日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

インターネットが近づく瞬間

 

『七つの子』や『赤い靴』を作曲した本居長世さんは、「道を歩いていると、電線が五線紙に見える」と語った。電線に関連した技術畑のアイデアとは異質なアイデアが浮かぶからおもしろい。

iモード編集者と称された松永真理さんも、本居さんと同タイプの方なのか。1977年に明治大学文学部仏文科卒でリクルート入社。雑誌の編集長を経て、97年7月にNTTドコモへ転職した。

97年1月にドコモ社内では、携帯電話でインターネットに接続する新事業をやるよう社長から指示があり、松永さんも参加することになった。この年は、携帯で短いメールをやり取りするサービスも始まった。

あの頃は携帯が伸び盛りで、儲かってしょうがなかったという。このまま無限に売れ続ける、とほとんどの社員が思っていた。しかし、社長は違った。いずれ誰もが携帯を持ち、マーケットは飽和する・・・と。

 

2029

 

余裕があるうちに次の新事業を探そうと、ドコモの社長は携帯電話からインターネットにつなぐ新ビジネスを始めようとしていた。それを聞いた松永さん。これはあたるな、と感じたそうだ。

しかし、ネットにつないでどんなサービスを提供するのか。技術分野の人間たちにはその先のアイデアがなかなか浮かばなかった。

1995年、宇都宮市内のポケベルが“話し中"でつながらなくなった。時間帯は決まって午前7時頃、お昼、午後4時過ぎから深夜、に限られた。そして、交換機がダウンしそうなほどの通信量になった。

宇都宮市の女子高校生はポケベル好きで、支店売り上げが全国一になったこともある。いわゆる「ベル友」なのである。

当時、駅前に緑色の公衆電話が10台ぐらいあり、朝は女子高生が並び、ずっと張り付いてテレホンカードを入れ、「0840(おはよう)」などと語呂合わせの数字を入れるたびに、友達のポケベルを呼び出した。いったん切り、また別の友達のポケベルを呼び出す繰り返しであった。

 

2030

 

会社員と違い、1日に数十回、あいさつ代わりにメッセージをやり取りする。それが「話し中」の原因だった。彼女たちが教室にいて電話ができない時は、普通につながった。
緊急連絡用に使っている大人たちからは、「つながらないポケベルを売るのか」と栃木支店に抗議が殺到した。

その女子高生のポケベルも、携帯電話の発達で止まることになる。松永真理さんは気が付いた。ポケベルにしろ携帯にしろ、業務での利用を考えていたが、一般の消費者、特に若い世代のコミュニケーション手段として、有力な新市場があることを。

1999年2月、携帯電話でインターネットに接続する「iモード」がスタートして、スマートフォンブームの先駆けとなった。この日を境に「もしもし」の携帯電話は、インターネットをつなぐ道具に変わった。親指でメールを打ったり、電車の時刻を調べたり、銀行の手続きもできる。パソコンやPDA(携帯端末)がなくても手軽にインターネットを使えるのである。

 

会話を楽しむことは同じでも

 

ついこの間のことだと思っていたが、若者を中心によく使われた“KY式日本語”も10年前の話らしい。代表的な「KY」(空気読めない)などと今 口走ったら、若者たちから口をきいてもらえなくなるだろう。

当時は“縮めに縮めた略語”を収めたミニ辞典も登場したようで、「3M」(マジでもう無理)、「ND」(人間として、どうよ)、「CB」(超微妙)などが網羅されている。

電車の中で若い女性のグループから、「DOね」とささやく声が聞こえれば、「ダサいオヤジ」なのか、「ダンディーなおじさま」なのかわかりにくいと、ミニ辞典で調べた年輩者がいたかもしれない。私の場合は、調べずとも答えはすぐにわかるのだが。

その対極で、昔の人はしばしば長文の“無駄口ことば”を用いたらしい。長所が見つからないときは「貧乏稲荷で取りえ(鳥居)がない」とか、簡素な祝い事は「座敷のちり取りで内輪(団扇(うちわ))で済ます」などと。

 

2027

 

<饅頭の真価は美味にあり。その化学的成分のごときは饅頭を味わうものの問うを要せざるところなり>。夏目漱石さんは著書『文学論』で俳句を饅頭に例えた。俳句を味わうのに成分論議(難解な解釈)は無用、うまければいいのだ、と。

俳句に限らず、日常の敬語も“美味”という(耳にした時の)心地よさにあるのかもしれない。

痛勤電車に疲労宴などと、誤字や誤植にはときになるほどと思わせるものがある。“失敗は成功の墓”もそうだろう。わが家のリビングのテレビには画面の縁に「世界の亀山ブランド」のラベルが貼られている。シャープの名を世界に轟かせた三重県・亀山工場製である。

美味であったはずのラベルを見るたびに、身売りをするハメになったシャープの成功が墓に入るような気分になってしかたがない。それも、製品の寿命がまだまだ尽きないうちに・・・なのである。

 

2028

 

評論家・大宅壮一さんは虚業家、恐妻、一億総白痴化などと、独特の言語感覚で世相を斬り、多くの造語を遺した。「口コミ」もその一つである。

その口コミという言葉の語意は随分変わってきているようだ。今風に記すならLINEやツイッターなどSNSを使った情報の拡散なのであろうか。

観光、映画からコンビニの新製品まで、あちらこちらで<ヒットの鍵は口コミ>という文言が飛び交う。かつて「時代を映す鏡」と称された雑誌の売り上げ減も著しい。

一億総評論家が情報交換や検索に明け暮れる現代を、大宅さんなら、どんな言葉を用いて喝破するのだろうか。

 

横浜ホンキートンクブルース

 

昨日、宇崎竜童さんの“弾き語りライブ”に行った。『港のヨーコ・・・』で始まり、アンコール曲『さよならの向う側』まで、ご自身のヒット作で大いに盛り上がった。

自作以外の歌を2曲披露してくれた。ひばりさんの『リンゴ追分』であり、もう1曲がこの名曲『横浜ホンキートンクブルース』であった。

1970年代終わり、俳優・藤竜也さんはトム・ウェイツの曲にインスピレーションを受けて一編の歌詞を綴った。歌詞を渡されたのは高校の後輩でゴールデン・カップスのエディ藩さん。野毛の立ち呑み屋で競馬中継を見ながら曲をつけた。

藤さんは人生のすべてといっていいくらい、長い時間を横浜で過ごす。白塗りのメリーさんとも伊勢佐木町、関内や馬車道横浜駅西口で会ったそうなので、私と同じだ。

不思議な空間で、彼女とまわりの空気には、ある種の威厳みたいなものがあり、すうっと舞台を移動する能役者のように動いたという。

 

2025

 

あの曲の作詞をすることになったきっかけとして、藤さんにはエディ潘さんと別の記憶がある。

藤さんは一時期、エディ潘さんやデイブ平尾さん、柳ジョージさんなどと、チャイナタウンあたりでよく飲んでいて、「ちょっとしたレストランで仲間とライブやるから」とエディ潘さんに連れて行かれた。

奥のほうにちょっとした演奏ができるようなスペースがあって、バー・カウンターがいちばん手前にある店だったという。そのカウンターで藤さんはライブを聴きながら酒を飲んでいたが、「お、これいいじゃん」と思う曲があった。それが『横浜ホンキートンクブルース』だったのだ。ただし、曲はいいけど歌詞があまり面白くなかった。

藤さんは酔いながら、コースターの裏か何かに“こんなのどう?”みたいな感じでワーッと書いてエディ潘さんに渡したのだという。曲のタイトルは最初からあった。エディさんは<面白いじゃないすか>と応えた。そして、その話はその場だけのことだった。

 

2026

 

音楽業界のことをまったく知らず、人とのつながりもない藤さんへ、レコード会社から「歌をうたってくれ、シングル出したい」との連絡が入った。返事をして出かけたら、見せられた曲が『横浜ホンキートンクブルース』であった。

歌わない方がよかった、と謙遜する藤さんであるが、ぜひ藤さんの原曲を聴いてみたい。
藤さんが吹き込んでしばらくすると、エディ潘さんが自分で歌った。そのうちに原田芳雄さん、松田優作さん、石橋凌さんなどが歌った。

原田さんと藤さんは歳も同じで、20代の頃によく仕事していたそうだ。<バンドホテルでライブやってるから>と原田さんから誘いの電話がかかり、最上階にあったナイトクラブ「シェルルーム」で藤さんは聴いた。

トム・ウェイツは日本でポピュラーじゃないが格好いいと思った。特にあの嗄れ声が。その箇所の歌詞をそれぞれ変えて、原田さんは「ブルース」などと歌ってるみたいだけど、その自由さがまた楽しい・・・のだと藤さんは言う。

 

一生では足らない二生ほしい

 

<戸一枚向こうにだれかが息をころして立っている、そんな感じで・・・>。劇評家・戸板康二さんは随筆に記した。子供時代の雪の朝を回想している。今朝のわが家でも窓外に雪が舞っていた。

雪の降る明け方の静けさは、誰かが息をころして立っている気配に感じるが如く、その“雪と沈黙”が科学的に説明できるものらしい。

交通の途絶により戸外の音が消えるだけでなく、落下する雪片や地上の積雪が音波を吸収して静けさをもたらすからだ。

女子スキージャンプ高梨沙羅選手は、14歳にして札幌・大倉山で141メートルを飛んだ。その瞬間、会場にいただれもが息をころして立っている。そんなイメージが脳裏に浮かぶ。

 

2023

 

野球で球場のバックスクリーン直撃のホームランは、推定飛距離が130メートルとも、140メートルともいわれる。雪山の競技場では、それと逆の美しい放物線が見られるのだ。

さて、豪快なホームランも魅力あるが、強打者をきりきり舞いさせる剛速球も迫力満点である。片手の5本はまだしも、両手の10本とは想像がつかない。

尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村栄治さんの球を受けた山口千万石さんは、指を10本すべて脱臼したという。受ける左手だけではなく、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まなかった。

その剛速球に加えて、肩口から膝元に落ちる(懸河と称された)変化球のドロップがあるので、打たれなかったのもよくわかる。

 

2024

 

17歳のとき沢村さんは、ベーブ・ルースのいる大リーグ選抜をなで切りにしている。プロ野球創設とともに巨人で活躍するも、現役引退後の1944年10月に2度目の応召(現役兵時代を含め3度目の軍隊生活)でフィリピンに向かう途中、台湾沖で戦死した。

享年27。実働は通算5年にすぎない。日中戦争(支那事変)に従軍した際は、抜きん出た遠投力を請われ、野球のボールよりはるかに重い手榴弾をさんざん投げさせられたことから、生命線である右肩を痛めた。そして、あの豪速球は影を潜めた。

<修業は一生では足らん、二生ほしい>。文楽人間国宝、七世・竹本住大夫さんの兄弟子の言葉だという。生前に、“三生ほしい”とおっしゃったのは黒澤明監督であった。

何かを極めようとして「一生」を懸命に生きると、人生の時間が短すぎるのであろう。ことにアスリートの場合、肉体の限界が早々に訪れる。

この2月で沢村栄治さんは生誕101年になる。

 

相撲で学ぶ判断力の勘どころ

 

相変わらずの相撲人気である。大相撲初場所14日目・NHK総合の生中継で、前頭3枚目・栃ノ心が初優勝を飾った27日放送分は、平均視聴率が20.2%。翌日の千秋楽の生中継でも、平均視聴率が19.0%の高数字なのである。

相撲通の作家であった宮本徳蔵さんは、著書『力士漂泊』(1985年)で“強さ”の極致にふれた。69連勝の双葉山はどんな敵に対しても「泰然自若として些少の動揺をも示さず」に勝った。まるで相手が自滅していくような印象すら受けた。

白鵬双葉山のDVDを見て研究したという。デビュー直後の序ノ口時代には負け越しを経験し泣いた。後に横綱に昇進するような力士なら、本来すんなり行くところで自分はつまずいた、と振り返る。

宮本さんいわく、“チカラビト”である力士は、本来モンゴルで生まれたとする。「国技」の背後にユーラシアの広大な時空を見るべし、と。

 

2021

 

横綱大鵬が平幕戸田に敗れ、連勝が「45」で途切れた一番は、物言いのつくきわどい瞬間であった。ビデオ判定の導入以前である1969年(昭和44年)の大阪場所。

テレビ中継のビデオでは、大鵬の足が土俵に残っている。大鵬は勝っていた。「大変だ、誤審だァ」と支度部屋に押しかけた報道陣に、大鵬は語ったという。<負けは仕方ない。横綱が物言いのつく相撲を取ってはいけない>。勝負審判ではなく、あんな相撲を取った自分が悪いのだ、と。

「孤掌、鳴らしがたし」という。片方の手のひらだけで手を打ち鳴らすことはできない。人の営みはどれも、相手があって成り立っている。勝負の世界も“競い合う”という形の共同作業にほかならない。

大鵬が現役の頃、北海道の実家に自分の写真と並べて、ライバルである横綱柏戸の写真を飾っていたことは有名だ。大相撲の人気は自分ひとりでつくったのではない。柏戸関がいてこそだから・・・と。

 

2022

 

相撲のわざに、相手の攻勢を軽くかわす“いなし”がある。サラリーマンの土俵でも、突っ張りやがっぷり四つよりも“いなし”のお世話になることが多いのではないか。会社に抱く不平不満と、いつも正面からぶつかっていては身がもたない。不満を右にいなし、左にいなし、かろうじて日々の土俵を務めている

将棋の大山康晴十五世名人は生前、よく語ったという。<得意の手があるようじゃ、素人です。玄人にはありません>。大駒の飛車角から小駒の歩兵までを自在に使いこなせないで、プロ棋士は名乗れないのだと。

どんな仕事に就いても、その分野のプロであることにはまちがいない。そのときには、いかなる手やわざでも、繰り出せることが必要になるはずだ。

 

身軽になるには持たないこと

 

ナルシシズムなる言葉の生みの親は心理学の祖・フロイトらしい。陶酔、自己愛がすぎて周りが見えなくなる精神状態のことだ。

一昨年、無料アプリ「NHKプロフェッショナル 私の流儀」が流行り、公開から約1か月で100万ダウンロードを突破したという。サイトには“2017年12月31日24時をもって配信を終了”とあったので、残念ながら今は落とせないらしい。

NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の主人公になりきった動画を、簡単に作成できるというこのアプリも、ナルシシズムのこころをくすぐるものなのだろうか。

作成した動画は、自分のスマホなどに保存するだけではなく、NHKの番組特設サイト「みんなの流儀図鑑」に投稿できるそうな。

 

2019

 

ソニーを“モルモット企業”と呼んだのは評論家・大宅壮一さんであった。業界に先駆けて新しいことに手をつけても、それはほかの大企業が乗り出す前の実験のようなもので、
しょせんはモルモットにすぎないと斬り捨てた。

しかし、ソニーの創業者・井深大さんは一枚上手で、これを聞いて喜んだ。モルモットはひとマネをしない“ソニー・スピリット”の象徴なのだから・・・と。ポジティブ思考への架け橋となるナルシシズムは大したものである。消費者たちはソニーの新しい商品を待ちわびて、ヒット商品が連発した。

<精神の疲労はアルコールを求め、肉体の疲労は甘味を求める>。作家・開高健さんはエッセイに記した。何の業種であれ、仕事に疲労はつきものである。

水に物質が溶ける性質である“水溶性”にならえば、人それぞれ、疲労にも“酒溶性”や“糖溶性”の種類があるようだ。そして、かつては“新製品溶性”のシェアも大きかった。

 

2020

 

今はモノの“所有”から“使用”へ転換との時代だといわれる。モノを手に入れても、使う時間や場所を確保する方が難しい。自分の子どもたちをみても、それぞれ車を持っていたが今は手放して、必要なときはカーシェアを利用している。

私も、動画や音楽のディスク(モノ)の購入やレンタルをまったくしていない。インターネットの配信ですべてがまかなえているため、所有感というものが失せているのである。

“使用”に価値を見いだす人が増えている、ということはよくわかる。モノを持たずにお気に入りの映画や番組を観たり、タブレットスマホで好きなだけ本も読める。そのことが新鮮なのである。

それを突き詰めていくとライブに行くとか、習い事をするなどと、体験して満足を得る消費は増えると思われる。現に、この先 数週間でライブに行く予定が2件入っている。

ふだんの会話でも、新製品の◯◯を買ったなどの話より、穴場のレストランや温泉地に行ってきた、との話の方が盛り上がっている。今はあふれる情報の中で、自分に合ったことを探し出す賢さが求められ時代でもあるのだ。

 

映画向きな情緒的時間帯とは

 

“深夜”のイメージは人それぞれでちがうだろう。飲み歩いていた頃は終電を意識する午後11時から午前0時過ぎくらいが深夜だった。今はもっと遅い時間になっている。

深夜に日付や曜日がからむと、その日が始まる午前0時から夜明け近くまでか、当日の夜遅くから日付が変わるまでが深夜、とのとらえ方がある。

新聞記事などでは、午前0時を過ぎてからは深夜ではなく“未明”と表現することになっているらしい。「夜がまだすっかり明け切らない時」との未明は、日の出を基準にした言い方である。そして、未明から“朝”への変更時間は季節により変動する。

“白昼”といえば“まひる”のことであり、昼の最中の正午頃を指すのか。そのことではっきりとした定義はないらしい。通常は“日中”、“昼間”などと日が出ている間を強調している。

白昼は、「白昼堂々と行われた・・・」のように特別なことやドラマチックな場面に使われる。

 

2017

 

白昼とは別の言い方で“昼下がり”がある。こちらは、「正午を少し過ぎた頃」との解釈で午後1時から3時頃や、“夕方前”までなどとイメージが絞りやすい。

また、“昼下がり”と“白昼”は、情緒的側面を持つ言葉なのであろうか映画や小説のタイトルにもよく使われる。

<どんなにつまらないと思う映画にも必ず一か所は面白いところがある。だからそこを売るんだよ>。映画評論家・淀川長治さんの言葉だという。映画宣伝に携わる方へのアドバイスであった。

予告編作りでは、あくまでも“本編の中のシーンのみ”を選択しなければならない。そして、宣伝マンのボキャブラリーは新たな日本語をも創造する仕事である。面白そうなシーンを選択する際、大先輩である淀川さんの言葉が今も生きているという。

 

2018

 

映画字幕翻訳者・戸田奈津子さんは、やって来る志望者たちに<あなたは日本語が出来ますか>と問いかけるそうだ。字幕翻訳は「1秒で4文字、最大文字数縦2行20文字が基本」なのだという。いかに内容が伝わるように日本語化するか、頭を悩ます仕事なのである。

(原題名とは別の)日本語題名の作成も観客動員に直結する大切な作業となる。昨今はカタカナ題名が多いとのことだが、ウケ方にも流行があるのだろう。

かつての作品では、「Love is a Many‐Splendored Thing(愛は多彩なものです)」に『慕情』、「Summertime」には『旅情』という邦題が付けられた。どちらの言葉もそれ以前にはほぼ存在しない日本語だったというから驚きである。

邦題との逆パターンとして、1980年代に夏樹静子さんの『Wの悲劇』が米国で出版され題名を変えられた。それは『Murder at Mt. Fuji(富士山殺人事件)』なのである。もちろん、富士山が舞台の小説ではないのであるが。

 

可愛げと強運、そして後姿。

 

「世の中の電話機は皆、母親の膝の上にあるのかな」と、主人公の男子高校生がぼやいて始まる小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、(半世紀前に書かれた)庄司薫さんの芥川賞受賞作である。

ガールフレンドに電話すると、「どういうわけか、必ず“ママ"が出てくる」のだ。今なら決して書かれることのないフレーズで、手強い関門を通る必要のない時代だ。

“呼び出し電話"もあった。電話のない家は、近隣の家などの電話番号を知人や親類に教えておき、かかってくるたびに取り次いでもらった。今では考えられないくらい、のんびりした“電話の取り持つ人づき合い"があった。

昔、友人と遠方の地へ鈍行列車の長旅を楽しんだ。数年前にその場所をジェット機で直行したパックツアーでは、短時間すぎて距離感がまったく感じられなかった。用のない駅に途中下車して、予期せぬ景色を眺め、儲けた気分になれたあのときを、ふと懐かしむこともある。

 

2015

 

米国の資本家たちは1980年代から90年代にかけて、(巨費を投じて)コンピューター中心の情報技術(IT)産業を育て上げた。近年は新技術の開発や育成よりも、短期に最大限の利益を上げる投資に熱心のようだ。

未来を開く一つのカギは、マネーゲームではなく、技術開発であることは間違いないはずだと思うのだが。

経営の神様である故・松下幸之助さんが創業した松下電器産業は、今年で100年を迎えるという。10年前には、それまで製品のブランド名として用いてきた「パナソニック」に社名を改めた。

創業当時の1918年(大正7年)は、1914年に始まった第一次世界大戦が終わった年であり、電気が家庭に普及し始めた頃であった。家庭での電球の取り外しは困難な作業であったが、簡単に電球の取り外しができる電球ソケットを松下さんが考案した。

借家の土間でソケットづくりから始まったその会社は、連結売上高が7兆円を超す企業へと成長した。

 

2016

 

「可愛げ」と「運が強そうなこと」、そして「後ろ姿」であると。松下幸之助さんは、この三つを“成功する人が身につけていなければならないもの"として挙げた。

「後ろ姿」の意味はそれぞれの解釈になりそうであるが、名前にも去り際があるということなのかもしれない。時世時節の移ろいとともに成功者もまた去っていくものであることを暗に教えているようでもある。

「松下」、「ナショナル」も、成功への長い道のりでは、苦楽を共にした功労者であったはず。しかし、社名や人の名前にも去り際が、そして後ろ姿があります・・・と、松下さんの声が聴こえてきそうな気がする。

今、私が一番気になる後姿といえば...イチロー選手であろうか。今年も現役続行を望むのはもちろんのこと、それでもあの後姿への愛着がどんどん深くなる。

 

スマホに頼るモチベーション

 

孤独こそは、考えを整理したり煮詰めたり、反省したり想像したりする“よすが”になるのかもしれぬ。社会学者のジグムント・バウマンさんは、人というもの携帯電子機器を持つことで“孤独という機会”を捨てると説いた。

スマホそばにあるだけで注意が散漫になるらしい。北海道大学河原純一郎特任准教授らがある実験結果を発表している。大学生40人を2組に分けてパソコンで作業をさせた際、片方は電源を切ったスマホを目の前に置き、片方は代わりにメモ帳を置いた。

スマホ組のほうが1.2倍、作業に時間がかかったという。画面に触れなくても、視界に入るだけで意識がスマホに向かってしまうとのことだ。見えるところになくとも、スマホはポケットにあるだけで気になる存在にもなるそうな。

小機器に頼る日々であり、スマホの引き込む力は侮れない。昨日、久々に電車を使ったが、スマホを食い入るように見つめている方たちは相変わらず多い。

 

2013

 

<絵に描いたモチベーション>とは、(三日坊主を嘆く方に向けた)童話作家・山口タオさんおすすめの“ことわざ”だという。語り継がれたことわざは、人の世の実相を言い当てている。

<渡る世間に鬼はなし>と言い、<人を見たら泥棒と思え>と言う。矛盾することわざふたつのいずれが実で、いずれが虚かを論じても意味はないようだ。どちらも一面で正しい。

どれもが絶対普遍の真理というわけでもないが、“泥棒”派より“鬼なし”派の方が心にあれば幸福であるような気もする。老いも若きもスマホを見つめる現代は、スマホによる悪しき点よりも、その利便性に目を向けた方がよいだろうが・・・。

 

2014

 

“込み”は、いろいろなものを一緒にして、含むといった意味である。そして、「込みにする」は、種類や良しあしなどを区別しないことを言い、まさにスマホに当てはまるような言葉でもある。

“思い込み”、“使い込み”、“刷り込み”などと、動詞の連用形に付いて、「~込み」の形で使われることも多い。旅館や料理屋に予約も紹介もなしにやってくるお客を“ふりの客”と言い、いわゆる“一見(いちげん)さん”であるが、スマホを介すとそのハードルがどんどん下がることもある。

“ふり”は“振り”と書かれ、古くから使われている言葉であるが、フリー(自由に訪れる)といった連想から「フリーの客」と間違える例も多々ある。年末年始の事件でも、スマホでかんたんに知り合い 命を失ったり、スマホから一生に一度の式典のための準備確認をして裏切られた方もいらっしゃるかもしれない。

車の自動運転のAI設定操作にも、おそらくスマホが重要な役割を担うことになると思われる。あまりにも身近にあるために、危機感を感じにくいというのもスマホではあるのだが。

 

アプリで結ばれる割り勘の客

 

“多い一言”があれば“余計な一言”もある。かつての舞台で「おまえはアホか」との“何げない一言”を突っ込まれた坂田利夫さん。「そうや、アホや」と自然体で認めてしまう。

客席がどっと沸いた。「あっ、これや!」と閃いた。[アホの坂田]が生まれた瞬間であり、人気者への道を開いた。「どうやったらウケるやろかと必死になってつくったギャグは、まったくあかんかったからね」と坂田さん。

遊覧バスの終点も間近、ガイドさんが言う。「皆様、この車上で再びお目にかかれる日を楽しみにしております」。お決まりの文句であるが、外国人旅行客に同乗した通訳が伝えたところ、「インポッシブル(不可能だ)」と声があがり、どっと笑いに包まれた。

昭和の50年代で“再来日”に現実感のなかった時代の話である。しかし、今や笑う人はなかろう。再びお目にかかれる日を。

 

2011

 

当時の訪日外国人客は少なく、1977年(昭和52年)に約100万人であった。(近年になり)4年ほど前で1000万人を超えたばかりなのに、2017年の訪日外国人旅行者数は(前年よりも約2割増の)約2869万人となった。

2018年1月から国土交通省は、他人同士が1台のタクシーに同乗する「相乗りタクシー」の実証実験を開始するらしい。相乗りタクシーとはスマホのアプリで客を結び、料金は利用者同士の“割り勘”になるため、通常より安い運賃でタクシー利用できるものである。

実証実験では、タクシー会社などが開発した配車アプリを活用して、同じ時間帯に出発地と目的地が近い客同士を結びつけて効率的な運行を目指すという。

東京ハイヤー・タクシー協会の協力で、東京23区、武蔵野市三鷹市のエリアの協力事業者が決定したとのこと。

 

2012

 

利用者がスマホの配車アプリから、出発地点と目的地点を入力すると、アプリがほぼ同時刻に似た経路で移動しようとしている他の人と自動的に組み合わせ、タクシーがそれぞれの乗客を迎えに行くしくみになる。

コンサートや2020年の東京五輪などで、多くの人が同じ目的地に向かうイベントの際にも、大勢の人を効率的に運べるのだ。

思えば、バブルの時代にこのシステムがあればどんなに助かったか。深夜、長蛇の列で、長時間のタクシー待ちを経験された方も多いはず。したたかな運転手さんは、上記の配車アプリと同様に目的地の方向が一緒の客を集めて運んでいた。

料金に関しては、割り勘ではなくそれぞれの距離にのっとった料金を、各客から受け取っていた。それが許されることなのかはわからなかったが、乗せてもらえるだけで満足した客はだれも文句を言わなかった。

ただ、バブル期にはスマホのような端末機器もなければ、配車アプリ相当のシステムを作るにもかなりの時間と費用がかかっただろう。今の時代であるからこそ、便利で割り勘の格安乗車が可能になってくれる。

「あっ、これや!」と閃いた人たちに、感謝することはとても多そうだ。