日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

一年てのは「光陰矢のごとし」

 

名人・古今亭志ん朝さんが噺(はなし)の枕に用いたらしい。

<一年てのは早いです。昔っから“光陰矢の如し”なんて言葉がありますが、これはどういう意味かと言うと…。光陰というのは、ああ、矢のごとしだなあ、という意味なんだそうです>。

中原中也さんの(昭和初期の)詩だという。『秋の月曜』に“エヤ・サイン”という聞き慣れない言葉が出てくる。

<私の部屋の、窓越しに みえるのは、エヤ・サイン 軽くあがった 二つの気球 青い空は金色に澄み・・・>。

エヤ・サインとは、広告用のアドバルーンのこと。百貨店の屋上に浮かぶいくつかの気球だ。「歳末大売り出し」とのノボリがぶら下がっていた。

今はネット通販の影響が大きいのか、歳末ならではの風景が減っている。スマホをつっつくだけで、外出しなくても買い物を楽しめる。大売り出しのエヤ・サインが数を減らすのも当然のことなのか。

 

1981

 

温暖化の一因には離婚の増加があるそうな。10年前、米国ミシガン州立大学の研究者がまとめた分析結果にある。

<一人口は食えなくても二人口は食える>。“一人口”は独り者の生計、“二人口”は夫婦の生計を指すようだ。少人数家庭が増えて、資源の利用効率は悪くなる。二人口だと食えるのは、利用効率がいいからだ。

当時の離婚の影響で増えた米国内の電力消費は、1年間で原子力発電所6基分にあたるほどだった。温暖化をまったく心配しない現大統領は、このデータを知っていたのであろうか。

この時期、いろいろと落ち着かないが、昔はもっとドタバタしていたらしい。

<大晦日が近づくと父などはいつもきりきり舞いをしていた>。金を作らなければ年を越せない時代だった。作家・中野孝次さんが、子ども時分(昭和初期)を随筆に記した。

はたしてその名残なのか。師走になると詐欺犯の動きも慌ただしくなるそうな。「振り込め」などの特殊詐欺が、件数も被害額も12月が最も多いとのこと。

 

1982

 

テレビという夢家電の創生期は、持っている人の家へ近所の人が集まり、子どもたちも正座して観ていた。各家庭に浸透してくると、家族で同じ番組を楽しんでいた。今は、個人であらゆる形態での視聴に変わっている。

Amazonの「Fire TV Stick」が私にとって、本年最高の買い物である。今は、Amazon配信を主体にテレビ鑑賞をしているのだ。

以前、録り溜めたドラマや映画を流しながら、パソコンなどの作業をしていた。手当たり次第に借りた映画や、たまった録画ドラマ鑑賞がノルマになり、時間をかなり消耗していた。今は、レンタルの期限を気にせず、観たいものだけを自然体で観ることができる。

“もったいない”との感覚で最後まで観ることもなくなった。つまらなければ途中でやめて、観たいときに続きを観ればいい。“つまみ食い”みたいな感覚が楽しくてたまらない。そして、自分の好み以外のお宝作品との出会いもすばらしいのである。

 

 

今週のお題今年買ってよかったもの

 

「はやりもの」は「すたりもの」

 

ワープロやパソコンが普及する前、「かなタイプライター」を買って使っていた。“ひらがな”と“アルファベット”しか印刷できなかったが、キーを打つ感覚がとてもうれしかった。

大正琴。日本で発明されたこの楽器はタイプライターがヒントで生まれた。右手のピックで弦をはじき、左手でタイプライターのようなボタンの鍵盤を押さえて音程を調節する。

大正琴は(その名のとおり)1912年(大正元年)に誕生。音楽家・森田吾郎さんが演奏旅行で欧米へ出かけた際、日本に当時なかったタイプライターを見て、帰国後にその機構を応用して作られた。

森田さんは、高価で演奏が難しいピアノやバイオリンなどに代わる庶民の楽器を作りたい、との思いが前からあった。楽譜が読めない人へと、ボタンに洋数字を振り、専用の楽譜“数字譜”も作った。

当初は楽器として評価されず、玩具店で売られていた。後に大正天皇が買い求められて、人気が急上昇した。

 

1979

 

大正、昭和、平成と時は経たが、大正琴はまだまだ健在である。

かたや、小中高の教科書が徐々に紙離れしていくらしい。一年前に文部科学省は、現行の紙の教科書を基本としつつ、タブレット端末などによる「デジタル教科書」の併用を認める、と発表。デジタル教科書は2020年度から導入できるようになる見通しだ。

息の長い商品・“ボンド”も、教科書の製本現場で活躍したのだろうか。ボンドの品名は、「つなぐ」という意味の英語(bond)が由来らしい。当初は電話帳や文庫本などの製本用だった。ページを背表紙に接着できるので、針金や糸で束ねるよりも容易に製本できた。

1870年創立のコニシは、薬の商いを祖業としていたが、戦前に化学商社へと発展した。将来性のある自社製品を開発しようと、合成樹脂の研究を重ねた。その成果で(終戦後の)1952年、画期的な接着剤を生み出した。

 

1980

 

ボンドの用途は広がり、建具や家具作りでも支持された。その以前“蒸した米を練ったのり”が使われていたが、「ボンドを混ぜてほしい」と売り込んだ。職人からは「米を練る手間が省ける」と好評で、最終的にボンドだけになった。

色や容量、接着力の強さや速乾性など特徴の違いで、ボンドは約6000種類の製品がある。65年間、ものを「つなぐ」ことで新たな価値を生み出したこの商品。どんどん進化している。

「はやりものは、すたりもの」という商品もあるようだ。数年前まで、11月25日は「ハイビジョンの日」と騒がれていたようだが、今年はまったく聞いていない。テレビの走査線(横に走る線)がハイビジョンは1125本。それに掛けての日らしい。

通産省(現経産省)が定めた「ハイビジョンの日」は、9対16という(画面の)縦横比から9月16日だとも。

詳しくないが、今やインターネット、CSでハイビジョンの4倍の情報量を持つ4K放送が始まっているとか。すでに“ハイビジョン”なる言葉さえ死語になってしまったのだろうか。

 

人工知能の転移学習は短時間

 

賢い人工知能(AI)の知恵を別のAIに転用するという「転移学習」の研究が進んでいる。『黒柳徹子さんを再現』との記事が3日前の日経新聞にあった。

AIの進化を加速する技術は、わずかな知識を後から追加するだけで、専門分野に強いAIを作れるのだ。転移学習は、AIをゼロからつくる必要はない。膨大なデータをあらかじめ学んだAIから学習モデルを引き継ぎ、わずかな現場データで再教育するしくみである。

東北大学は、細かいニュアンスで答える対話システムの構築で、ツイッターの370万件の書き込みから対話の基本を備えたAIを作った。そして、転移学習で別のAIに移し黒柳徹子さんの出演番組を参考に1万2000件の発言を教えた。

 

1977

 

完成したAIは「お仕事行ってきます」に対して「いってらっしゃいませ」との応答で、黒柳さんのような言い回しが表れたのだ。「突然の雨です」等に対しては「あらびっくりしました」と返した。

ツイッターのデータだけでは雑な表現になり、黒柳さんのデータだけでは自然な応答ができなかった。しかし、基礎知識の上に専門知識を加える転移学習がAIを進化させたという。今後、性別や方言により異なるニュアンスを表現できる対話システムを目指す。

転移学習については、先月中旬にもおもしろいニュースが入った。米グーグル系企業が囲碁の完璧なAIを開発したという。そのAI「アルファ碁ゼロ」は(世界のトップ棋士を次々に破ってきた)AI「アルファ碁」と100回戦い、全勝した。

学習力がすごくて“定石”を一切習わず、AIとの対戦のみを繰り返し、わずか3日で身に付けた能力だという。今回は人が手本を示すことなく、AI同士の対局を繰り返し、独学で勝率の最も高い打ち方を編み出した。そして、アルファ碁も圧倒し、人間を含めて史上最強になった。

 

1978

 

AI「アルファ碁ゼロ」は実験40日後に自己対戦数が2900万局に達し、人間が長年の囲碁の歴史で考案した“定石”も独自に発見した。前の「アルファ碁」が世界最強棋士に勝利した際、「人間と対局するのはこれが最後」としていた。その後の改良では「人間に一切頼らないAI」という目標があった。

それまで、人間の対局データを“教師"として学習したため、人間の積み重ねた知見の延長線上の強さにすぎないとの指摘もあった。AIがゼロから独学する“教師なし学習"により、人間の発想にとらわれない革新的なAIが生まれた。

この新技術は将来、産業に貢献する可能性があるため、役立つヒントを見つける働きが期待されている。様々な電力使用のデータをもとにした省電力にも役立つ。また、教えるデータがなくても学べるため、宇宙や海洋など測定データの不足した分野にも役立つ可能性がある。

それにしても、AI同士で勝手に成長されると、人間の這い入る余地が削られる。かえって、人間が入るとAIからジャマ扱いされそうだ。人間はどうしたらAIから気に入ってもらえるのだろうか。

 

だれにでもある残された時間

 

<最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になった間>が、秋の期間の断定基準だという。12月までに一週間を切った今、すでに冬を迎えた地域もあれば、まだ秋の所もあるようだ。

余白ならぬ“要白(ようはく)”という言葉の意味は、絵画やデザイン、写真の世界で用いられる空間のこと。“空間"だけでなく、「時間」に置きかえると、秋も決して余白ではなく要白のはずである。

人間には余生という言葉が使われることがある。しかし、生きることに余りはぜったいにない。人生を螺旋階段に喩えれば、1日、1週間、1ヶ月、1年と それぞれのサイクルで、上から見れば同じ円をまわるが、横から見るとゆっくり昇っている。

人はそれぞれの時代に生きる先輩から後輩へと、順番にバトンリレーしているように感じてならない。まして、同時代に生きて同じ時間を共有できるということは、奇跡に近い偶然なのであろう。

 

1975

 

AI(人工知能)にも得手不得手があるらしい。自身が知らなかったことには、当意即妙に反応するような“直観”を持たない。どの問題がなぜ重要かを見分け、(人間が機械に教え込んだ)既成の価値基準に従う以外に方法はないとのこと。

人は、考えすぎず、無思慮になるのでもなく、シンプルに一歩踏み出すことで、人生が好転するらしい。

『行動的な1日をつくる「禅的習慣」』というものを(自分のメモ帳から)見つけた。

それによると...
    1.肝心なのはスピードではなく「スタート」
 2.大事なことは「頭」ではなく「身体」で覚える
 3.「やめる」のも(決断したら)「すぐに」やる
 4.「ルーティン」が、ちょっとした体調の変化も教えてくれる
 5.人間のバイオリズムに反することを習慣にしない
 6.もっと「直感」を信じて行動を起こす

 

1976

 

以前、俳優・榎木孝明さんが「残された時間の使い方」をテーマにコラムを書かれた。
榎木さんは人と会う度、初対面であっても、年配の方に対しては「あと何年間、生きられると思いますか?」、「あと何年間、自分の頭でしっかりと判断できると思いますか?」などと、聞くそうだ。

年配者に対して、長生きをして下さいと言う優しさは持ち合わせるが、単なる優しさよりも、真摯な気持ちで限られた生の話をすることも大切だ、と記された。

地球に人間として生まれた以上、生老病死は宿命である。この世に生きられる寿命からは、(自分が年を取るなどと思いもしていない若者たちも含め)誰も逃れられない。

“残された時間は少ない”ことを意識して創作活動を続けるのは、映画監督・宮崎駿さんである。

スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんが「絵コンテ描いて死んだら、映画は大ヒット」とジョーク交じりのエールを送れば、「何もやってないで死ぬより、やってる最中に死んだほうがまし」と、宮崎さん。

宮崎さんいわく<世界は美しいという映画を作りたい>とのこと。
それが宮崎さんに残された時間の一つの使い方であることは、間違いなさそうだ。

 

ほぼ必勝と言える精度の答え

 

ドラえもん」で予言された道具が現実になり、使われているものは多いという。“糸なし糸電話”は(大ヒットの)携帯電話になり、スマホになると使い道がどんどん広がった。その機能には、“動画撮影アプリ”や“イージー特撮ビデオ”なども組み込まれた。

「正しい道を教える道具」なるものはどうなのだろう。

のび太くんの頼みで、ドラえもんが取り出した“コースチェッカー”は、分かれ道で使うと、それぞれの未来が最大15分間予想できるというものだ。

「右も左も災難に遭う」と言いながら頭を抱えるのび太くんに、ドラえもんは叱った。
「障害があったらのりこえればいい! 歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃない」。

「人間というものは小さな猛禽同然のことをするものである」。
思想家・マキャベリ氏は『政略論』で指摘している。

人は<眼前の獲物に夢中で、頭上から狙われていることに気づかない小鳥のようなもの>なのらしい。

江ノ島や鎌倉のトンビを連想してしまう。いともかんたんに人の食物を盗み去り、人は空を飛んで取り返せない。

 

1973

 

鍋島藩士・山本常朝さんは若いころ、「残念記」という日記帳をつくり、日々の過ちを書き留めていたらしい。<一日の事を寝てから案じて見れば、言ひそこなひ、仕そこなひ無き日はなし>と語り、過ちがあまりにも多すぎて、最後は投げ出してしまった。

<いやな奴への復讐、忘るべからず>。<長屋に落ちても俺は殿様だ>。
こちらは喜劇役者・古川ロッパさんである。

人気が落ちた晩年、手のひらを返して冷淡な友人知己に、ひとりペンを握って怒り続けた。ときに日記は「憤懣(ふんまん)記」にもなるようだ。

悲しみも怒りも、“時間”という医師により、(あとで読み返せば少しでも)小ぶりになるかもしれない。“絶望”という言葉が軽く語られがちなこの時代も、日記の効用は見直されていいようだ。

 

1974

 

さて、「ドラえもん」のアイテムのようなおもしろい話がある。

アメ玉やコインでも、ガラス瓶いっぱいに詰め込み、一番近い数を言い当てた人が賞品として受け取れるとする。誰が当てるかは時の運だが、確実に正解へ近づく方法ならあるという。

それぞれの参加者が周囲に惑わされず、一人で答えを考え、答えを持ち寄って平均する。個々の答えのばらつきにかかわらず、その答えはほぼ必勝と言える精度にまでなるとのこと。物理学者、レン・フィッシャー氏の論である。

正解のある問題で、(ガラス瓶で言えば)重さや見た目といった相応の情報がもたらされる場合に限るが、個々人の考えを集めた「集団の選択」に間違いはないそうだ。

この論の応用で、なにかで迷いが生じたら、周囲の人たちから直感的な意見を伺い、それらすべての意見を集計して平均化してみるのも“手”なのではないだろうか。まるで、“希望の予測”ができる道具みたいだ。

 

寒中にして温かな“あの文化”

 

漢字テストの出題者が期待したのは“弱肉強食”だが、「◯肉◯食」の問いに“焼肉定食”との答えがあった。有名な話である。

「用意◯◯」だとどうだろう。その空欄へ迷わず“ドン”と解答した生徒がいたという。

漢字とは厄介なものなのか。

「侃々諤々(かんかんがくがく)」は遠慮なく議論することで、やかましく騒ぐことが「喧々囂々(けんごうごう)」。私には区別がしにくくて困る。

ぎなた読み”というのがある。「弁慶がな、ぎなたを持って」(弁慶がなぎなたを持って)と“文の区切りを誤って読んだ”昔ばなしに由来している。

「ここではきものをぬげ」(ここで履物を脱げ)を、「ここでは着物を脱げ」と読み違えれば、たいへんなことにもなりかねない。

ただ、漢字にして読めば“履物”や“着物”の像が目に浮かぶので、漢字が便利にもなるのだ。

 

1971

 

学校の試験で得意なところが出たり、青信号が続いてノンストップの通行ができた。
そういうとき、「今日はついている」とつぶやいてしまう。

“ついている”の語源は、異界の霊などが人に「憑(つ)く」ことにあるという。
妖怪の伝承が激減したのは高度成長期頃か。都市化で闇が失われ、開発で自然から遠ざかった。その時期から“つき”とも遠ざかってしまったのか。

“バブル景気”との言葉はカタカナと漢字の組合せ。この一語であの頃の風景がいくつも浮かんでくる。財テクの加熱や多くの驚嘆。

1980年代後半、円高不況を脱し90年代初頭まで続く「バブル景気」を迎えた日本。地価や株価が上昇し、投資や個人消費が過熱。不動産価格のあまりの急騰ぶりにだれもが驚いた。その中で、こんな時代は決して長続きしないことを感じた。

 

1972

 

1990年代に入ってバブルは崩壊。地価や株価も下落。バブル崩壊後、日本の経済は金融危機やデフレに苦しみ、長い低迷期に陥る。

今が、ものすごい好景気だと報道されている。しかし、周りを見渡してもバブルのときのような勢いがまったく感じられない。

寒くなった先週あたりから売れ時が来たのか、多様な商品が近所のドラッグストアに積み上がっている。マスクである。この商品が大幅に出回るようになったのは、バブル崩壊後からであろう。

一般的なマスクの種類は、素材により大きく2つのタイプに分けられる。

1.不織布タイプ
繊維や糸などを織るのではなく、熱や科学的な作用によって接着して薄いシート状にしたマスク。

2.ガーゼタイプ
綿織物(ガーゼ)を重ね合わせてつくった、昔からあるタイプのマスク。

また、三次元、超立体、加湿10時間等と、種類の多さに驚いてしまう。

日本のマスク文化は外国人の目には奇異に映るそうだ。欧米では“覆面”の意が強いらしく、公の場での着用を規制する国もあるとか。

日本でマスクをする理由は、菌を持ち帰ると家族に不運が見舞いかねないし、同室の同僚に気を使う人もいる。

マスクを使うことのない私も、<寒中にしてなかなか温かなこの文化>には興味が持てる。せめて、気持ちだけのバブルにはこのアイテムがよさそうだ。

 

今の一日よりずっと長い日は

 

誰もが、<幼きころの一日は今の一日よりずっと長かった>気がするのではないか。
古き説では、心理的な時間の長さが、年齢に反比例して短くなるという。仮に10歳児は40歳の4倍、50歳の5倍・・・との具合で時の流れを長く感じるそうだ。

「人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である」。
「大人とは、裏切られた青年の姿である」などと、太宰治さんは『津軽』に記した。

小林一茶には歳月を織り込んだ句がある。

<春立つや四十三年人の飯>。地方行脚に明け暮れる身の上を詠んだものらしい。
また、<月花や四十九年のむだ歩き>という句もある。

一茶俳句を評して「赤裸々な告白文学を読む心地がする」と語ったのは作家・藤沢周平さんである。

 

1970

 

見ているだけで吹き出してしまう芸にも時の速さを感じてしまう。ものまね芸の奥義を究めるコロッケさんも、芸歴37年である。テレビに出始めた頃から知っているので、その長さにピンとこない。

歌手・五木ひろしさんのしぐさを、カクカクとしたロボット的な動きで披露する“ロボット五木ひろし”が大好きで、何度観ても大笑いさせられる。代表作とも言えるこのネタは、テレビで映画『ロボコップ』を見ていた時に思いついたという。

長年演じているらしく、最初の頃と今ではまったく違うそうだ。今はCGのような動きを目指して研究されているとのこと。

東京に出て、赤塚不二夫さん、タモリさん、所ジョージさんに ものまねを見せる機会を得た若き日のコロッケさん。所さんから「似ているけど、面白くないね」と言われ(一念発起して)“ビジュアルものまね”が生まれた。

<似ているか似ていないか。面白いか面白くないか>を判断するのは観客であると確信した。座右の銘は「相手が1番、自分が2番」で、常に観客を喜ばせてきたのだ。

 

1969

 

<「亭主は達者で留守がよい」という生活を心から楽しんでいるような、呑気そうな細君だった…>。『夫婦十二ヵ月』(1962年)。評論家・河盛好蔵さんの文章だという。

テレビCMにて<亭主元気で留守がいい>の形で世間に広まるのは、それから24年たった1986年のこと。

今の定年は60~65歳と会社が示す選択肢により幅もあるらしいが、当時は55歳定年が普通だった。

時の流れの速さには恐れ入る。その昔、“定年”は「停年」と書かれたらしい。
<“停”年>との文字からは、バス停のようなイメージもわいてくる。

さて次はどんなバスに乗ろうか、と思えば、少し元気になれるかもしれない。

 

クスっと笑えるような余白が

 

毒舌タレントが芸能界を席巻してかなりになる。

有吉弘行さん、マツコ・デラックスさん、坂上忍さんらが、ご意見番やコメンテーターとして、他の芸能人への言動のみならず、時事問題にいたるまで批評・批判することは、今や珍しくない。

“歯に衣着せぬ言動”は痛快であるが、ときには批判を受けてしまうケースもある。一歩まちがうと即“炎上” にもなりかねない。

“愛される毒舌"と“炎上する毒舌"の境界線は、いったいどこにあるのか。

たけしさん、島田紳助さん、上岡龍太郎さん、有吉弘行さんなど、脈々と受け継がれる“毒舌の系譜”を思えば、(1980年前後の漫才ブームで)ツービートのビートたけしさんがクローズアップされるようになったのがきっかけなのかもしれない。

「ジジィ! ババァ!」との強烈な発言や、社会風刺を題材とした漫才を繰り広げ、大人気となった。

 

1967

 

ツービートのネタは“毒ガス"と呼ばれ、ネタ本の『ツービートのわッ毒ガスだ』は85万部を超える大ヒット。彼らの毒舌は、一般視聴者が言いたいことをズバリ言ってくれるもので、人によってはちょっと鼻につくものでもそれを意図的にコントロールしていた。

その後、上岡龍太郎さん、島田紳助さん、大竹まことさんなど、毒舌をウリにするタレントが続々登場した。

「毒舌タレント」は芸能界のいちジャンルとして定着した。そして、2007年頃から有吉弘行さんの再ブレイクで脚光を浴びるようになった。

「リズム&暴力」(和田アキ子さん)、「元気の押し売り」(ベッキーさん)など、あだ名を次々と付けて大ブレイク。多くの冠番組を持つまでになるのだ。

有吉さんの盟友、マツコ・デラックスさんも、歯に衣着せぬ発言でブレイク。
このお二方は毒を吐く相手に対して、基本的にはリスペクトがあるから嫌がられない。

 

1968

 

毒舌が許されるかどうかは、「愛の有無」だと言われるが、「愛嬌があるか、ないか」の方が重要なようである。

有吉さんの場合、毒を吐いた後は必ず満面の笑顔でクッションを置く。だからこそ観ている視聴者も安心できる“明るい毒舌"なのだ。

好感度の高い毒舌タレントの共通点は「類まれな“愛嬌"」といっても過言ではあるまい。
かつて、毒蝮三太夫さんがこの「クソババア!」と罵倒しても許されていたのは、(ラジオのその向こうには)当人がいて、言われた方も喜んでいた。そして、聴いてる側も不快じゃなかった。

もし、毒を吐いた後で、オチとして笑いに昇華することができず、シリアスなままで終わってしまえば、毒舌の息を超えて嫌悪の対象になるはずだ。

どこかにクスっと笑えるような余白がなければ、「偉そうな物言い」だけがクローズアップされてしまい、批判の的になってしまう。今はこのケースがあまりにも多すぎるようだ。
<クスっと笑える余白>をもっともっと持てるように、学ぶ必要があるのかもしれない。

 

 

週のお題「芸術の秋」

隠れたる偉人伝と某国の逸話

 

<無用之用(むようのよう)>とは、老子荘子でよく使われる逆接的な理論だ。
意味は、「一目見たとき役に立たないと思っていたものが、重要な働きをすること」。

喩えば、人が地面に立つとき、足の裏が収まるだけの面積があれば足りる。しかし、立っている場所以外の大地を掘り取れば足もとが崩れてしまう。

かつて、さいとう・たかをさんの劇画『無用ノ介』が流行った。由来はこの“無用之用”かもしれない。ところで、この“無用之用”はいかがなものか。乾燥の季節にビリッと感じる「静電気」である。

あらゆる物質にプラスの電気を持つ陽子と、マイナスの電気を持つ電子があり、通常はプラスとマイナスの量はバランスがとれている。物質によって電子を引きつける力が強かったり弱かったりする。電子を引きつける力の異なる物質が接触すると、電子の移動が起こり、一方がプラス、もう一方がマイナスの電気を帯びる。これが静電気である。

 

1965

 

着ている服がマイナスの電気を帯びると、服に近い体の部分にはプラスの電気が引き寄せられる影響で、(手や指などの)服から遠い部分は、マイナスの電気を帯びる。この状態で、金属製のドアノブなど電気が流れやすい物質に近づくと、放電してビリッとくる仕組みである。痛みを感じるのは電気が一気に流れるためだという。

空気の乾燥で、より起きやすくなる。湿度が高い時期は、空気中の水分が衣服や体の皮膚全体に付着する。水は電気を通しやすいので、服などを通して地面へ電気が流れていくため帯電しにくいとのこと。水分が少ない冬は、特に静電気が衣服にとどまりやすくなる。

無用と思われる静電気も、なにかの用をなすために存在しているものなのかどうか。興味が深い。

電気といえば発明王エジソンが思い浮かぶが、そのエジソンは、己の先を行く(交流電気を開発した)研究者が日の目を見ないよう、執拗に嫌がらせをしたというエピソードが残っているようだ。

 

1966

 

偉人伝には書かれないことが多々あるのだという。

新大陸に降り立ったコロンブスは村人に金を集めるよう命じ、手ぶらで戻った者は腕を切り落としたとか。

リンカーン奴隷解放の隠れた狙いは、南北戦争で対立する南部の資本家を弱らせることだったとも。

こちらは節酒令が出た当時の旧ソ連におけるお話である。その時代、靴磨き用のクリームが品切れになったのだという。

原因は、靴磨き用のクリームをパンに塗り、アルコール成分がしみ込むのを待ちクリームを削ぎ落として、(パンを)酒風味にして食べる人が増えたからなのだと。いかにも酒好きのお国柄であり、この執念はすさまじい。

昔話のため真意を測りかねたが、11年前の報道で妙に納得できた。その年ロシア全土で、靴クリームならぬ密造酒を飲み約180人が中毒死したそうだ。いかがわしい酒でも酔いたい人々の執念をわからぬもないが、命がけの飲酒には静電気以上の強烈な電気が走りそうだ。

 

志の糸を継ぐ心持つロボット

 

かつて、テレビ・映画で大活躍した二代目桂小金治さんが前座のとき、毎日稽古に通ったのが柳家小三治(のちの五代目小さん)さんの自宅であった。終戦まもなく、食糧難のころだ。

小三治さんは、弟子でもない若者に噺(はなし)を教え、終わると白いご飯を食べさせてくれた。小金治さんは毎回の銀シャリが楽しみだった。

ある日、いつものように満腹になって帰る途中で忘れ物に気づいて戻ると、小三治夫妻が子供と昼飯を食べていた。それはサツマイモだった。

胸をつかれた小金治さんは、帰りの電車で泣いたという。

稽古に通うのをやめようと思い、師匠の桂小文治さんに相談した。
師匠は言った。「大バカやな、お前は。小三治はお前に落語を教えているんやないで。落語ちゅうもんを、この世に残しているんやないか」と。

伝統芸能や伝統文化は、数知れない人々が、“志”の細く長い糸をつないでここまできたようだ。

 

1963

 

ロボットと違い人間は、感情を持つ。その感情は脳内のホルモンに左右され、ホルモンの量は五感から得る情報などによって増減する。

とはいえ近年は、人工知能(AI)も進歩し、機械が感情を表現したり、人間の喜怒哀楽を理解したりする技術が登場している。

“働くだけのロボット”も「友人や家族の一員になるロボット」へ、との日が近くなっているようだ。

暗い場所にいると、脳に“ノルアドレナリン”というホルモンが放出されるらしい。そして、「不安」の感情が生まれる。

東京大・光吉特任講師は、楽しい時や不安な時などに、脳でどのようなホルモンが増減し影響するか、感情のホルモンを数値化したという。

そして、「大好き」、「悔しい」など感情を表す言葉を、単語223語に整理して「喜び」、「安心」、「怒り」、などの大きな感情の中に区分した。

その結果、ホルモンの分泌と細かい感情の関係を円で図示した「感情マップ」が出来上がったのである

 

1964

 

一昨年にソフトバンクが販売を始めたペッパーくんは、“感情マップ”がベースになる「感情生成エンジン」を搭載し、(感情を持たせた)ロボットなのだという。

身長約120センチ・メートル、体重約30キロ・グラムの感情認識パーソナルロボットなのだ。知識や言語能力は小学校低学年、感情は生後3~6か月の赤ちゃんと同程度とか。

映像や声などで周囲の情報を受け、人間の感情を左右する“ドーパミン”や“セロトニン”などに当たる8種類の仮想ホルモンを数値化し、その組み合わせで複雑な感情が生まれる仕組みになる。

初対面の人には“人見知り”して、自分に優しくする人や機械に冷淡な人などを徐々に覚えていく。会話する相手によって「喜び」や「不安」などの感情を持ち、話や動作を変化させていくというからおもしろい。

店頭での呼び込みや商品説明で、売上に貢献しているケースもある。
幼児にも人気で、ハグされて身動きがとれずバンザイしてお手上げ状態らしい。
我々も、ぜひ学びたい接客術なのである。