日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「~しただけなのに」で始まる

 

映画やドラマはストーリーだけでなく、“事件・事情・事実”という3大要素の絡み合いも見どころである。とくに、事実なのかと感じさせられるリアリティに興味が深い。

2018年11月公開の映画『スマホを落としただけなのに』は淡々と始まった。発端は、ヒロイン稲葉麻美の恋人がタクシー内にスマートフォンを落としたことだけなのである。

そのスマホを拾ったタクシー客の男から後日に着信があり、麻美はスマホをなくした恋人の代わりにスマホを返してもらう。待ち合わせ場所に男は現れず、預かっていた飲食店員がスマホを渡した。

そして事件が起き、物語のテンポはどんどん早くなる。拾った男は待ち受け画像の麻美に興味を持ち、(恋人の)スマホ内の情報もすべて吸い取っていたからだ。そして、狂気に満ちた惨劇へと発展していく。

今のスマホへの依存度から、絵空事のドラマとは思えず、落とすことの怖さを感じてしまう。

 

  

運転中のセールスマンがゆっくりと走る大型トレーラーを、“追い抜いただけで”とんでもない恐怖に巻き込まれる作品もある。1973年1月に日本で公開された米国映画『激突!』だ。

若き日のスティーヴン・スピルバーグ監督の出世作で、低予算ながら大ヒットした。トレーラーから執拗に追跡される恐怖は凄まじく、真に迫ってきた。

物語では一貫して大型トレーラーの運転手の顔が見えない。たしか、セールスマンが食事で立ち寄っているレストランを見つけ、トレーラーを降りる時にブーツのアップシーンがあったと思うが、それ以外ではハンドルを握る手が見えるだけ。

大型トレーラーは巨大な生き物みたいで、いつまでもセールスマンを執拗に追いかけるシーンが続く。スピルバーグ監督も“怪獣の様に考えた”とのことで、その演出は大成功である。

 

 

“仕事がないだけに”始まる名作もある。フランス映画『恐怖の報酬』(1953年公開) の舞台はベネズエラの場末の街。食い詰めた移民達が日々何もすることもなく暮らしている。

主人公のマリオ(イヴ・モンタン)に仕事が入る。街から500km先の油田で火事が起きたため、火を消し止めるためにニトログリセリンを現場までトラックで運ぶ、という石油会社からの依頼である。

安全装置のないトラックでニトロを運ぶのは命がけ。街の食い詰め者に2000ドルの報酬で運ばせることになった。4人が選ばれ2台のトラックに分かれ、500km先の目的地に向かう。

悪路が続く道中には、落石や狭路などとあらゆる障害が待ち受ける。演出として、事前に挿入されたニトログリセリンの爆破威力のシーンが活きて、観客もハラハラ・ドキドキの恐怖を味わう。

マリオの相方ジョー(シャルル・ヴァネル)は、弱腰で何かあるとすぐに逃げ出す。<そしてこの2000ドルは運転の報酬だけでなく、恐怖への報酬なのだ>と言い訳をする。見どころは(短時間で描かれる)、大金を手にして浮かれた帰路シーンにあった。

 

おでんの具はなにが好きかな


<夕有風立秋>。風流な知人宅を訪ねた客が、床の間の掛け軸に関心を寄せた。“秋、風の立つ夕べ有り"・・・か? 「いい句ですな」と感心すれば、主人がニヤリとして言った。
「ユーアルフーリッシュ。おばかさんね、と読むのです」。国語学者金田一春彦さんの随筆にあった笑い話だ。

コンビニでビールや酒を買う時、いつもこの言葉を発したくてしかたがない。<私が未成年に見えますかね>と。どう見ても未成年に見える年齢や面相ではない。

年齢確認のタッチパネルに触れることに、毎回 違和感を覚える。

店側が客の手を煩わせるわけは、“青少年を守ることにある"とのことはよくわかる。ただ、杓子定規な対応が理解できず、無意味にも不公平にも思えてしまう。

 

 

今も商店などでは、ひやかしの客などと使われていることだろう。“素見(すけん)"という言葉があり、それを“ひやかし"とも読むらしい。元々のひやかしは、遊女を見て歩くだけで登楼しないことだとか。

かつて、江戸の色街といえば吉原。そのそばに紙漉き場があり、職人が紙を水に浸して冷やかす。そして待ち時間に遊女を見て歩いたので“ひやかし"という言葉ができたという。

さて、おでんが食べたくなる季節である。おでんの具の人気トップテンなどを見ても楽しい。私の好きな具は(上位にならないだろうが)、「はんぺん」と「ちくわぶ」がダントツである。

冬の屋台の定番と言えば、昔から「おでん」だろう。おでん種をつまみながら、日本酒が温まるのを待つ。ただ、そんな楽しみ方は昔話になるかもしれない・・・らしい。

“ひやかし"といっては語弊があるが、 最近はお酒を注文せず、おでんだけ食べて帰る人が目立つという。店主としては、おでんをほぼ原価で販売している。もちろん酒を飲みながら屋台を楽しむ人はいるが、“酒離れ"が言われる若い層だけでなく、年配者も頼まないケースがあるという。

 

 

おでんだけ注文して15分くらいで帰ったり、おでんとジュースを頼む女性の2人連れだったりと。ノンアルコールビールを飲む人もいるらしい。

この話で久しぶりに行ったカラオケスナックを思い出す。店が混んでいたので流行っているのかと思ったが、お酒を頼まず歌だけを歌う客が増えているとのこと。カラオケ代だけではお店もたいへんなようだ。

さて、おでん屋台は珍しいとのこので、雰囲気だけ味わって帰ろうとする人もいる。屋台ではお金を使いたくないと考えているそうな。

また、コンビニのおでんの影響もあるという。酒の肴ではなく、おでんそのものでお腹を満たすという若者が多いとか。

居酒屋でも同じ事が起きていて、あるおでん老舗店でも、おでんだけ注文して食べて帰るお客はいるとのこと。こちらも屋台同様、お酒の注文が無ければ採算的に合わない。

お酒が飲めない。車で来ている。おでんだけが目当てなどと、飲食店の用途も様変わりをしているのである。

 

「ドーデモイイ」という解決法

 

“言葉”は二義ということがよくある。たとえば、「何とも変わらない生来の性質」と「物事をやり通すたくましい精神」。“根性”のことである。後者の方ではものすごいヤツがいる。カタツムリの角(触覚部分)に入り込み、催眠術のように操る寄生虫がいるという。

ロイコクロリディウムという名前らしいが、湿った日陰で暮らすカタツムリが感染すると、正気を失ったように葉の表に出てくる。取り憑いたカタツムリが鳥に食べられるのが目的で、その鳥に寄生して腸内で繁殖する。

人間も、根性を試されたり鍛えられることがある。日清食品ホールディングスでは、新任管理職の“サバイバル研修”があるとか。無人島で2泊3日の野宿に臨み、電気も水道もない島でどう生きていくか・・・課題解決の力が問われる。

電力各社は配電部門に配属される新入社員に、高さ10メートルを超える電柱を登らせる。高所作業に慣れるために欠かせない訓練だという。

 

 

この研修は今も行われているのか、JR西日本山陽新幹線のトンネル内で走行車両の風圧を体感させる研修があった、という。最高時速が300キロに及ぶ車両が、作業用通路にしゃがんだ社員のそばを通過していくというから恐ろしい。

何とも変わらない生来の性質、という意味での“根性”は、マスコミ報道でネタの尽きることがない。

さて、ブランデーの「ナポレオン」は銘柄ではなく熟成度合いを示す符号だとか。名前の由来のひとつに、皇帝ナポレオンがラベルに自分の肖像の使用を許すほど、この酒を愛したそうな。

ラベルの不思議さで、群馬で見つかった酒も大きな話題になった。「政治とカネ」の問題で経済産業相を2014年に辞任した自民党小渕優子衆院議員の事務所が、地元男性にワインを贈ったという事件である。

白のボトルには笑みをたたえた顔写真、赤には全身を映す写真があしらわれたもの。ナポレオンの如く、議員自身が許しを与えていたはずだ。

 

 

この25日に辞任した菅原一秀経済産業相は、選挙区で香典などを渡していたとする公職選挙法違反疑惑が報じられた。何年たっても“変わらない生来の性質”である。

物理学者・寺田寅彦さんいわく<ある問題に対してドーデモイイという解決法のある事に気の付かぬ人がある。 何事でもただ一つしか正しい道がないと思っているから>と。

麻生さんが首相の頃、毎晩ホテルの“高級バー”に通っていることが庶民感覚にそぐわないと、問題にされた。これも解決法「ドーデモイイ」である。要は国民本位の政策が立案、実行できるかが問題。麻生氏は国民に支持されず、まもなく党も野党へ陥落。

庶民感覚という言葉もあやふやだ。当時、衆院選自民党から当選した新人議員が、「給料は2500万円、議員宿舎は3LDKですよ」とはしゃいでひんしゅくを買った。

所得と住居で庶民感覚に合致した国会議員など一人もいないのに、ドーデモイイところを気にするのが、庶民なのか。

 

子どもの写真を撮る機器は何

 

カレンダーの残り枚数が少なくなると、時のたつ早さをしみじみと感じる。当たり前のことだが、子どものときより格段の早さだ。

生涯の時期により、時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するという。つまり、年齢に反比例するものらしい。それを「ジャネーの法則」というそうな。

60歳の人間にとって1年の長さは人生の60分の1であるが、6歳の人間には6分の1に相当。つまり、60歳の人間の10年間は、6歳の人間にとっての1年間に当たり、6歳の人間の1日が60歳の人間の10日に当たることになる。

理論上の話だけで現実的かどうかわからぬが、(いい歳になっている)自分の今は、その説にうなずけなくもない。

 

 

子どもの頃はなにかと写真を撮られることも多いだろう。年輩になると自撮り以外はなかなか撮ってもらえない。

昨年、写真プリントサービス・アプリの運営会社が、0~9歳の子どもを持つ男女1000人にウェブアンケートを行った。9割以上の人がスマートフォンで、子どもの写真を撮影しているという。

スマホ内蔵カメラの性能向上で、写真を気軽に撮れるようになった。そして、気軽な分だけ大量のデータの管理に苦労しているそうだ。フィルム写真の時代は、撮ってもらうと現像・焼付で写真になって見るのが楽しみであったが、今は撮るだけ撮って子どもたちは自分の写真を見ないこともあるらしい。

子どもの写真を撮る機器(複数回答)では、スマホが92%、続いてコンパクトデジタルカメラが49%、デジタル一眼レフが20%だという。上述のとおり、写真の保存方法は、95%がデータで保存し、自宅でプリントするのが28%、店などでプリントするのは26%だ。

 

 

当然のことながら“アルバムを持たない”と答えた人は60%である。そして、写真データの管理を面倒、不便と感じる人は80%にもなる。

今は“◯◯映え”などと、(SNS等の)ネット上がアルバム代わりなのかもしれない。とくに自撮りに慣れた人は、自分をよく見せるあらゆるポーズを熟知していたりもする。

かつて、写真撮影といえば、人さし指と中指を掲げる“Vサイン”が多かった。日本では、“ピースサイン”としてなじみが深い。今はそれをやったら、ダサいといわれそうだが。

Vサインにも歴史があるという。1941年、第2次大戦中のベルギー向けイギリス放送協会(BBC)の放送で、反ナチスの地下運動を奮いたたせるために広まったとのこと。

勝利を意味するフランス語などの頭文字としてVサインが提案され、英国当局が繰り返し宣伝した。あのチャーチル(当時の英国首相)も、Vサインのポーズで盛んに写真を撮らせた。

そして歴史のおもしろいところは、戦後では戦意高揚と真逆の“反戦平和”を意味する「ピースサイン」として使われたということである。いずれにしても、笑顔で写真を残せればなによりである。

 

そこにあるかも知れぬヒント

 

<笑う門には福来たる>。このことわざは、理にかなっているらしい。プレッシャーに押しつぶされてしまいそうなときなども、笑いは効果的で気分を和らげ、心身をリラックスさせてくれる。笑いには、免疫を高め不安を抑える不思議な力が備わっているからだ。

お笑いの文化といえば、大阪とのイメージが強い。明治7年に大阪~神戸の官設鉄道で、大阪駅がつくられた梅田は、大阪の外れだったという。

当初の予定地は中心部の堂島付近だったようだが、“汽車は火を吐くので火事になる”と住民からの猛反対で変更を余儀なくされた。(低湿地を埋めた)田んぼだった一帯は「埋め田」と称され、後からめでたい「梅」の字に変わったようだ。

芸事の中で笑わせる芸は、泣かせるものよりはるかにむずかしい。それが大阪の魅力とパワーのひとつにも感じる。

 

 

千利休の利休七則には、気遣いする大切さが説かれている。そこにある<相客(あいきゃく)に心せよ>は、今風に言うと「上座にいる人も末席にいる人も含めて、同席者には気を配りなさい」なのだろう。

利休が弟子から「茶の湯とは」と聞かれたときの答えである。「それくらいならよく知っている」と弟子が応じると、利休はすかさず「もしそれができたら私はあなたの弟子になりましょう」と。

茶道や舞踊、華道など稽古事をたしなむ人には、6歳で始めた人が多いそうだ。数え7歳で稽古を始めるのがよい、と世阿弥の『風姿花伝』にもある。

子供の習い事といえば、かつてのピアノに代わり水泳や英会話もあるが、今は将棋や囲碁が選択肢に入るかもしれない。羽生善治九段もちょうどそのころ将棋を始めた。

 

 

7歳から囲碁を始めたのは坂井秀至(ひでゆき)八段。高校時代は(将棋や囲碁を学ぶ)棋道部だった。そこで先輩からアドバイスを受けた。<社会人になって接待に使えるのは絶対、囲碁やで>と。

その先輩の理論によると、「将棋は王将を取られるので負けると屈辱的。囲碁なら何目か負けた程度の勝ち負けだから、それほど悔しくない」のだと。

“布石を打つ”という言葉もある。囲碁は打ち、将棋は指す。言葉尻ではあるが、囲碁はなんとなく戦力的でもある。

さて坂井八段であるが2019年8月に、医師への転身のためと、所属の関西棋院より同年9月1日より全棋戦を休場すると発表して話題になった。京都大学医学部卒業で医師免許保持者としても有名であったが、この46歳での決断は興味深い。

囲碁で学んだ体験が、医師の技術にもきっと受け継がれることと期待する。

 

なまいきに親しみ込めた時代

 

木の上に小屋を作ったのは映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たち。『トム・ソーヤーの冒険』が洞窟の中。“秘密基地”は世界の共通語かもしれない。

こちらもある意味で当時の若者の“秘密基地”だった。あの新宿西口地下広場のフォークゲリラにも似た風景でステージの周りは騒然。ジーンズと長髪、ギターの若者たちの聖地だ。

1969年~1971年の毎年8月に岐阜県中津川市で開かれたフォークジャンボリーは、大規模な野外コンサートだった。

最後の年には、吉田拓郎さんが『人間なんて』を2時間にわたり延々と熱唱。当時、粗削りな歌もあったがそれがまた盛り上がる。世間へのプロテストや胸の中のモヤモヤが曲にこめられていた。

ボブ・ディランビートルズに影響を受けたアーティストも多かったが、後に陽水さん、みゆきさん、ユーミン達が登場すると、“フォーク”の括りからシンガー・ソング・ライターと呼ばれるようになる。

 

 

<年の熟さない者が、年うえのものの口つきや動作やなんかのまねをして、しかしまだ何となく幼くて、いくらかちぐはぐな・・・>。“なまいき”とはそういう感じを表す言葉のようだ、と言ったのはノーベル物理学賞を受けた朝永振一郎博士らしい。

まだ20歳代で自分の思うままに作る名曲を世に送り、自分でも歌うがアイドルやベテラン歌手にも楽曲を提供。当時流行だった歌謡曲の作曲家、作詞家先生たちの仕事も減り始めることになる。先生たちには、若者たちの才能が“なまいき”に感じたのではないだろうか。

あの20歳代だったアーティストたちの楽曲は、今聴いて歌っても(若者が)なんでここまで深みのある楽曲を書いたのか不思議でならない。偉大な“なまいき”としか言いようがないのである。

 

 

フォークジャンボリーが行われた時代、角界の若手力士といえば初代貴ノ花と輪島である。人気もさることながら、憎めない“なまいき”さが魅力だった。貴ノ花は親方として息子ふたりを横綱に育て上げたが、輪島は現役時代からの私生活での豪遊ぶりが仇となり、親方の仕事は短命に終わった。それでも、なぜか憎めない。

輪島はその後、プロレスラーとしてデビュー。しかし、大相撲の力士が他の格闘技に転じてもあまり成功しないらしい。打撃技や関節技への防御が下手なことと、相撲では相手に身体的ダメージを与えるのを目的とする攻撃的な技は用いられないためだ。輪島は“体が倒れると負け”という相撲のせいで、相手を倒しても寝技に持ち込めない。

1980年、テレビのこのCMが大好きだった。髷(まげ)をやめたばかりの貴ノ花と輪島が橋の上でばったり出くわす。貴ノ花はきれいに整えた輪島のパーマをしげしげと眺め、「それ、鬢(びん)付け油?」と尋ねる。輪島いわく「ノー、アウスレーゼ」。← 資生堂の微香性化粧品名である。

 

ふつうに暮らせる世間とは?

 

次の連休に、また大きな台風が来る予報である。雨量(1時間あたり)が20~30ミリでは“どしゃ降り”、30~50ミリだと“バケツをひっくり返したように降る”との表現。雨量がどれくらいだと人はどう感じるかを、気象庁が説明している。

ちなみに50~80ミリになると“滝のように降る”で、80ミリ以上は“息苦しくなるような圧迫感で恐怖を感ずる”とのこと。それ以上の大雨は想定外だったらしいが、この9月初旬の台風15号の強風に対し、19号は豪雨もプラスされるらしい。

レジリエンス」という英単語は“弾力性”、“復元力”などの意味だ。弾力のあるものに圧力を加え、形を変えても元通りに戻る性質のこと。人間の力では防げない大災害で、一時的に打撃を受けても再び立ち上がることを人々はしている。それがレジリエンスなのだろう。とはいえ、大きな災害が続くと、被災地はなかなか立ち直れないのが現実。

 

 

<君は僕のことを夢想家と言うかもしれない。でも、僕は独りぼっちじゃない>。『イマジン』(ジョン・レノン)の歌詞の一節にある。ジョンはメンバーの中で一番カリスマ性が強かった。ビートルズ時代を経て、ソロ活動に転じてから発表した名曲。争うことなく、平和に暮らしていける世界をイマジン(想像)してごらん・・・と。

<何でも気が向くまましたいの、一日中>。映画『ローマの休日』のスペイン階段でオードリー・ヘプバーンは語る。街の美容室で髪を大胆なショートにして、階段に腰掛けてジェラートを食べている。

新聞記者役のグレゴリー・ペックは後をつけて、再会を装って声をかける。宮殿を抜け出した王女を特ダネにしようとの魂胆だ。食べかけのジェラートのコーンを彼女は画面の外へ、ポイッと・・・。

今、この名シーンをまねしたら、最大約4万7千円(400ユーロ)の罰金だという。2012年から、スペイン階段での飲食が禁止。それでも、寝そべったりしてゴミを散らかす観光客が後を絶たず、警察による取り締まりが強化された。

 

 

日本でも外国人観光客の急増で、住民とのトラブルが目立つようになっている。国では韓国との関係悪化で外国人観光客の減少が懸念される・・・と。しかし、日本の観光者や現地に暮らす人たちには、よかったのではないか。

暮らしといえば、たった3人の採用枠に全国から1800人を超える応募が殺到したという。兵庫県宝塚市が行った正規の事務職員募集だ。“就職氷河期世代”といわれる30代半ばから40代半ばの人が対象である。

本来、働き盛りと呼ばれる40歳前後だが、その年代だけ給与がダウンするという「アラフォー・クライシス」が問題になっている。また、親の退職と子供の非正規雇用を示す“7040問題”もあり厳しい状況だという。

宝塚市の事務職員募集で倍率が約600倍。この数字にも現実を強く感じる。果たして合格者3人以外の人たちは、どんな職業に就くのだろうか。

 

乗り越えた力の源泉はなに?

 

随筆家・小説家の幸田文さんがかつて、家に来た畳職人の話を書き留めている。畳を扱う仕事は力だけでするものではなく、“こつ”や“なれ”で扱うから年をとってもけっこうやっていける・・・のだと。それでも彼は、老いる前に仕事を切り上げるつもりでいる。

<若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、いい技術を受けついでもらわなくてはいけない>と。以前、親方からこう諭されたからだ。今の時代とはちがい、粋な見栄である。先人のお話はとてもためになる。

イギリスの細菌学者・フレミングは、青カビの周りだけ細菌の生育が止まっているのを見逃さなかった。1928年の夏、旅行から研究室に戻ってみると、ブドウ球菌の培養に使ったシャーレに青カビが生えていた。

どうやら、フレミングは後片付けが苦手だったらしい。普通ならすぐ洗ってしまうところだった。そして、カビがつくる物質を突き止めて、ペニシリンと名付けた。

 

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レミングによって、“奇跡の薬”と呼ばれる抗生物質は偶然から生まれた。フレミングは1945年にノーベル医学・生理学賞を受賞。<偶然は、準備のできていない人を助けない>。フランスの細菌学者・パスツールの名言である。

<今日もまた空(むな)しかりしと橋の上にきて立ちどまり落つる日を見る>。物理学者・湯川秀樹博士にとって、研究生活は焦燥と隣り合わせだったという。

“創造への飛躍”がなかなかやってこない現状で、乗り越えた力の源泉は何か。博士は「未知の世界へのあこがれ」だったと思いを込めている。

偶然は、作品の制作秘話などにも(同様に)関与する。大ヒット曲『贈る言葉』は卒業式の定番として歌われる曲だが、本来は失恋から立ち直るために歌ったという。武田鉄矢さんは、事実がないと歌が作れないそうで、失恋から出来た別れの歌だった。

 

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未練たらたらの武田さんは、ずっとウジウジ泣いていたらしい。そしてお相手から「放してって」と言われ、挙句の果てには「大きい声を出すよ」・・・とまで。

<人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから>。そこから名曲が生まれた。この歌詞の部分は、太宰治さんの言葉を借りたとのこと。太宰さんいわく、「優」という文字の成り立ちで、<人は憂いが心に多いほど、人に優しくできる。だからその人は優れているんだ>と書いた。

武田さんの体験で、女性に振られて泣いていると、落ち着くために必死で本を読むという。曲のタイトルについても<1960年代に芥川賞を受賞した柴田翔さんの作品に『贈る言葉』がある>。「あっ、これだ!いつか使おうと思った」という。

実際に、タイトルを作るためにも本屋を歩きながら言葉を探した、というからすごい。80年代の作品にそれが反映している。まさに、“準備”ができていたからこそ、偶然を引き寄せられた・・・と、いうことだろう。

 

ニュースの形を欲しがる人も

 

日本は“世界一のBGM消費国”だという。音楽ライター・田中雄二さんに、バックグラウンド・ミュージックの歴史をまとめた著作がある。

もし、コンビニやスーパー等の店内が静寂に包まれていたら、お客さんは必要なものだけ買って、さっさといなくなってしまうかもしれない。

耳慣れた洋楽の懐メロや名曲をアレンジした演奏により、リラックスした気分を与え、その場の人へ買い物意欲を促す効果が期待されている。

とはいえ、多種の商品を扱う店舗では客の買い物意欲のターゲットを見失うと、大きな損失にもつながる。

約643万トンの食品と言われても、なかなか想像できない。平成28年度に発生した日本の“食品ロス”だという。たしか、節分で売れ残った“恵方巻き”の大量廃棄が問題になっていた。

 

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最近は、人手不足の営業時間短縮も含め、食品ロスの問題に大手コンビニがようやく腰を上げたという。消費期限が近づいた食品の実質的な値引き販売を始めるとか。

ポイントで還元する仕組みなどで、消費者は安く買え、加盟店も廃棄コストの負担が軽くなる。また、“恵方巻き”や“クリスマスケーキ”なども予約のみに切り替えて、売上は減っても廃棄の大幅削減で今までの損失分を大きく改善しているという。

その動きは食品業界に広がりそうだ。しかし、驚くのは<コンビニなど小売業はロス全体の約1割にすぎない>ということである。

最重要箇所は各家庭と、食品メーカーや外食店なのだ。現代はテレビやネットで、ニュースはほぼリアルタイムで伝わる。その中で、食品ロスの問題としてコンビニやスーパーの名前が多く出るため、我々は肝心なところを見失うことにもなりかねない。

 

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この春に新元号が発表され、「令和」になったことは誰もが知っていたはずだが、それでも新時代の到来を実感したかったのだろうか。

人が多く集まる主要都市で配る新聞社の号外が、(配り始めると)奪い合いになり、転倒する人も出たという。これほどの混乱はなかったようだ。

新米の新聞記者のことを、昔は“トロッコ”と呼ばれていた。記者を“汽車”に見立ててて、レールの上をトロッコも走るが汽車にはほど遠いことからつけられたのだ。

明治の日清や日露戦争で、速報の役割を担ったのが号外だったという。インターネットなどない時代、戦況を伝える号外競争が繰り広げられた。

現代でも号外発行となると、新聞記者はルーツである瓦版の血が騒ぐという。読者のニュースへの驚き、喜び、感動に直接触れられるからだ。“トロッコ”の記者たちにとっても、最高の研修になるかもしれない。アナログな新聞も捨てたものではない。

ただ気になることもある。奪い合いで貴重な号外を手に入れた読者の中には、記事に目もくれずネットオークションに出品して一儲けを企んだ方もかなりいたらしい。心が温まりかけていたところ、テレビの報道で知って急冷したのを覚えている。

 

過去2年で生成された90%

 

酔ったときの会話で、私もよく使う「すべる」という言葉。元々は芸人らの業界用語で、笑いをとろうとしたギャグがまるでうけず、気まずい空気が流れることだという。20年ほど前の若者たちが使い始めたらしいが、今の若者に使ったらすべってしまうかもしれない。

その点、この人のお話はおもしろく、(私にとって)すべることがない。武田鉄矢さんである。若い頃、容姿に悩んだ武田さんは飛び込んだ書店で『劣等感を吹っ飛ばせ』という書籍を見つけて手にとった。そして、開いた見出しのひとつを見て驚いたという。

短足コンプレックスをバネに、どっこい生きてきた武田鉄矢>という見出しに、“劣等感を克服して堂々と生きる人”として紹介されていた。しからば・・・と、居直ることで湿っぽい感情が消えたようである。

武田さんのしゃべりには、漢字的な要素を感じることもよくあり、それが説得力になる。

 

 

昭和以前の文章には、<略毎日>などと表記されるものがあった。インターネットで調べても「略」という字は“りゃく”だけではなく、“ほぼ”とも読むそうである。同じ「ほぼ」では、“粗”も同様に使われるとか。つまり、略毎日は<ほぼ毎日>ということらしい。

「すべる」という言葉と同時期だったのか、「ほぼほぼ」という“ほぼ”の強調形もかつての若者たちに使われていた。断言を避けたいときに使う言葉だったと思う。

漢字の数は、10万を超えるともいわれる。辻や峠みたいに日本生まれなのに、漢字と呼ばれる文字もある。誰が作ったのかわかっている字は少ないが、そのほとんどが長い歴史のなかで形を整えてきたという。

<無視・称賛・非難>と表現していたのは、阪神時代の野村克也監督で、部下の操縦法なのだという。

 

 

 ・ダメな部下は放っておき、自然と成長するのを待つ。
 ・そこそこの部下は長所をほめて育てる。
 ・できる部下はあえて弱点を指摘し、奮起させる。

“ハラスメント”が氾濫する今の時代、相応の漢字が思い浮かばない。部下の指導でも<称賛・称賛・称賛>が妥当なのだろうか。

さて、世界中にあるデータの90%は、過去2年で生成されたと言われるほどまで、データが近年急増している。2025年には現在の10倍に当たる163ZB(ゼタバイト)ものデータ量に達するとの調査もあるそうな。ゼタバイトという単位さえ、まったく想像もできないが。

データが急増する中で、今後はAIでいかに価値を引き出せるかが重要になってくるといわれる。AIの活躍には興味も尽きないが、願わくば漢字に強いAIが出てきてくれると有り難い。(ふむ)