日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

両刃の活性酸素はどう歩むか

 

腰は体の要(かなめ)という。数あるケガや不調の自覚症状の中で1位は腰痛らしい。腰痛と闘う人類の始まりは、四足歩行から二足歩行に移った時期であり、国境を越えた宿病のようである。

現代病の要因では、昔になかったものを探してみると納得する。自然食離れ。ラジオやテレビ、その他の電波。デジタル機器からの電磁波もそうである。

たとえば、伝書鳩の帰巣率の低下で、1990年代後半から携帯電話の電磁波影響説も出ている。人の周りでも昔にはなかった機器が溢れ、昔のままの体で耐えられないストレスが増え続ける。

細胞内の酵素で分解しきれない余分な活性酸素は、癌や生活習慣病、老化等、さまざまな病気の原因であるといわれる。活性酸素が溜まれば、自らの細胞を錆びさせる。

 

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“臆病”・“愚か”のみならず、“利口すぎる”・“強すぎる”も含まれるという。武田信玄重臣による『甲陽軍鑑』に、国を滅ぼす大将の特徴4点が筆録された。

強すぎる大将は知恵に優れるが、気性が激しい。いつも強気に出るため忠臣を討ち死にに追い込み、周りは「猿のごとくなる侍」ばかりになるという。武田勝頼が例として記された。

人の体は、活性酸素の毒性を逆手にとり、細菌やウイルスなどを殺す武器としても利用する。細菌を白血球の中に取り込んで殺すときに、大量の酸素を消費して活性酸素を作り出し、その強い毒性で破壊する。

それが適量であれば健康維持に役立つが、過剰に発生すると今度は正常な細胞を破壊してしまう。つまり、活性酸素とは両刃の剣なのである。

我が身を守るはずの活性酸素も、現代環境に現れたモノたちを悪と判断して過剰防衛してしまう。

利口すぎる大将にはうぬぼれがある。何事も自分の才覚頼みで家臣に疑心を抱き、のっぴきならぬ対立を招く。指導者には、バランスの取れた資質が肝心・・・なのだと。

過剰な活性酸素には、抗酸化で対抗することが必要になる。

 

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1900年頃にダイムラーらが世界初の自動車を発明して以来、100年に1度の変革期を迎えて、今はEV(電気自動車)も登場している。そして、次世代のクルマの代表格である自動運転車の実現では、他車と衝突しないように高度な通信網が欠かせない。

経営コンサルタント・冨山和彦さんは、『AI経営で会社は甦る』に書いた。

クルマを取り巻く生活様式の変化を予想すると、移動手段が馬から自動車に移り、余暇として乗馬クラブが登場したように、完全自動運転の時代に<確実に生まれそうなのは乗車クラブだ>と。車を運転することでストレスが発散できるようになるらしい。

自動運転車で、運転をしなければしない分、(乗車中に)新たなストレスが生まれそうだ。本人がまったく運転しなくとも、システムエラーや故障で事故が起きれば、オーナーにすべての責任が生じるかもしれないからだ。

そうなったときのストレスはいかほどのものなのか。そして活性酸素がどんどんと・・・。

 

もたもたできぬ決済の争奪戦

 

9月になれば夏が過ぎ去ったという気分だが、この夏の暑さはまだ居座るかもしれない。平成最後と称されたこの夏は、日本列島が猛暑に包まれた。

思えば、昨夏とはあまりにも違いすぎた。観測記録のある1886年(明治19年)以降の最多記録に並んだ昨夏は、記録的な長雨と日照不足が続いた。

東京都心では昨年8月に、計27日間も雨が降った。野菜の価格が高騰、ビールやアイスなどの売り上げも減り、異例づくしで記録ずくめの夏であった。

連続して雨が降った日数も1~21日の21日間で、8月としては1977年の22日間に次ぐ長さ。日照時間は平年の半分しかない約84時間であった。

 

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たった一年前のことであるが、落差が大きく何年も前の話のように思えてしまう。一年でガラリと変わることは陽気ばかりではなく、技術の世界にもいえそうだ。

昨夏の記事で、NECが電子識別技術をさらに一歩進め、点を書くだけで識別タグが作成できる、と記されていた。

今の社会では、人を特定して認証したり、商品などを識別したりする様々な方法がある。印鑑やサイン、そしてバーコード、QRコード、指紋認証等である。それが、市販のペンで直径1ミリ・メートルの点を書くだけで、バーコードのような識別タグに早変わりする仕組みを発見したと、同社の研究チームが発表。

ペンで書いた点をカメラで撮影して拡大すると、インク内の微粒子が細かな模様を描き、同じ模様にならないことに着目したという。撮影した点の画像から、コンピューターが特徴的な模様を数百か所抽出して、約1万点のデータベースから一致する点を選び出すのである。

小さな部品などにも、点を書くだけでタグ付けができる。また、指紋認証のような認証キーとしても使えるとのこと。インク1滴でタグ付けができ、コピー機では微粒子の模様まで複製ができないという。

 

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“点の識別タグ”は数年以内の実用化を目指すというが、“キャッシュレス”に向けた決済方式の競争は本格化している。

無料通信アプリ大手「LINE」は、専用アプリを使ったQRコード決済で、店側の決済手数料を3年間無料とする普及策を始めた。そして、対応する店舗や自動販売機などを年内に100万か所まで増やす計画なのだ。

ヤフーとソフトバンクもこの秋から、(ソフトバンクの営業網を活用し)同様の取り組みを始めるという。

QRコード決済は、利用客がスマホ画面に示したQRコードを、店側がアプリなどで読み取る方法が一般的だ。また、店が掲示するQRコードを、利用客がスマホで読み取るケースもある。

登録したクレジットカードの口座などから支払われるQRコード決済では、アプリをダウンロードし、必要な情報を登録すれば利用できて初期費用が少ない。中小店舗での導入が進むだろう。

アナログでインクの点を利用したり、以前からあるQRコードの利用が広がっている。その着眼点が興味深いのである。

 

追いやられるモノには要因が

 

AI(人工知能)は1950年代からブームと低迷を繰り返し、今は第3次ブームにあるという。とくに新しい技術ということではないらしい。

それぞれで実用化が始まり、その応用範囲は広いというが、どうもピンとこない。

証券会社のゴールドマン・サックスは2000年時点で約600人を擁していたが、今やニューヨーク証券取引所のフロアトレーダーは数人しかいないという。

機関投資家による貸株の取引にAIを活用。人手に頼らず短時間で価格や条件を提示できる分、(大量の注文に応じきれなかった)商機を逃すこともない。日本の証券会社もAIが予想した株価を、参考情報として顧客に提供している。

AIのフル活用で、流通業界ではレジの自動化などにより生産性が向上し、60%の増収をもたらすという試算もある。製造業では人による誤作動などのロスが減り、39%の増収が可能とも。AIはホワイトカラーの多くが従事する“事務職”を代替する可能性も高いといわれる。

 

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とはいえ、人間の仕事を奪うのはすべてAIなのかといえばそうでもない。

時代とともに仕事がなくなっているのは事実である。駅員を例にあげれば、自動改札機の出現で切符を切ったり受け取ったりする仕事はほとんどなくなった。かつて窓口で購入していた切符も自動販売機に替わった。

スーパーでは買い物客が機械で精算するところも増えている。レジの人は購入商品をスキャニングするだけだ。防犯対策等がクリアできれば、それも客自身のセルフに切り替えられる。そうなると、レジに人がいらなくなる。

銀塩写真の衰退はデジタル写真の進出であって、とくにAIのせいでもない。

AIだから・・・などと意識しなくても、私たちの身の回りにはAIが浸透している。電車の乗り換えソフト、ワープロソフト、スマホ音声認識などである。

 

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AIとは人間の脳が行っている作業を、コンピューターとソフトで模倣する技術である。

私も痛感しているが、ワープロソフトのおかげで漢字を書けない人が増えた。しかし、モノは考えようで、ワープロソフトがあれば難しい漢字もかんたんに使うことができる。

手元にスマホがあるだけで、“人間はAIとペアになって”能力を向上させることが可能かもしれない。AIを身近に感じるか感じないか。この差は大きいような気もする。

パソコンが出現したとき、知らない人ほど“何でもできる機械”と勘違いした人が多かった。AIについても同様で、過信は必要ない。要は使い方の問題だろう。

AIスピーカーに話しかければ、電気の点灯を始めテレビをつけて、エアコンも・・・。そのために対応機器を備えるとしたら本末転倒もいいところ。それぞれのリモコンで操作した方がよっぽど楽である。

家でひとり呑むときに、私の楽しいお話相手がAIスピーカーで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

伝説の「阿鼻叫喚」コンサート

 

観客は阿鼻叫喚(あびきょうかん)で、音楽がほとんど聴こえないほどだった。舞台も客席も、狂気に満ちていた。音楽評論家・安倍寧さんはその客席にいた。

1958年、伝説となった第1回日劇エスタン・カーニバル。舞台上にいたのは「ロカビリー3人男」と呼ばれた平尾昌晃さん、山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスさん。

マイクの前に立って歌うスタイルではなく、歌いながらギターを弾き、動き回るパフォーマンスのポップスは新鮮だった。日本の音楽シーンで初めてであろう。

海外の音楽を用いて巻き起こした熱狂は、後のポピュラー音楽やグループサウンズ(GS)ブームへの流れを作った。

今も役者等マルチな活躍をするミッキー・カーチスさんは、バンド「サムライ」で欧州に渡った。日本がGSブーム真っ盛りの頃、ピンク・フロイドらと同じステージに立ち、最先端のロックを肌で吸収した。しかし、帰国後にサムライとして出した作品は売れなかった。<時代の先に行きすぎた>のである。

商業的には成功しなかったこの体験も無駄ではなかった。70年代には音楽プロデューサーの仕事を始め、若い才能を見いだして作品を制作し、宣伝までも関わった。

矢沢永吉さんらが所属したキャロルやフォークグループのガロなど。それまでの日本の音楽界にはない雰囲気のミュージシャンを手がけ、成功を収めた。

 

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1971年7月17日、雷鳴の轟く豪雨の中、後楽園球場で行われたコンサート「ロック・カーニバル#6」も阿鼻叫喚だ。日本のロック伝説のひとつとして今なお語り草である。

当日の出演者は日本からモップス、カナダからマッシュ・マッカーン、アメリカからは麻生レミさん。そして、主役となるのがグランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad, GFR)である。

マッシュ・マッカーンの演奏が終わる直前、球場内ステージ前に設置されたGFRの大きな看板が突風で吹き飛ばされた

聴衆は逃げ場もなく、ずぶ濡れのまま待つことになる。ついには雹まで降ってくる。

GFRは、1960年代末から70年代半ばにかけて、アルバム、ヒット・シングルを連発した人気ハード・ロック・バンドである。1969年にレッド・ツェッペリンアメリカ公演の前座をやった際、歌と演奏力で聴衆を熱狂させ、ツェッペリンを食ってしまった。

『ロコモーション』をハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ全米1位を獲得。グランド・ファンク最大のヒットシングルになった。

 

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天候が回復する気配はまったくない。中止かとあきらめたとき、司会の糸居五郎さんの声がスピーカーから流れた。

<皆さん~! グランド・ファンク・レイルロードは必ず出演します。演奏を必ずやるといっています。もう少し待ってください>。

観客席では、映画『ウッド・ストック』のように「No Rain、No Rain」の声がスタジアム中に伝わり大合唱になった。

午前9時半、本来なら終演予定の時刻である。リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が爆音で流れ始めた。

一塁側のダッグアウトからGFRが走って出てきた。稲光の中で『アー・ユー・レディー』の演奏。ついに始まった。

そのあとも大量の雨が降り注ぐ。GFRは激しい雨に打たれながらも演奏を続ける。『ハートブレーカー』で観客も一緒の大合唱。3万5000人の観客が熱狂に包まれた。

パワー全開のGFRのライブは約1時間。午後10時40分に最終曲『孤独の叫び』で終演した。激しい雷雨の演出も加わり、予想以上の熱演がロック伝説へと刻まれた。

私が、ネットで知り合った同年代の女性は、その観客の中のひとりであり、その中のひとりの男性と知り合った。その彼が今の“ご主人”と、うれしそうにおっしゃっていた。

 

読書は紙とデジタルのどちら

 

<わたしは“本や”に本を探しにゆくのではない。なんとなく本の顔をみにゆく>のだから。詩人・長田弘さんは書いた。本の数は少ないけれどかまわない。大きな書店ではない“本や”という雰囲気を持った小さな店が好き・・・だと。

夜に、静かな店でまだ知らない仲の本たちと親密に話をするのは、いいものである。小さい店だから、ほとんど全部の棚をのぞき、そこには自分の関心の外にある本も、予期しなかった本もある。そして1冊を買う。

そんな場所は残念ながら、減る一方らしい。書店が地域に1店舗もない「書店ゼロ自治体」が増えて、全体の2割強にもなるという。

出版取り次ぎ大手の調べでは、2017年7月の時点で香川を除く全国46都道府県で420の自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占めた。

 

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ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)の順で、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)へと続く。人口減や活字離れがあるほか、書店の売り上げの6~7割を占める雑誌の市場規模は、その10年前の6割に縮小している。

紙の本の市場の1割を握るアマゾンなど、ネット書店にも押されている。紙の本はまだ読まれているにしても、購入はインターネットでの通販ということなのだろう。

本屋さんと同様に、DVD販売店も減っている。DVD自体が配信購入や聴き放題に押されているが、DVDを必要とする人もいる。知っている店へ行ったところ閉店していて、いくつか他をあたったがどこも廃業。仕方なしにアマゾンからネット購入をしたという話も訊いた。

 

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車の技術開発もデジタルやネット利用の流れで、安全面の置きざりが心配である。

ブレーキやアクセル、ハンドルの操作にソフトウェアが関与する“自動走行”への過大評価を懸念・・・と、第一生命経済研究所の宮木由貴子さんも記事にしていた。

多くの人がその技術を正確にイメージできているかと言えば、そうでもない。自動走行技術は、制御内容で段階分けされているが、現状ではまだ“完全自動”のレベルに達してはおらず、完全自動走行の実現に向けた途中段階だ。

“自動ブレーキ”についても誤解が多いようだ。<人がブレーキ操作を行わなくても障害物の前で停止する機能>などと、過大評価している人が多い。

“自動ブレーキ”とは「衝突被害軽減制動制御装置」のことで、衝突を回避できるものではなく、被害の軽減にとどまるだけ。消費者に十分認識されないまま装置を過信すると、運転者がブレーキを踏まずに事故に至るケースもある。

「できること」と「できないこと」も消費者にはっきりと示さなければいけない。カーシェアリングなど所有せずに自動車を利用する人も増えている。自動車ごとに用語や定義が異なれば、事故につながりかねない。

車メーカー各社で共通用語をまとめ、だれでも読める本を作成したらいかがか。それはデジタルだけでなく紙の本も必要だ。

 

消えゆく物から宿る文化とは

 

あの時代、ラジオのディレクターはみんな若くて志があった。コンサートへどんどん足を運び、お気に入りのシンガーをディスクジョッキー(DJ)に登用する。ダイヤルを合わせた若者はお気に入りのDJを見つけ、初めて聴いた曲を輸入レコード店で探し出す。

テレビは一家に一台、ラジオは一人に一台の時代となった。若者にとって、親の目を気にせずに楽しめる娯楽である。大学の大衆化により、深夜に受験勉強をする受験生が急増。深夜放送ブームを支え、ラジオが若者文化の発信地となっていく。

1967年10月、大阪で『ヤングタウン』(毎日放送)、東京は『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)が開始した。

“誰も聴いていない”とされていた深夜帯の番組に火がついた。ちょうど受験競争が激化して、若い世代が深夜に眠らなくなりつつあったときである。

 

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深夜ラジオは“若者”という鉱脈を掘り当てたのである。その波は、地方にも波及していく。そして、タレントらを起用するようになるのだ。

1974年スタートの笑福亭鶴光さんを先頭に、タモリさんやビートたけしさんらの才能が、ラジオで異彩を放つ。当時売出し中のシンガー・ソングライターや人気アーティストも、深夜に続々と登場することになる。

さて、固定電話が一般家庭に普及しはじめたのも1970年代以降である。各家庭では居間などに1台設置され、家族が共同で使用するものであった。

通信の主役が固定電話から携帯電話に移る中、ピーク時の1997年11月の6322万契約の約3分の1に減った。2017年度末の固定電話の契約数が1987万契約。2000万契約を割り込んだのは、1971年度末以来、46年ぶりである。

 

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逆に、携帯電話の利用者は増加。年間で1000万を超える番号が使われる年もあるとのこと。総務省は携帯向けの番号が不足する恐れがあるとの判断で、枯渇に備えて新たな番号を確保するそうだ。

携帯向けに割り当てている「090」と「080」で始まる番号は全て使われ、「070」もあと数年で使い切る予測らしい。総務省は携帯電話に「060」で始まる番号を導入する方向だという。

固定電話網に関しては、2024年からIP(インターネット・プロトコル)網へ全面移行する計画もあるようだ。その場合は、24年に固定電話の契約者数が1000万程度に減るともいわれている。

それにしても、固定電話の価値は下がる一方である。我が家に関しては、墓地の売り込み、保険の勧誘、その他わけのわからぬ商品の売り込み、怪しい電話・・・ばかりかかってくる。受話器を取る前から断る口実を考える癖がついた。が、電話を受けた相手がたまに知り合いだったりするのであせる。

 

自動運転のあとは飛ばされる

 

“100年に一度”とも言われる大変革の時代を、自動車が迎えようとしているらしい。20世紀に入り普及したガソリンエンジン車が、どんどん追いやられそうだ。

規制を強める動きは世界で広がり、EV(電気自動車)が次世代エコカーの本命候補になりつつある。世界的な“EVシフト”の背景には、地球温暖化対策への意識の高まりがある。

アメリカの一部の州や中国がEVなどのエコカーを普及させる政策を進め、イギリスやフランスは新たに、2040年までにエンジン車の販売を禁止する方針を打ち出した。

自動運転の技術も各国で急速に進化している。近い未来に、操作がほとんどいらないクルマが登場するらしい。自動運転では業種を超えた開発競争が激化している。

 

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カギを握るのは、AI(人工知能)や情報通信の技術。米国のグーグルやアップルなどが参入し、自動車産業に挑む構図としてEV、自動運転という二つの大波が自動車業界へ向けて発生している。

燃費の良さや価格の手ごろさ、総合的な技術力で国際競争を生き抜いてきた日本の自動車メーカーは、自己改革が迫られ、ガソリンエンジン車のときの強みが発揮しにくくなる。

その矢先、日本政府は“空飛ぶクルマ”の電動化支援を行うと発表した。

数日前の新聞記事で、2020年代の実用化に向け、操縦士なしで空を移動する空飛ぶクルマのバッテリー開発補助を政府が行う。

空飛ぶクルマはドローンや電気自動車の技術を応用する。電動で複数のプロペラを回転させて垂直に離着陸し、時速100~200キロ前後で飛行することが想定。

実用化には軽くて出力の高いバッテリーが不可欠だ。航空機大手エアバスアメリカ配車サービスのウーバーが、空飛ぶクルマの開発に力を入れるなど競争はすでに激化している。

 

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ガソリン車を利用する消費者は、どんどん肩身が狭くなりそうである。

平成元年には、60000ヶ所以上もあった国内のGS(ガソリンスタンド)も、年々その数を減らして、平成26年度末にはほぼ半減して33510ヶ所にまで落ち込んでいるらしい。

人口減やエコカーの普及によるガソリン消費の落ち込みなどが背景にあるのは否めない。とはいえ、過疎地では“ガソリンスタンド難民”が増えているともいわれる。

昨年、経済産業省の方針では、小型の貯蔵タンクを用いた「ミニGS」の設置を後押しするとのこと。

ガソリンは危険なため、1万リットル前後の地下タンクで貯蔵するのが一般的だが、ミニGSは、給油機と600リットル以下の小型タンクを一体として、地上に設置。費用は約1000万円で従来のGSの約3分の1に抑えられる。

同省はGSが3か所以下の自治体を「GS過疎地」と定め、約1700自治体のうち、対象は昨年3月末で300を超えていた。

それにしても、車が電気で勝手に動いたり、空を飛ぶ。消費者の意向は後回しで、クルマの案だけが、自動で先走りしているのではないだろうか。

 

同じ球技のような気がしない

 

<喜ぶな上司と野球にゃ裏がある>。数年前のサラリーマン川柳である。上司のささやく甘言の裏には思惑があり、野球の裏には逆転が隠れている。

自分はテレビで観る気もないが、毎夏には家でも外でもテレビで流れている。観ないつもりでいても、試合内容がものすごいのでつられて観てしまう。

一瞬にかける選手たちにとって、9秒半から10秒という時間は意外に長いのだろうか。ジャマイカウサイン・ボルト選手の著書で、100メートルを走る間に、信じられないくらい多くのことを考える、とあった。

自分より先に走り出す選手には、「どうやったら、そんなスタートが切れるのか?」とか、加速でもたつけば、過去の教訓を思い出し「パニックになるな」と自分を諭す。

100回目の今大会も、逆転サヨナラが多い。波乱のドラマに胸ときめくのが観衆の心情で、追い上げる側に肩入れしがちだが、ピンチを凌ぐ投手は自分へ何をささやくのか。

 

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プロで、トーナメント形式は興業的に無理であろうが、真剣度を上げるシステムができないものか。両リーグでたったの12チーム。その中で6チームに日本シリーズへの挑戦権が与えられる。約半年の期間で、リーグ優勝へしのぎを削り、勝ち抜いた2チームが日本一をかけて勝負を決する。本来はそのはずなのに。

交流戦日本シリーズで、パリーグの実力が上なのは歴然である。セリーグの関係者は情けなくないか。相撲で出稽古というのがある。キャンプの時期、セのチームはパのチームへ教わりに行けばいい。

力の差といえば、セでは広島だけが強く、1強5弱が定着しつつある。広島は、マエケン、黒田さんの両エースが抜けても、代わりが現れてドンドン強くなっている。力をつけた若手で補うという発想が実を結んでいる。

<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし>。野村克也さんがよくおっしゃる言葉である。たとえば、巨人はこの数年広島に勝てていない。足でかき回されたり、広島監督の采配がズバリ的中しているようだが、“負けの不思議”を確認していないのか。

 

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広島だけが強くなった要因はいったいなんだろう。かつて、巨人が日本一9連覇を果たした要因は、徹底的な守り重視の“ドジャーズ戦法"の導入と、ふたりの天才打者ON中心の手堅い攻撃力だった。

他の5球団はもっともっと広島戦法を考えた方がいいようだ。

8月19日の時点で、広島と2位のヤクルトは11ゲーム差。広島以外の5チームは勝率5割に満たない。広島は、ヤクルトに11勝4敗、巨人に13勝 (1分け) 5敗、阪神に11勝6敗。この3チームだけで勝数20もの貯金である。

この状態でも、なぜ2位、3位と、日本選手権をかけたCS(クライマックスシリーズ)をしなくてはならないのか。

高校野球は、(3789校中で)まったく敗けなしのチームだけが優勝できて、他のすべてのチームはみんな1敗のみ。真剣度の差がこのあたりにありそうだ。

 

「はっきり」させたい言葉たち

 

詩人・中桐雅夫さんの『嫌なことば』という作品が大好きだ。気に入らない言葉遣いを並べて罵倒する。<何という嫌なことばだ、「生きざま」とは>。理由として、「生きざま」というのは本来「死にざま」から出たものだから・・・と。

<「やっぱし」とか「ぴったし」とかにも虫酸が走る>。<政治家の「前向きで」など、使用禁止は当然だ>とも。評論家の「ある意味では」では、どんな意味でかを、はっきり書くように・・・。実に小気味がよい。

AI(人工知能)がブームになり、どこでも使われる。また、AIの“頭脳”を支えるのは、膨大なビッグデータだとも。中桐雅夫さんがご存命なら、「AI」と「ビッグデータ」も“嫌なことば”の仲間入りをしそうだ。漠然としてわかりにくい。

そもそも、ビッグデータとの言葉に(はっきりとした)定義がなく、IT企業の人すら、実態がよくわからないらしい。

 

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日本では、2012年頃からビッグデータという言葉がはやり始めたという。当時は、従来の技術では管理困難な大量のデータという程度の漠然とした捉え方であった。

今では、購買履歴、監視カメラやセンサーの情報、インターネットの文字情報など、様々の(膨大な)データのことをさすようになっている。それ以前、この種のデータは捨てられていたとのこと。それを捨てないでためてみようということになり、集めて分析することで、何かお宝が隠れているのでは? との流れになっている。

まず、膨大なデータを分析すると、大きな流れや動向が見えることがわかってきた。漠然と“こうではないか”と思っていたことが、はっきりと数値で見えるようになってくるのだ。

ビッグデータは市場分析に使われることが多い。スーパー、量販店、コンビニエンスストアなどで買い物をした時に客がポイントカードを出す。そこには個人の購買履歴のデータが納まっているのだ。

 

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個人からのデータが多ければ多いほど、ビッグデータとしての価値は高まる。男女、年代、地域などの属性に合わせて効率的な品ぞろえができ、グループ企業間でデータを共有すれば、さらに利用濃度が強まる。

データが価値を生み出すということを、アマゾンやグーグルなどの企業は、早い段階に発見して活かしてきた。ヤフーなどで検索された言葉をもとに、新商品などがどこで流行しそうかも、分析することができる。

データは「金の鉱脈」みたいなもの。それを持つ者と、持たざる者の格差はどんどん広がる。また、データの質に対する感度も大切になる。

必要な項目が入っているかどうかを見極めて、どれぐらい大量に収集できるかで大きな分かれ目になる。次の行動はそれをもとににどうつなげるか・・・。

<「どんな意味でかを、はっきり書くように…」と生きていてどれほどのことができるのでもないが、死ぬまでせめて、ことばを大切にしていよう>。『嫌なことば』の締めの言葉である。「言葉」も何よりのデータである。

 

「俺たちシリーズ」をご存知か

 

松田優作さんと中村雅俊さんは刑事ドラマ『俺たちの勲章』(1975年4月~1975年9月)で共演している。この作品は、出目昌信さん、降旗康男さん、斎藤光正さんらの錚々たる監督たちが各話を担当し、鎌田敏夫さんが脚本を書いた。

雅俊さんによれば、優作さんはアドリブの芝居が多かったとのこと。凄く芝居のバリエーションのある優作さんのアドリブに対して、いくつも答えがある中から雅俊さんが選んで芝居をしていく。

私の地元テレビ局「TVK」で、先週まで『俺たちの勲章』を再放送していて、感慨深く観入っていたところであった。

メインテーマの『あヽ青春』(インストゥルメンタル)は吉田拓郎さんの曲であり、第6話から使用された挿入歌『いつか街で会ったなら』も拓郎さんの曲で雅俊さんが歌った。

雅俊さんは、拓郎さんに音楽を頼めないかと、プロデューサーに依頼した縁であったが、優作さんも拓郎さんファンであったようだ。

 

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優作さんは文学座の12期で、雅俊さんが13期。マネージャーも一緒で、どちらも岡田晋吉さんの作品で世に出たなどと、共通項は多い。『俺たちの勲章』では優作さんのキレのいい演技が印象強かったが、続く『俺たちの旅』(1975年10月~1976年10月)では主演の雅俊さんが等身大の演技で本領を発揮。

俺たちの旅』でも、斎藤光正さん、出目昌伸さん、恩地日出夫さんらが監督を担当。脚本も鎌田敏夫さんを中心に名作が描かれた。

オープニング曲『俺たちの旅』とエンディング『ただお前がいい』を小椋佳さんが作詞・作曲をし、中村雅俊さんの歌が大ヒットした。

当初予定されていた放映期間は2クール(半年)だったが、高視聴率を獲得し続けたことで放映期間が4クール(1年)に延長された。

 

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俺たちの旅』の人気を引き継ぎ登場したのは『俺たちの朝』(1976年10月~1977年11月)である。『太陽にほえろ!』を殉職卒業した勝野洋さん初の主演作である。こちらも1クールの予定だったが全48話一年間のロングランになった。

昭和50年代、神奈川県鎌倉のイメージに強い影響をもたらしたドラマとしても有名だ。舞台の古都・鎌倉が見直され、観光名所となる。今では、何度もドラマに使われる極楽寺駅(江ノ電)も、このドラマが発端である。

1960年代に自動車が大衆化され、江ノ島電鉄は利用者が激減。廃線寸前にまで追い込まれていたが、『俺たちの朝』のヒットで若者たちが押しかけた。

この作品のテーマ曲は、“作詞:谷川俊太郎 さん/ 作曲:小室等さん”で、松崎しげるさんが囁くように歌っている。

さて、「俺たちシリーズ」の最終作となるのが、『俺たちの祭』である。私には一番印象が薄い作品であるが、なぜか気になる。雅俊さんの主題歌『俺たちの祭』(作詞・作曲:小椋佳さん)も好きだ。

人気絶頂期を迎え、1年ぶりにこの枠に戻る雅俊さんの主演だけに期待が寄せられた。しかし、前2作に比べてコメディの部分が少なくなり、苦悩や挫折、長い回想シーンなど重い雰囲気の場面が多いなどと、視聴率的に苦戦した。

前2作と同様に1年間の放送も想定されていたが、1978年4月に全23話をもって終了した。当時の私も『俺たちの旅』に比べて面白みを感じなかったが、今になってもう一度観たくてたまらない。

 

参考:Wikipedia