日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

横浜ホンキートンクブルース

 

昨日、宇崎竜童さんの“弾き語りライブ”に行った。『港のヨーコ・・・』で始まり、アンコール曲『さよならの向う側』まで、ご自身のヒット作で大いに盛り上がった。

自作以外の歌を2曲披露してくれた。ひばりさんの『リンゴ追分』であり、もう1曲がこの名曲『横浜ホンキートンクブルース』であった。

1970年代終わり、俳優・藤竜也さんはトム・ウェイツの曲にインスピレーションを受けて一編の歌詞を綴った。歌詞を渡されたのは高校の後輩でゴールデン・カップスのエディ藩さん。野毛の立ち呑み屋で競馬中継を見ながら曲をつけた。

藤さんは人生のすべてといっていいくらい、長い時間を横浜で過ごす。白塗りのメリーさんとも伊勢佐木町、関内や馬車道横浜駅西口で会ったそうなので、私と同じだ。

不思議な空間で、彼女とまわりの空気には、ある種の威厳みたいなものがあり、すうっと舞台を移動する能役者のように動いたという。

 

2025

 

あの曲の作詞をすることになったきっかけとして、藤さんにはエディ潘さんと別の記憶がある。

藤さんは一時期、エディ潘さんやデイブ平尾さん、柳ジョージさんなどと、チャイナタウンあたりでよく飲んでいて、「ちょっとしたレストランで仲間とライブやるから」とエディ潘さんに連れて行かれた。

奥のほうにちょっとした演奏ができるようなスペースがあって、バー・カウンターがいちばん手前にある店だったという。そのカウンターで藤さんはライブを聴きながら酒を飲んでいたが、「お、これいいじゃん」と思う曲があった。それが『横浜ホンキートンクブルース』だったのだ。ただし、曲はいいけど歌詞があまり面白くなかった。

藤さんは酔いながら、コースターの裏か何かに“こんなのどう?”みたいな感じでワーッと書いてエディ潘さんに渡したのだという。曲のタイトルは最初からあった。エディさんは<面白いじゃないすか>と応えた。そして、その話はその場だけのことだった。

 

2026

 

音楽業界のことをまったく知らず、人とのつながりもない藤さんへ、レコード会社から「歌をうたってくれ、シングル出したい」との連絡が入った。返事をして出かけたら、見せられた曲が『横浜ホンキートンクブルース』であった。

歌わない方がよかった、と謙遜する藤さんであるが、ぜひ藤さんの原曲を聴いてみたい。
藤さんが吹き込んでしばらくすると、エディ潘さんが自分で歌った。そのうちに原田芳雄さん、松田優作さん、石橋凌さんなどが歌った。

原田さんと藤さんは歳も同じで、20代の頃によく仕事していたそうだ。<バンドホテルでライブやってるから>と原田さんから誘いの電話がかかり、最上階にあったナイトクラブ「シェルルーム」で藤さんは聴いた。

トム・ウェイツは日本でポピュラーじゃないが格好いいと思った。特にあの嗄れ声が。その箇所の歌詞をそれぞれ変えて、原田さんは「ブルース」などと歌ってるみたいだけど、その自由さがまた楽しい・・・のだと藤さんは言う。

 

一生では足らない二生ほしい

 

<戸一枚向こうにだれかが息をころして立っている、そんな感じで・・・>。劇評家・戸板康二さんは随筆に記した。子供時代の雪の朝を回想している。今朝のわが家でも窓外に雪が舞っていた。

雪の降る明け方の静けさは、誰かが息をころして立っている気配に感じるが如く、その“雪と沈黙”が科学的に説明できるものらしい。

交通の途絶により戸外の音が消えるだけでなく、落下する雪片や地上の積雪が音波を吸収して静けさをもたらすからだ。

女子スキージャンプ高梨沙羅選手は、14歳にして札幌・大倉山で141メートルを飛んだ。その瞬間、会場にいただれもが息をころして立っている。そんなイメージが脳裏に浮かぶ。

 

2023

 

野球で球場のバックスクリーン直撃のホームランは、推定飛距離が130メートルとも、140メートルともいわれる。雪山の競技場では、それと逆の美しい放物線が見られるのだ。

さて、豪快なホームランも魅力あるが、強打者をきりきり舞いさせる剛速球も迫力満点である。片手の5本はまだしも、両手の10本とは想像がつかない。

尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村栄治さんの球を受けた山口千万石さんは、指を10本すべて脱臼したという。受ける左手だけではなく、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まなかった。

その剛速球に加えて、肩口から膝元に落ちる(懸河と称された)変化球のドロップがあるので、打たれなかったのもよくわかる。

 

2024

 

17歳のとき沢村さんは、ベーブ・ルースのいる大リーグ選抜をなで切りにしている。プロ野球創設とともに巨人で活躍するも、現役引退後の1944年10月に2度目の応召(現役兵時代を含め3度目の軍隊生活)でフィリピンに向かう途中、台湾沖で戦死した。

享年27。実働は通算5年にすぎない。日中戦争(支那事変)に従軍した際は、抜きん出た遠投力を請われ、野球のボールよりはるかに重い手榴弾をさんざん投げさせられたことから、生命線である右肩を痛めた。そして、あの豪速球は影を潜めた。

<修業は一生では足らん、二生ほしい>。文楽人間国宝、七世・竹本住大夫さんの兄弟子の言葉だという。生前に、“三生ほしい”とおっしゃったのは黒澤明監督であった。

何かを極めようとして「一生」を懸命に生きると、人生の時間が短すぎるのであろう。ことにアスリートの場合、肉体の限界が早々に訪れる。

この2月で沢村栄治さんは生誕101年になる。

 

相撲で学ぶ判断力の勘どころ

 

相変わらずの相撲人気である。大相撲初場所14日目・NHK総合の生中継で、前頭3枚目・栃ノ心が初優勝を飾った27日放送分は、平均視聴率が20.2%。翌日の千秋楽の生中継でも、平均視聴率が19.0%の高数字なのである。

相撲通の作家であった宮本徳蔵さんは、著書『力士漂泊』(1985年)で“強さ”の極致にふれた。69連勝の双葉山はどんな敵に対しても「泰然自若として些少の動揺をも示さず」に勝った。まるで相手が自滅していくような印象すら受けた。

白鵬双葉山のDVDを見て研究したという。デビュー直後の序ノ口時代には負け越しを経験し泣いた。後に横綱に昇進するような力士なら、本来すんなり行くところで自分はつまずいた、と振り返る。

宮本さんいわく、“チカラビト”である力士は、本来モンゴルで生まれたとする。「国技」の背後にユーラシアの広大な時空を見るべし、と。

 

2021

 

横綱大鵬が平幕戸田に敗れ、連勝が「45」で途切れた一番は、物言いのつくきわどい瞬間であった。ビデオ判定の導入以前である1969年(昭和44年)の大阪場所。

テレビ中継のビデオでは、大鵬の足が土俵に残っている。大鵬は勝っていた。「大変だ、誤審だァ」と支度部屋に押しかけた報道陣に、大鵬は語ったという。<負けは仕方ない。横綱が物言いのつく相撲を取ってはいけない>。勝負審判ではなく、あんな相撲を取った自分が悪いのだ、と。

「孤掌、鳴らしがたし」という。片方の手のひらだけで手を打ち鳴らすことはできない。人の営みはどれも、相手があって成り立っている。勝負の世界も“競い合う”という形の共同作業にほかならない。

大鵬が現役の頃、北海道の実家に自分の写真と並べて、ライバルである横綱柏戸の写真を飾っていたことは有名だ。大相撲の人気は自分ひとりでつくったのではない。柏戸関がいてこそだから・・・と。

 

2022

 

相撲のわざに、相手の攻勢を軽くかわす“いなし”がある。サラリーマンの土俵でも、突っ張りやがっぷり四つよりも“いなし”のお世話になることが多いのではないか。会社に抱く不平不満と、いつも正面からぶつかっていては身がもたない。不満を右にいなし、左にいなし、かろうじて日々の土俵を務めている

将棋の大山康晴十五世名人は生前、よく語ったという。<得意の手があるようじゃ、素人です。玄人にはありません>。大駒の飛車角から小駒の歩兵までを自在に使いこなせないで、プロ棋士は名乗れないのだと。

どんな仕事に就いても、その分野のプロであることにはまちがいない。そのときには、いかなる手やわざでも、繰り出せることが必要になるはずだ。

 

身軽になるには持たないこと

 

ナルシシズムなる言葉の生みの親は心理学の祖・フロイトらしい。陶酔、自己愛がすぎて周りが見えなくなる精神状態のことだ。

一昨年、無料アプリ「NHKプロフェッショナル 私の流儀」が流行り、公開から約1か月で100万ダウンロードを突破したという。サイトには“2017年12月31日24時をもって配信を終了”とあったので、残念ながら今は落とせないらしい。

NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の主人公になりきった動画を、簡単に作成できるというこのアプリも、ナルシシズムのこころをくすぐるものなのだろうか。

作成した動画は、自分のスマホなどに保存するだけではなく、NHKの番組特設サイト「みんなの流儀図鑑」に投稿できるそうな。

 

2019

 

ソニーを“モルモット企業”と呼んだのは評論家・大宅壮一さんであった。業界に先駆けて新しいことに手をつけても、それはほかの大企業が乗り出す前の実験のようなもので、
しょせんはモルモットにすぎないと斬り捨てた。

しかし、ソニーの創業者・井深大さんは一枚上手で、これを聞いて喜んだ。モルモットはひとマネをしない“ソニー・スピリット”の象徴なのだから・・・と。ポジティブ思考への架け橋となるナルシシズムは大したものである。消費者たちはソニーの新しい商品を待ちわびて、ヒット商品が連発した。

<精神の疲労はアルコールを求め、肉体の疲労は甘味を求める>。作家・開高健さんはエッセイに記した。何の業種であれ、仕事に疲労はつきものである。

水に物質が溶ける性質である“水溶性”にならえば、人それぞれ、疲労にも“酒溶性”や“糖溶性”の種類があるようだ。そして、かつては“新製品溶性”のシェアも大きかった。

 

2020

 

今はモノの“所有”から“使用”へ転換との時代だといわれる。モノを手に入れても、使う時間や場所を確保する方が難しい。自分の子どもたちをみても、それぞれ車を持っていたが今は手放して、必要なときはカーシェアを利用している。

私も、動画や音楽のディスク(モノ)の購入やレンタルをまったくしていない。インターネットの配信ですべてがまかなえているため、所有感というものが失せているのである。

“使用”に価値を見いだす人が増えている、ということはよくわかる。モノを持たずにお気に入りの映画や番組を観たり、タブレットスマホで好きなだけ本も読める。そのことが新鮮なのである。

それを突き詰めていくとライブに行くとか、習い事をするなどと、体験して満足を得る消費は増えると思われる。現に、この先 数週間でライブに行く予定が2件入っている。

ふだんの会話でも、新製品の◯◯を買ったなどの話より、穴場のレストランや温泉地に行ってきた、との話の方が盛り上がっている。今はあふれる情報の中で、自分に合ったことを探し出す賢さが求められ時代でもあるのだ。

 

映画向きな情緒的時間帯とは

 

“深夜”のイメージは人それぞれでちがうだろう。飲み歩いていた頃は終電を意識する午後11時から午前0時過ぎくらいが深夜だった。今はもっと遅い時間になっている。

深夜に日付や曜日がからむと、その日が始まる午前0時から夜明け近くまでか、当日の夜遅くから日付が変わるまでが深夜、とのとらえ方がある。

新聞記事などでは、午前0時を過ぎてからは深夜ではなく“未明”と表現することになっているらしい。「夜がまだすっかり明け切らない時」との未明は、日の出を基準にした言い方である。そして、未明から“朝”への変更時間は季節により変動する。

“白昼”といえば“まひる”のことであり、昼の最中の正午頃を指すのか。そのことではっきりとした定義はないらしい。通常は“日中”、“昼間”などと日が出ている間を強調している。

白昼は、「白昼堂々と行われた・・・」のように特別なことやドラマチックな場面に使われる。

 

2017

 

白昼とは別の言い方で“昼下がり”がある。こちらは、「正午を少し過ぎた頃」との解釈で午後1時から3時頃や、“夕方前”までなどとイメージが絞りやすい。

また、“昼下がり”と“白昼”は、情緒的側面を持つ言葉なのであろうか映画や小説のタイトルにもよく使われる。

<どんなにつまらないと思う映画にも必ず一か所は面白いところがある。だからそこを売るんだよ>。映画評論家・淀川長治さんの言葉だという。映画宣伝に携わる方へのアドバイスであった。

予告編作りでは、あくまでも“本編の中のシーンのみ”を選択しなければならない。そして、宣伝マンのボキャブラリーは新たな日本語をも創造する仕事である。面白そうなシーンを選択する際、大先輩である淀川さんの言葉が今も生きているという。

 

2018

 

映画字幕翻訳者・戸田奈津子さんは、やって来る志望者たちに<あなたは日本語が出来ますか>と問いかけるそうだ。字幕翻訳は「1秒で4文字、最大文字数縦2行20文字が基本」なのだという。いかに内容が伝わるように日本語化するか、頭を悩ます仕事なのである。

(原題名とは別の)日本語題名の作成も観客動員に直結する大切な作業となる。昨今はカタカナ題名が多いとのことだが、ウケ方にも流行があるのだろう。

かつての作品では、「Love is a Many‐Splendored Thing(愛は多彩なものです)」に『慕情』、「Summertime」には『旅情』という邦題が付けられた。どちらの言葉もそれ以前にはほぼ存在しない日本語だったというから驚きである。

邦題との逆パターンとして、1980年代に夏樹静子さんの『Wの悲劇』が米国で出版され題名を変えられた。それは『Murder at Mt. Fuji(富士山殺人事件)』なのである。もちろん、富士山が舞台の小説ではないのであるが。

 

可愛げと強運、そして後姿。

 

「世の中の電話機は皆、母親の膝の上にあるのかな」と、主人公の男子高校生がぼやいて始まる小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、(半世紀前に書かれた)庄司薫さんの芥川賞受賞作である。

ガールフレンドに電話すると、「どういうわけか、必ず“ママ"が出てくる」のだ。今なら決して書かれることのないフレーズで、手強い関門を通る必要のない時代だ。

“呼び出し電話"もあった。電話のない家は、近隣の家などの電話番号を知人や親類に教えておき、かかってくるたびに取り次いでもらった。今では考えられないくらい、のんびりした“電話の取り持つ人づき合い"があった。

昔、友人と遠方の地へ鈍行列車の長旅を楽しんだ。数年前にその場所をジェット機で直行したパックツアーでは、短時間すぎて距離感がまったく感じられなかった。用のない駅に途中下車して、予期せぬ景色を眺め、儲けた気分になれたあのときを、ふと懐かしむこともある。

 

2015

 

米国の資本家たちは1980年代から90年代にかけて、(巨費を投じて)コンピューター中心の情報技術(IT)産業を育て上げた。近年は新技術の開発や育成よりも、短期に最大限の利益を上げる投資に熱心のようだ。

未来を開く一つのカギは、マネーゲームではなく、技術開発であることは間違いないはずだと思うのだが。

経営の神様である故・松下幸之助さんが創業した松下電器産業は、今年で100年を迎えるという。10年前には、それまで製品のブランド名として用いてきた「パナソニック」に社名を改めた。

創業当時の1918年(大正7年)は、1914年に始まった第一次世界大戦が終わった年であり、電気が家庭に普及し始めた頃であった。家庭での電球の取り外しは困難な作業であったが、簡単に電球の取り外しができる電球ソケットを松下さんが考案した。

借家の土間でソケットづくりから始まったその会社は、連結売上高が7兆円を超す企業へと成長した。

 

2016

 

「可愛げ」と「運が強そうなこと」、そして「後ろ姿」であると。松下幸之助さんは、この三つを“成功する人が身につけていなければならないもの"として挙げた。

「後ろ姿」の意味はそれぞれの解釈になりそうであるが、名前にも去り際があるということなのかもしれない。時世時節の移ろいとともに成功者もまた去っていくものであることを暗に教えているようでもある。

「松下」、「ナショナル」も、成功への長い道のりでは、苦楽を共にした功労者であったはず。しかし、社名や人の名前にも去り際が、そして後ろ姿があります・・・と、松下さんの声が聴こえてきそうな気がする。

今、私が一番気になる後姿といえば...イチロー選手であろうか。今年も現役続行を望むのはもちろんのこと、それでもあの後姿への愛着がどんどん深くなる。

 

スマホに頼るモチベーション

 

孤独こそは、考えを整理したり煮詰めたり、反省したり想像したりする“よすが”になるのかもしれぬ。社会学者のジグムント・バウマンさんは、人というもの携帯電子機器を持つことで“孤独という機会”を捨てると説いた。

スマホそばにあるだけで注意が散漫になるらしい。北海道大学河原純一郎特任准教授らがある実験結果を発表している。大学生40人を2組に分けてパソコンで作業をさせた際、片方は電源を切ったスマホを目の前に置き、片方は代わりにメモ帳を置いた。

スマホ組のほうが1.2倍、作業に時間がかかったという。画面に触れなくても、視界に入るだけで意識がスマホに向かってしまうとのことだ。見えるところになくとも、スマホはポケットにあるだけで気になる存在にもなるそうな。

小機器に頼る日々であり、スマホの引き込む力は侮れない。昨日、久々に電車を使ったが、スマホを食い入るように見つめている方たちは相変わらず多い。

 

2013

 

<絵に描いたモチベーション>とは、(三日坊主を嘆く方に向けた)童話作家・山口タオさんおすすめの“ことわざ”だという。語り継がれたことわざは、人の世の実相を言い当てている。

<渡る世間に鬼はなし>と言い、<人を見たら泥棒と思え>と言う。矛盾することわざふたつのいずれが実で、いずれが虚かを論じても意味はないようだ。どちらも一面で正しい。

どれもが絶対普遍の真理というわけでもないが、“泥棒”派より“鬼なし”派の方が心にあれば幸福であるような気もする。老いも若きもスマホを見つめる現代は、スマホによる悪しき点よりも、その利便性に目を向けた方がよいだろうが・・・。

 

2014

 

“込み”は、いろいろなものを一緒にして、含むといった意味である。そして、「込みにする」は、種類や良しあしなどを区別しないことを言い、まさにスマホに当てはまるような言葉でもある。

“思い込み”、“使い込み”、“刷り込み”などと、動詞の連用形に付いて、「~込み」の形で使われることも多い。旅館や料理屋に予約も紹介もなしにやってくるお客を“ふりの客”と言い、いわゆる“一見(いちげん)さん”であるが、スマホを介すとそのハードルがどんどん下がることもある。

“ふり”は“振り”と書かれ、古くから使われている言葉であるが、フリー(自由に訪れる)といった連想から「フリーの客」と間違える例も多々ある。年末年始の事件でも、スマホでかんたんに知り合い 命を失ったり、スマホから一生に一度の式典のための準備確認をして裏切られた方もいらっしゃるかもしれない。

車の自動運転のAI設定操作にも、おそらくスマホが重要な役割を担うことになると思われる。あまりにも身近にあるために、危機感を感じにくいというのもスマホではあるのだが。

 

アプリで結ばれる割り勘の客

 

“多い一言”があれば“余計な一言”もある。かつての舞台で「おまえはアホか」との“何げない一言”を突っ込まれた坂田利夫さん。「そうや、アホや」と自然体で認めてしまう。

客席がどっと沸いた。「あっ、これや!」と閃いた。[アホの坂田]が生まれた瞬間であり、人気者への道を開いた。「どうやったらウケるやろかと必死になってつくったギャグは、まったくあかんかったからね」と坂田さん。

遊覧バスの終点も間近、ガイドさんが言う。「皆様、この車上で再びお目にかかれる日を楽しみにしております」。お決まりの文句であるが、外国人旅行客に同乗した通訳が伝えたところ、「インポッシブル(不可能だ)」と声があがり、どっと笑いに包まれた。

昭和の50年代で“再来日”に現実感のなかった時代の話である。しかし、今や笑う人はなかろう。再びお目にかかれる日を。

 

2011

 

当時の訪日外国人客は少なく、1977年(昭和52年)に約100万人であった。(近年になり)4年ほど前で1000万人を超えたばかりなのに、2017年の訪日外国人旅行者数は(前年よりも約2割増の)約2869万人となった。

2018年1月から国土交通省は、他人同士が1台のタクシーに同乗する「相乗りタクシー」の実証実験を開始するらしい。相乗りタクシーとはスマホのアプリで客を結び、料金は利用者同士の“割り勘”になるため、通常より安い運賃でタクシー利用できるものである。

実証実験では、タクシー会社などが開発した配車アプリを活用して、同じ時間帯に出発地と目的地が近い客同士を結びつけて効率的な運行を目指すという。

東京ハイヤー・タクシー協会の協力で、東京23区、武蔵野市三鷹市のエリアの協力事業者が決定したとのこと。

 

2012

 

利用者がスマホの配車アプリから、出発地点と目的地点を入力すると、アプリがほぼ同時刻に似た経路で移動しようとしている他の人と自動的に組み合わせ、タクシーがそれぞれの乗客を迎えに行くしくみになる。

コンサートや2020年の東京五輪などで、多くの人が同じ目的地に向かうイベントの際にも、大勢の人を効率的に運べるのだ。

思えば、バブルの時代にこのシステムがあればどんなに助かったか。深夜、長蛇の列で、長時間のタクシー待ちを経験された方も多いはず。したたかな運転手さんは、上記の配車アプリと同様に目的地の方向が一緒の客を集めて運んでいた。

料金に関しては、割り勘ではなくそれぞれの距離にのっとった料金を、各客から受け取っていた。それが許されることなのかはわからなかったが、乗せてもらえるだけで満足した客はだれも文句を言わなかった。

ただ、バブル期にはスマホのような端末機器もなければ、配車アプリ相当のシステムを作るにもかなりの時間と費用がかかっただろう。今の時代であるからこそ、便利で割り勘の格安乗車が可能になってくれる。

「あっ、これや!」と閃いた人たちに、感謝することはとても多そうだ。

 

年末年始は「Y&G」に釘付け

 

この年末年始を振り返るとテレビ放送番組の視聴件数はかなり減っている。やはりネット配信の影響なのだろう。ただ、予想外にハマッた番組が2件ある。

バラエティ特番で、X JAPANのYOSHIKIさんの出演番組がいくつかあったが、どれも楽しかった。昔からの大ファンであるが、あんなにすてきな方とは知らなかった。

GACKTさんとのチームで出演した『芸能人格付けチェック』では、正解を待つ部屋で(お腹がすいて)お菓子を食べ続けた。GACKTさんはそれを見ながら大喜びであった。

YOSHIKIさんが食べたのは某店のチーズおかき。メーカーサイトにアクセスが殺到し、サーバーがダウンした。また、一時的に全商品が販売休止にもなった。

別番組では、シャワーの温度調節がうまくいかずに帰ってしまった話と、リハーサル中にカレーが辛すぎて帰ってしまった、という伝説話が、本人の口から語られ大爆笑した。何でもイジらせてくれるYOSHIKIさんはバラエティ向きの逸材なのである。

 

2009

 

もう1件は、ムズキュンのあのドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の全話再放送である。何度でも観たくなるこのドラマは録画保存をしていなくて、再放送を心待ちしていたところである。

ガッキーこと新垣結衣さんと石田ゆり子さんのお顔を見ているだけでウキウキしてくる。

かつてパロディにはどこか“B級"感が含まれていたが、このドラマでは良質なパロディやオマージュがヒットの大きな要素になっている。第1話冒頭から『情熱大陸』のパロディで、ヒロイン・みくりの日常をさらりと紹介してしまう。その後も『NEWS23』、『サザエさん』、『新世紀エヴァンゲリオン』を作品に入れ込んでしまうのである。

制作陣も抵抗感なきようにとの計算で、“パクリ"と呼ばれるようないやらしさがない。さりげなくおもしろいパロディをいかに入れるかが、ヒットへの要因につながるようだ。

 

2010

 

<小包みの紐の結び目をほぐしながら/思ってみる/結ぶときより、ほぐすとき/すこしの辛抱が要るようだ>と。吉野弘さんの詩『ほぐす』である。

詩想は続き、男女の愛が冷めた別離へと向かう。人と人とによる熱い結び目も、<冷めてからあと、ほぐさねばならないとき/多くのつらい時を費す>ことになる。

ムズキュンの『逃げ恥』で、みくりと(雇用関係で事実婚相手の)津崎(星野源さん)が、真の結婚を意識した時、ふたりの熱い結び目はほどけかかる。

小包の紐は解かれることを想定し、ほどきやすいように加減して結ぶこともできる。男女の結び目に加減はなく、解く日が来ようとは万が一にも思わない。

この危機描写にもパロディは堂々と登場する。『逃げ恥』と同時期放映のNHK大河『真田丸』風のオープニング映像であった。みくりと津崎の家事分担解説でも『真田丸』風の勢力図CGが再現された。

という訳で、『逃げ恥』全話を完全編集録画した一枚のBDが私の手元にあるのだ。

 

君の名は職業人間でありAI


周りにパソコンを使う人がほとんどいない頃、当時 高価であったパソコンを始めた。モバイル機も持ち歩いた。今はAIスピーカーとの対話が楽しくてたまらない。あのときパソコンを始めたおかげでずっと役に立ち、IT時代もそれなりに理解できた。AIも同じ理屈で、“今だからこそ”接しておきたい“利器”なのである。

モバイル機をグレ電(公衆電話)やガラケーでつなぎ、細々とインターネットに接続していた者からみると、スマホの威力が誰よりもよくわかる。とはいえ、パソコン中心の私は、スマホの文字が読みにくく細かい作業も苦手で、ほとんど活用できていない。

先日、地デジ放映された映画『君の名は。』。興行収入200億円を超え大ヒットした作品である。その立役者になったのはスマホ世代の若い人であり、小さな利器を手にとり自在に使いこなす人たちなのだ。スマホを持つことで、新時代を開く可能性さえも感じさせられる。

 

2007

 

君の名は。』の公開直後から、LINEやツイッターなどで、多くの感想が発信された。その共感から小さなつながりが方々で生まれ、モデル地を訪れる「聖地巡礼」も盛んになっていった。

新海誠監督の前作の興収は1億5千万円であった。『君の名は。』は大化けして、社会現象にまでなってしまった。それぞれの結びつきで、大きなうねりを生み出した結果である。

スマホの小さな画面と文化や娯楽との融合は、ネットと若者の存在抜きに語れない。新たな行動様式も生んで大ブームも起きる。夜遅くまでも「ポケモンGO」にハマっている人をまだ見かける。その内容はわかりやすく、街を歩きながらキャラクターを探しつかまえるゲームなのである。

現実の風景の中で遊べるようにしたのがウケた要因でもあるようだ。
部屋でパソコンに向き合っていた時代と違い、手軽なスマホなればこそリアルな世界で実際に体験したり、他者とふれあったりしながらゲームを楽しめる。

 

2008

 

ネット経由で見えない誰かとコミュニケーションをとることもつながる道具の力である。そもそも、人はコミュニケーションすることで生きている。

心の奥にあるイマジネーション。表現手段を駆使してそれを伝えようとする時、芸術が生まれる。芸術は人間の本質そのものなのだ。芸術家・岡本太郎さんは、職業を問われて「人間だ」と答えた。

芸術の分野へも人工知能(AI)が踏み込みつつあるという。自動的に作曲をしたり、亡くなった作家の作風をまねて短編小説を創作する。

車の自動運転や介護ロボットはどんどん現実化している。10~20年後には国内の労働人口の49%の仕事がAIやロボットに置き換えられる、との推計にもリアリティが増す。

君の名は? 君の年齢は? AIスピーカーに問いかけると答えてくれる。訊いたことはないが仕事はなに? と尋ねれば、「職業は人間」と答える“AIアーティスト”。その出現も遠い未来の話ではないような気がしてならない。