムの映像の解像度は、4Kに相当するという。フィルムで撮られた名作映画やテレビ番組が、相次いでデジタルリマスターされているのはそのためらしい。

従来のテレビ放送は、その解像度で映せなかったが、4K放送でそれが可能となり、最新技術でやっとオリジナルフィルムの高い性能に、放送の環境が追いついたという。

ただ、2018年12月1日スタートの新4K・8K衛星放送も、視聴比率はまだ低く、自宅に4Kテレビがあっても、4K放送を視聴している人は、まだまだ少数派であるのが実態だとか。

フィルム映画を多くの映画館で当たり前に観ていた世代であるが、アナログの性能に改めて驚く。

美談も、人々のアナログ感覚が刺激されるとすごいパワーだ。一昨年 米国で、車のガソリン切れのため立ち往生した女性は現金がなくて困っていた。近くにいたホームレスの男性がなけなしの20ドルでガソリンを買ってくれたという。

 

 

感激した女性はネットで話を広め、男性への寄付を呼びかけると短期間に約4千万円が集まった。デジタルの拡散力が人情に訴えかけたのだろう。

後日、真っ赤なウソだったことが判明。女性とホームレス役の男性は知り合いで、ガソリン切れも20ドルも全部作り話だった。それは、日本にも昔からあった「泣き売(ばい)」という手口で、人情に付け込み商品を売るものに似ている。

アナログといえばこの人か。サイバーセキュリティ基本法改正案を所管する元五輪相だった桜田氏。一年前の衆院内閣委員会で、担当能力を不安視する声に反論した。

その前の国会答弁では「自分でパソコンを打つことはない」と述べた。

野党議員から担当閣僚としての能力を問われ、<有能な人間の能力を総結集して、ジャッジ(判断)するのが私の仕事だ。私は、判断力は抜群だ>と胸を張った。

米紙ニューヨーク・タイムズは、桜田氏の発言について「コンピューターを使わない人は多い。だが、そのほとんどは国家のサイバーセキュリティー責任者ではない」と論評。

質疑で桜田氏は<世界に私の名前が知られた>と述べたそうな。もはや、アナログをも超越した人なのだろう。

 

 

<鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも>。石川啄木さんの歌である。私にもよくある。酔った自分の姿を街中のショーウインドウに見つけたときなどに。

普段は、ひとの人相に内心あれこれ文句をつけているも、鏡の自分の人相の悪さにドキリとすることがあるのだろうか。

「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い」。首相当時の麻生氏が公式の場で述べたという。不明朗なカネや見識を疑う放言で閣僚が、性懲りもなく入れ替わる昨今、“政治家には・・・”と置き換えた方が説得力は増す。

漢字の読み方や言葉遣いと、首相の仕事が小学生の勉強並みに大変なことだったであろうが、総選挙という有権者の「鏡」に身を映すまで我が身が見えていなかったようだ。

10年前のあの鏡も、その奥の国民にもよく見えないように曇りきっているのかどうか。閣僚たちがやっていることは、なにも変わらないのに・・・。

 

 

今週のお題「紅葉」

 

おカネの重量感はどう変わる

 

茨木のり子さんの詩『笑う能力』のこのフレーズは、何度読んでも楽しめる。教授の元に教え子から便りが届いたそうな。

<先生 お元気ですか 我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました>。

艶っぽい話のようだがそうでもない。<手紙を受けとった教授は 柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか>と続く。

うっかりと間違えた漢字も文章の脈絡へ絶妙に嵌るからおもしろい。

さて、この漢字はどうだろう。“測、図、謀、量、計、諮・・・”。「はかる」の読みを持つ漢字であるが、何かをはかる行為の多さに驚いてしまう。

お金の重さを量ったことはないが、工場から出荷される百円玉は4千枚ずつ袋に入り、ひとつ約20キロもあるという。新札で1億円は約10キロらしい。

運ぶ手間もたいへんだろう。銀行も低金利や人口減での経営は厳しい。メガバンクのATMの相互開放も、そのひとつなのだという。少しでも負担を軽くしようという動きが出て当然だ。

  

 

ATMは1台約300万円というから新車なみ。(試算では)維持や管理にかかる費用は全体で7600億円とのこと。そして重たいお金を運ぶ必要もある。どう考えても、キャッシュレスの方がよさそうである。

私はガラケーの電話の時代から、コンビニや電車利用で現金を使わなかった。買い物や飲食店ではカードで済ませていたので、財布からお金が出ていかず貯まる方が多かった。当然、引き落としで引かれるが、赤字にしないようにチェックは欠かさない。

あれから、今のキャッシュレス時代になっても変化を感じない。各企業が自分のところへ囲い込む企みで、〇〇ペイ、△△ペイと分散してまとまりがないため、店舗も客もちぐはぐなのである。

中国では銀行口座とひも付けされたスマホの支払い用アプリなしに、生活は立ち行かない。欧州では路上の芸人さんへのおひねりも電子決済だとか。きっと、日本みたいに乱立していないからこそ為せる技だ。

  

 

人工知能(AI)を活用した無人店舗にも興味が強い。構築サービスを手掛けるアメリカのある企業では、入店して商品を手に取り、店を出るだけで決済が完了する。

店舗内に設置したカメラの画像解析技術とAIを組み合わせ、来店客の一人ひとりを「カート」として認識するのである。

来店客が商品を手に取ると、カートに商品が入ったと判断、商品を棚に戻すとカートから商品が取り除かれたと認識する。まるで、ネットでの買い物みたいだ。

店内の商品は、AIが形状やパターンを学習。決済との連係は専用のスマートフォン向けアプリを通じて行う。そして来店者がアプリを起動すると、画面全体が一瞬赤く光る。これを店内に設置したカメラが捉えると、連係が完了。

商品を手に取り、退店するだけで、アプリに登録しているクレジットカードで決済が完了する。新バージョンでは、スマホを取り出す必要すらなくなるという。もう、現金が介入する余地はまったくなさそうだ。

 

よいよいみたいな「まずまず」

 

元号が昭和から平成へと変わる頃だったか、“殿様改革”なるものが進んだという。近寄りにくい感じの“◯◯殿”がほんわりとした“◯◯様”へ・・・と。役所の文書の宛名である。

当時の新聞によれば、“様”は“殿”より敬意をあらわすレベルが上らしい。ふだんの使い方では、“様”が書き言葉、話し言葉では“さん”がよく使われるようであるが。

学校以外で、“◯◯君”がふつうに使われるのは国会や地方議会で、吉田松陰が幕末に松下村塾で使ったのが(明治以来の伝統で)受け継がれたという。

「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」、「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」、「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」等・・・。国会答弁などで誤った言葉遣いを連発したのは、麻生元首相であった。

 

 

その昔、ある人気俳優にNHKが密着して、素顔と芸を特集した。その番組のなかで俳優が「作者のイズは・・・」と3回語ったそうな。意図(イト)のことである。NHKの用語委員会は放映後に会議がもめた。「再放送ではテロップで“イト”と流すべき」、「いや、俳優が気の毒だ」といった具合にだ。

議論を収拾させたのは、委員長の国文学者・池田弥三郎さんであった。<単純なイト・イズ・ミステークということで・・・>との一言。これでテロップなしが決着。

麻生元首相の読み違いでも、当時の新聞コラム記事に書かれていた。<いずれも慌てるあまりの単純な読み間違い、言い間違いだろう。「意図・イズ・ミステーク」の香りが濃厚である>と。

2019年10月13日、令和元年台風第19号による自民党の被害対策役員会の冒頭挨拶で「色々言われていたことから比べると、“まずまず”で収まった」と発言したのが自民党の二階幹事長。

 

 

その後の被害の拡大をテレビ等で見るたびに、“まずまず”が浮かび腹が立ってくる。この人の言動は人としてどうなのか。議員はそれほど偉いのだろうか。

千曲川、夏井川、多摩川が決壊、または氾濫し、多数の死傷者、行方不明者、避難者、断水や停電被災者が出ている中の発言は批判を受け、形だけの謝罪はしたがその際も質問者に食って掛かるような言動であった。

“よいよい”という言葉がある。俗に、アルコール中毒、中風その他の原因で手足がしびれて、正常な歩行もできない病気の人。私も酒好きで人のことは言えないが、よいよいのような人とも酒席でお会いしている。

あの幹事長の言動をテレビで見ると、いつも素面には思えないのである。あの人の漢字力はどうなのかわからぬが、何を言っても自分は偉いから「良い良い」と思っているのではあるまいか。

 

「気の持ちよう」にも因果あり

 

花が色美しく生まれるのは、偶然ではなく理由があるらしい。花粉を運んでもらえるようにと虫を引き寄せるためであり、花の中で生まれてくる種子(子供)を紫外線の害から守るため、花びらに色素が多く含まれる。子孫を絶やすことがないための美しさともいえそうだ。

人の普段からの表情にも、なにかの関連性があるという。アメリカの心理学者が卒業アルバムを使い、ある研究をした。何百枚もの写真からその笑顔を分析するのだ。

まずは、笑っているかどうか。そしてそれは満面の笑みなのか。分析結果で、写真の人物の笑顔の度合いと、その後の結婚生活を検証してみると、それほど笑っていなかった人の離婚率は満面の笑みの人の5倍になったとか。

とはいえ、この統計は日本人に当てはまらないだろう。日本人が卒業写真などを撮る際、歯を見せて笑うことがないからだ。

 

 

親しい人から高価な好物をいただいたとき、自然と満面の笑みがこぼれる。

作家の内田百閒さんに師事したドイツ文学者・高橋義孝さんは、百間さんに蔵出しの名酒を一升贈ったことがある。のちに百間さんに会ったとき、ひどく怒られたという。

<ふだん飲んでいるお酒が、ああいうおいしいお酒を頂戴したあとでは飲めなくなる。「迷惑します」>と、苦情を言われた。“満面の笑み”との大きな落差が、偏屈で知られた作家らしいエピソードである。とはいえ、その言葉の裏に百間さんの嬉しさを感じ取れるが。

思えば、人生を飾る成功も、到来物の“おいしいお酒”に似ているような気がする。人と人はなんらかの“恩恵”でつながり合うのかも知れない。そして、安心する性質が日本人にある・・・との説もあるらしい。

 

 

一字では安心できないのか、熟語には上と下の漢字で同様な意味を持つものがある。道路、表現、価値、会合・・・などと。“連語”の仲間として、平らかで、和(やわ)らかな「平和」もあり、そして景気も“気”からだという。

景気の浮き沈み、株価の動きなどもその社会の人々の心持ちと何らかの相関関係があるそうだ。経済学のかなりの部分は心理学と重なるらしい。

こうした観点で、証券系の研究所が度々おもしろい分析をしている。10年ほど前には、大和総研が「落とし物と株価の関係」を論じていた。

警視庁に届いた拾得物の統計から、現金の額をグラフにすると、中長期的な株価の浮き沈みとおおむね一致する、というから興味深い。

人々の心理的余裕があればこそ、拾ったお金をきちんと届ける。そうした余裕を生む社会環境では株価も上昇する、との分析結果だった。

 

AIでベテランになれる新人

 

1989年(平成元年)に、日本の小中学校は計3万6115校あったという。小学校や中学校が統廃合で減り続けているため、昨年は計3万162校になった。

生まれてくる子どもが減り続けていることもあるが、学校減少の要因の一つに不登校の増加もあるようだ。文部科学省の調査では、2017年度に年間30日以上欠席した“不登校”の児童・生徒(高校生を含む)は、前年度比6.3%増の19万3674人で過去最多。

少子化のみならず、社会との関わりが薄れる生活体系がこの先増えていくことだろう。

車販売の業界にも影響が出ることは避けられないらしい。人口減による将来的な新車販売台数の落ち込み。特定の車を所有することへのこだわりが薄れる時代に合わせ、多様な使い方を提供していかなければならない。

 

 

自分が愛し大切にしている生きものを“愛犬”などと呼ぶが、物や道具に対しても“愛”の字を使用する「愛車」がかつてはあった。大切に磨き、傷がついたらもうたいへん。手放さねばならぬときは感傷的にもなった。

今の人は車にそこまでの思い入れがないかもしれない。トヨタ自動車は好きな車を自由に選び利用できる定額制サービスや一台の車を複数の人が利用するカーシェアリング事業をスタートさせたらしい。時代の変化なのだろう。

これから先の若者たちはもっと車を買わなくなり、長年マイカーを持ち続けた年輩者のドライバーは、車を手放し免許も返上するのか。

車を持つ経費は馬鹿にならない。自分もほとんど乗らなくなっている。手放しても電車やバスがある。荷物などを運ぶときは近所のカーシェアリングがある。足の弱まった年輩者だとタクシーの利用が便利か。

多くの高齢者のニーズとして、タクシーの必要度が高まりそうだ。

 

 

タクシーの客が増えると、ドライバーの確保や育成が必要になってくるだろう。その分野でもAI(人工知能)が役に立つようだ。1350台でAIタクシーを実稼働している無線協同組合によると、新人でもベテランに近い仕事がこなせる・・・との威力を実感しているそうな。

NTTドコモが開発した「AIタクシー」の乗車台数予測を使った新人と、使わなかった9年目の中堅の乗車回数の比較で、新人ドライバー15回、中堅ドライバーは10回と、新人運転手が中堅に勝利したという。

AIもまだ、長い距離を走るお客さんを見つけるまでは対応できないようなので、ベテランの経験で回数より売上では上回るかもしれないが。

AIタクシーの使い方としては、新人とベテランでは違うらしい。AIタクシーのタブレットに表示されている、乗車台数が多いところに新人は向かうが、ベテランドライバーだとこれまでの経験で得意な地域がありAIタクシーは使わないこともある。

ただ、ベテランも不得意な地域を走る場合に頼り、AIタクシーで乗車回数を増やす。いずれにしてもAIの存在は頼もしい。とくに、新人がベテランの“感”を手に入れられるのがいいようだ。

 

「~しただけなのに」で始まる

 

映画やドラマはストーリーだけでなく、“事件・事情・事実”という3大要素の絡み合いも見どころである。とくに、事実なのかと感じさせられるリアリティに興味が深い。

2018年11月公開の映画『スマホを落としただけなのに』は淡々と始まった。発端は、ヒロイン稲葉麻美の恋人がタクシー内にスマートフォンを落としたことだけなのである。

そのスマホを拾ったタクシー客の男から後日に着信があり、麻美はスマホをなくした恋人の代わりにスマホを返してもらう。待ち合わせ場所に男は現れず、預かっていた飲食店員がスマホを渡した。

そして事件が起き、物語のテンポはどんどん早くなる。拾った男は待ち受け画像の麻美に興味を持ち、(恋人の)スマホ内の情報もすべて吸い取っていたからだ。そして、狂気に満ちた惨劇へと発展していく。

今のスマホへの依存度から、絵空事のドラマとは思えず、落とすことの怖さを感じてしまう。

 

  

運転中のセールスマンがゆっくりと走る大型トレーラーを、“追い抜いただけで”とんでもない恐怖に巻き込まれる作品もある。1973年1月に日本で公開された米国映画『激突!』だ。

若き日のスティーヴン・スピルバーグ監督の出世作で、低予算ながら大ヒットした。トレーラーから執拗に追跡される恐怖は凄まじく、真に迫ってきた。

物語では一貫して大型トレーラーの運転手の顔が見えない。たしか、セールスマンが食事で立ち寄っているレストランを見つけ、トレーラーを降りる時にブーツのアップシーンがあったと思うが、それ以外ではハンドルを握る手が見えるだけ。

大型トレーラーは巨大な生き物みたいで、いつまでもセールスマンを執拗に追いかけるシーンが続く。スピルバーグ監督も“怪獣の様に考えた”とのことで、その演出は大成功である。

 

 

“仕事がないだけに”始まる名作もある。フランス映画『恐怖の報酬』(1953年公開) の舞台はベネズエラの場末の街。食い詰めた移民達が日々何もすることもなく暮らしている。

主人公のマリオ(イヴ・モンタン)に仕事が入る。街から500km先の油田で火事が起きたため、火を消し止めるためにニトログリセリンを現場までトラックで運ぶ、という石油会社からの依頼である。

安全装置のないトラックでニトロを運ぶのは命がけ。街の食い詰め者に2000ドルの報酬で運ばせることになった。4人が選ばれ2台のトラックに分かれ、500km先の目的地に向かう。

悪路が続く道中には、落石や狭路などとあらゆる障害が待ち受ける。演出として、事前に挿入されたニトログリセリンの爆破威力のシーンが活きて、観客もハラハラ・ドキドキの恐怖を味わう。

マリオの相方ジョー(シャルル・ヴァネル)は、弱腰で何かあるとすぐに逃げ出す。<そしてこの2000ドルは運転の報酬だけでなく、恐怖への報酬なのだ>と言い訳をする。見どころは(短時間で描かれる)、大金を手にして浮かれた帰路シーンにあった。