日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

飾らず手軽に読める文学全集

 

“文学全集”が飛ぶように売れた時代があったそうだ。
その元祖は“円本(えんぽん)”と呼ばれるシリーズ本であり、1926年に出た『現代日本文学全集』(改造社)がきっかけになり、1冊1円の手軽さで人気を博した。

また、戦後の1952年には角川書店が『昭和文学全集』、新潮社が『現代世界文学全集』の刊行を開始して、新たなブームが始まった。前者の累計発行部数は926万部、後者は302万部に達したといわれる。

出版科学研究所の統計では記録に残る1969年以降、文学全集が最も売れたとみられるのは1971年であり、この年だけで新規の全集が57シリーズも刊行された。

それ以降、全集の発行部数は低迷傾向が続く。活字離れで本が売れなくなったり、核家族化で家が狭くなり何十巻ものシリーズが敬遠されたことなどが原因のようだ。2003年にはピークの約100分の1にまで落ち込んだとのこと。

 

1879

 

“文学全集”といえば古めかしい響きで、(活字離れの進む)昨今はすっかり存在感が薄れた、と思っていたがそうでもないらしい。

書店で“全集”を手に取る人たちが増えているそうで、この数年は発行部数がわずかながら上昇しているとのこと。

百科事典同様に、かつては“全集を飾った”時代であったのが、今は“全集を読む”時代になっている。

3年前『日本文学全集』の刊行を始めた河出書房新社では、第1巻『古事記』が5万部を超える好調ぶりを示した。

明るい色合いの装丁で、箱にも入っていない手軽さ。従来の全集とかなりイメージチェンジをして、それがウケているようだ 。

かつて全集は全巻購入する顧客が多く、本棚ごと販売した例もあった。ところが、実際にどれだけ読まれたかはわからない。昨今のシリーズではバラ買いも意識し、“読める”ことにこだわっているのだ。

 

1880

 

今の時代は、電子書籍の普及で新しい可能性を感じさせる。
講談社では『手塚治虫文庫全集』全200巻を電子化して、一昨年5月から配信を始めた。

文学全集が電子化されれば、何十巻あっても場所をとらず、膨大なテキストを検索できる利点がある。そこが従来と全く違う威力を発揮する可能性なのだという。

「文学全集」といえば、格式張って敬遠した人も多いだろう。
今は手に取りやすくした装丁や、「読みたい人だけが読む」という素のままの状況を前面に、(敷居も低く)読みやすくなっている。

とてもありがたいものという印象だった文学全集も、今はとくにありがたくはない。
そこが今までになく“読まれやすい”時代であるとも言える。

かつて全集を敬遠していた人たちが、古事記ぐらいは読んでみようかな、と手に取る風景を想像すると、なぜか私のこころも和んでくる。

 

サルトル・マルクス・讃美歌

先日、何気なく観たテレビの歌番組で、ミュージシャン・俳優の竹原ピストルさんが耳馴染みの曲を熱く歌い上げていた。それは、昨冬のライブから竹原さんが歌い続けている楽曲なのだという。

18世紀後半に作られ、世界中で慕われ愛唱されている讃美歌『アメイジング・グレイス』に、竹原さんが自身の思いを日本語歌詞として添えた祈りの歌であった。

(まるで)すべての人の想いが、竹原さんの声にのりうつったかの如く、力強さを増し圧倒的なパフォーマンスに結実していた。

 

1877

 

アメイジング・グレイス』といえば、歌手・女優の中島美嘉さんを連想してしまう。

2001年、デモテープを聴き彼女の声に惹かれたソニー・レコードのスタッフによって、中島さんは(ソニー主催の)ボーカルオーディションに出場できることになり、見事に合格した。

テレビドラマのヒロイン役オーディションでは約3,000人が応募の中、中島さんが勝ち抜きヒロインとして抜擢された。

中島さんは、射止めたテレビドラマ『傷だらけのラブソング』にて女優としてデビューし、劇中歌で『アメイジング・グレイス』をアカペラで美しく歌い上げていた。

 

1878

 

サルトルマルクス並べても 明日の天気はわからねえ ヤクザ映画の看板に 夢は夜ひらく・・・♪>。

シンガー・ソングライター三上寛さんが自作の詞で歌う『夢は夜ひらく』(作曲・曽根幸明)である。

竹原ピストルさんの弾き語りをテレビで観るたび、いつも私の頭の中に誰かが浮かんでくるのだが、それは誰だかわからないままであった。

ようやくその答えが見つかり、三上寛さんであることが判明した。
三上さんと竹原さんは玄人ウケをする。同業のシンガー・ソング・ライターたちの支持が多い。数ヶ月前もテレビで、玉置浩二さんが(本人を前に)竹原さんを賛美していた。

最近、三上寛さんをメディアでお見かけしていないが、お元気であろうか。
この記事を書くため、三上さんのことをネット検索したら、青森県五所川原高等学校
在学中に生徒会長を務め、ザ・タイガースやブルーコメッツなどのカバーバンドを組んで
いたらしい。

年代的には問題がない。でも、三上さんのキャラとはどうも結び付かないからおもしろい。
三上さんの作風は、怒号のような荒々しさから、ささやくような穏やかさまでを湛える情念に満ちた歌声なのであるから。

余談であるが、岡林信康さんの楽曲の原点は讃美歌だと信じている。型破りな牧師を父に持ち、幼い頃から賛美歌のメロディーに慣れ親しんだことであろう。

メッセージソング『友よ』や『山谷ブルース』も、聴きようによれば『アメイジング・グレイス』と同じに感じてくる。

 

G・バットを好んだ文人たち

 

ゴールデンバットというタバコが発売されたのは1906年9月1日だという。
店頭や自販機で見かけることがないため、今も健在なのかとネットで確認したところまだあるらしい。価格は290円に跳ね上がっているようだが。

今年で111年目になるゴールデンバットは、日本たばこ産業(JT)きっての長寿商品であり、昭和の初めは日本で最も名の通ったタバコなのだという。

灰緑色系の地に金色のコウモリをあしらった古風なパッケージが懐かしい。
課税上の等級が低くなるため、上級の煙草には使用しない葉脈の部分を主原料に製造されている。

均質な味に調整しにくいのがばらつきの原因であるが、大のバット愛好者には、この“味の変化”がたまらないらしい。

 

1875

 

<七銭でバットを買つて、一銭でマッチを買つて・・・僕は次の峠を越える>と、詩人・中原中也さんは書き記した。

太宰治さんは『富嶽百景』にて、<筆が滞るとバットを七箱も八箱も吸う>と書いている。
芥川龍之介さんも、バットの愛好家だったようだ。

文人だけでなく、味と安さで大衆の心を広くつかんだ銘柄のゴールデンバットは、1940(昭和15)年、外来語を追放する運動によりその名が「金鵄(きんし)」に変わったとか。

その由来は、「神武天皇の弓にとまった金色の鵄(とび)の伝説」にあるらしいが。
ゴールデンバットが元の名に戻ったのは、終戦直後の占領期である。

 

1876

 

今年の12月で没後101年になる夏目漱石さんは、ゴールデンバットの愛好家だったかどうかはわからない。

思春期の読書好きが「あれ読んだ?」と語り合えるような、高い人気の太宰治さんタイプではないだろうが、漱石さんには粋で新しいもの好きなおしゃれ心を感じる。作家人生はわずか10年余りであったが、漱石さんの数々の作品は色褪せない。

漱石さんはスポーツ万能であり、器械体操の名手でもあったというからおどろきだ。
また、ボート、乗馬、水泳も達者だったという。

100年超えの今も読み継がれていることを知ったら、満49歳で亡くなられた漱石さんはいったいなにを思うのだろう。

そして、時々の国策や時代の気分に振り回され続けた(111年の目撃者である)ゴールデンバットが、今もだれかに愛煙されているということにも、不思議な感動をおぼえる。

 

ハンデ逆手に個人主義を貫く

 

よちよち歩きをするペンギンの群れから、一匹を離すとすぐに速足で、仲間のもとへと駆けだすそうだ。

また、進行方向に障害物を置くと、群れは二つに分かれず全員が同じ道を進んでいくとのこと。

日本では聖徳太子の時代から、個よりも和が重んじられ貴いものとされる。
スポーツの世界も同じようだ。

ところが、(昨年に)日米通算でピート・ローズ氏の大リーグ最多4256安打を超えた大リーグ・マーリンズイチロー選手はその逆をいく。

2001年にイチロー選手は米国へ渡り、マリナーズで日本選手初のMVPになった。

<人との比較は意味がない>との意志で、イチロー選手は徹底して個を磨いていった。
人の評価に影響されず、他人が提示した型に入ることを拒否したのだ。

 

1873

 

チームが負けても自分が4安打すればうれしい、と口にしたこともあるとか。
そのため、個人主義者と見られてチーム内にも反感を持つ者がいたそうだ。

判断軸は常にイチロー選手の中にあり、人を寄せ付けない。そのうえで自分を客観的に語る。取材する側からも緊張を伴ったようだ。

<問いには内容のあるものを求め、向き合うことは簡単ではなかった>という。

イチロー選手の信念こそが、日本のスポーツ界に足りないものなのかもしれない。

イギリスの産業革命で発明された蒸気機関は、大きくなるほど効率が良くなるという。
当時、新興国・ドイツには巨大資本がなく、うまく活用できなかったらしい。

小規模の企業家しかいなくて、職人技術しかないところでは、融通の利く小型機関が強く望まれた。

そのハンデを逆手に取ったドイツは、技術を積み上げガソリンエンジンを生んだ。
そして、1890年頃にダイムラーらが、自動車を発明する。

 

1874

 

勝負の世界でも、自分の力で状況を打開しなければ世界で通用しない。
選手が個として、突き抜けることが必要になってくるのである。

個にこだわるイチロー選手も自ら“和”を前面に押し出し、日頃のクールさを封印して熱く戦ったことがある。国別対抗戦WBCの1、2回大会でリーダー役を務め、連覇に導いたときである。

日本でプレイしていた若手時代から、他の選手に比べて体格が大きくはなかった。イチロー選手がメジャーへ行き、大活躍できるとどれだけの人が予測できただろうか。

野茂投手がメジャーで活躍後、野手として渡米した日本選手はイチロー選手が初めてだったのではないだろうか。

怪力の大男たちがウジャウジャいる世界で、ホームランを追求していないイチロー選手は、日本よりはるかに広い球場をうまく使いこなした。そして、「走・攻・守」における美技の数々で多くのファンに感動を与えた。

普通の打者なら(打ち損じと)苦笑いするボテボテの内野ゴロや、野手の間にフライがポテンと落ちるテキサス安打を放った時、イチロー選手は塁上でドヤ顔をしている。

 

4Kデジタル・リマスター版

 

<哲学が束になってかかろうとも、タバコにまさるものはあるまい>。
モリエールの戯曲『ドン・ジュアン』の一節だという。

1904年(明治37年)の7月に、タバコの専売法が施行された。
本居宣長の歌にある「敷島の大和ごころを人問わば朝日ににおう山ざくら花・・・」。
から「敷島」「大和」「朝日」の官製たばこが登場したらしい。

専売制度が廃止された現在も価格は財務相の認可事項で、嫌煙傾向をいいことに種別ごとの値上げは続く。

人さまの顔色をうかがいながら煙の行方に神経を遣う愛煙家たちも、健康に悪いと言われ肩身が狭い。そのうえ懐にも響くばかりである。

(愛煙家たちにとって)古き良き時代の映画やテレビドラマには、喫煙シーンがふんだんに盛り込まれていた。

 

1871

 

くわえタバコがよく似合い、カッコよかった役者といえば石原裕次郎さんである。
当時の若者たちも、裕次郎さんになりきって くわえタバコを真似したはずだ。

映画『陽のあたる坂道』では、カレーライスをかき混ぜて頬張るシーンがあった。
その食べ方も若者たちに大流行した、と訊いた。

今年で没後30年。早いものだ。
先日、裕次郎さんの代表作が数本、テレビで放映されていた。
それらのタイトルに「4Kデジタル・リマスター版」と銘打たれていたが、録画したまま観ていないのでとても楽しみである。

昨年、松竹映像センターで小津映画のデジタル修復に取り組む五十嵐真さんの記事を読んだ。小津安二郎監督作品をはじめ、松竹の名作をデジタル技術で修復するプロジェクトを担当されているという。

昨年2月のベルリン国際映画祭では、小津監督の『麦秋』を高精細な4K技術で修復して出品した。そして、「60年も昔の映画とは思えないほど美しく新鮮」と高い評価を得たそうだ。

 

1872

 

五十嵐さんは、2005年からデジタル技術による修復に本格的に取り組んだ。
今の技術は古い映画の画面のざらつきやノイズも全て排除できるが、やり過ぎると当時の映画の情緒を壊してしまうとのこと。

<見やすさか、作品の歴史的価値か>。技術の進歩ゆえの葛藤は世界共通の悩みらしい。

米ハリウッドのスタジオで『インディ・ジョーンズ』を修復した際は、ジョージ・ルーカスさん、スティーブン・スピルバーグさんも監修のために訪れたという。

ルーカスさんは革新的な技術を好むが、スピルバーグさんは古い質感を重視するため、
2人が一緒だと仕事はなかなか進まないようだ。

修復する時も、監督の意図を知る当時のスタッフに監修を依頼する。
映画にはワンカットずつ狙いがあり、五十嵐さんは当時の製作者と現代の技術者の橋渡し役になりたい、と語っておられた。

かつての名作が新技術できれいに蘇るのはうれしいが、技術の発達した今は後世に残る名作がどれだけ生まれているのか。アナログ時代の名ドラマの再放送を観るたびいつも思うことだが、今では見られない配役やおもしろい話が満載なのである。アナログ画質は今より劣るはずだが、それもまったく気にならず作品に没頭してしまう。

 

パソコン・電話 いたしません


濁ると澄むでは意味の変わる言葉がある。
その代表はやはりこれだろう。<ハケ(刷毛)に毛がありハゲに毛がなし>。

また、濁音の表現は不快感を誘うこともあるという。

“かに(蟹)”を濁らせた「がにまた」や、“さま”を濁らせ「ざまあ見ろ」などと。
それは濁音による心理を応用した悪口になる。

少し前に流行?した「ゲス」や「下策(げさく)」にも濁音が絡む。

春の日と掛けて金持ちの親類と解く。<くれそうでくれない>。
「日が暮れない」と「お金をくれない」の掛け合わせらしい。

“くれない”のピークである夏至である。
こちらはあいにくの雨でその実感は薄かったのだが。

夏至冬至に比べて人気に欠けるような気もするが、それは濁音の前後差によるものなのであろうか。

 

1870

 

スマホとパソコンのどちらにも濁音の表現はないはずが、濁音以外の温度差が出てきているらしい。

パソコンを使えるばかりに仕事が殺到するのだという。

『PTA界にこだまする「パソコンが辛い」問題』を、ライター・大塚 玲子さんが書いていた。

PTA活動において、パソコンを使えない人は何もしないで済むのに、パソコンを使いこなせる人が少ないとのこと。

多くの母親たちが日常的に使うのは携帯やスマートフォンであるが、パソコンは苦手なのらしい。

PTA・広報委員会では、パソコンで打った原稿データを印刷所に渡して、年に数回、広報紙(PTA新聞)を発行する。

一昔前まで、手書きの原稿でもよかったが、最近は印刷所の人が文字を打ち込み直す手間を省き、パソコンで原稿を入力して、印刷所にデータを渡すやり方が主流だという。

 

1869

 

広報委員の仕事は原稿書きだけではない。原稿チェックや、完成した広報紙を折る作業など、パソコンを使えない人でもやれることはある。

しかしパソコンができないことを理由に、だんだん(委員会の)集まりにすら来なくなる。
結局、ほとんどの作業をパソコンが使える人だけでやることになってしまうのである。

やっと、自分たちの仕事を終えたと安堵していると、今度はパソコンをできない人の手書き原稿を打ち込む仕事がまわってきたりする。

今いる私の職場も同様で、なにかあるとパソコンに詳しい(と思われている)私に泣きついてきて、パソコン以外の余分な作業がついてまわる。

<電話口「何様(なにさま)ですか?」と聞く新人>。
サラリーマン川柳の旧作である。

電話に出るのが苦手な若手社員の話題は数年前からあるが、電話がいやで退職する新人社員も出ているそうな。

スマホは見事に使いこなしているが、通話の割合が激減しているのか。それとも、固定電話に違和感があるのだろうか。

家にいて固定電話にかかってくる内容は、なんらかの営業ばかりで、鳴ると不快な気分で身構える。電話を使う仕事をさんざんこなしてきたわが身であるが、いまや電話アレルギーである。

アガサ・クリスティさんの『ABC殺人事件』のなかで、名探偵ポアロは述べている。
<会話とは人が胸に隠していることを発見する確かな方法である>と。

さて、スマホタブレットでネットをしても、パソコンや電話を使わない人の胸の内には、いったいなにが秘められているのであろうか。

 

なんのために鳴くホトトギス

 

炊飯器で炊いたご飯の、抜きん出ておいしい部分は表面だという。表面をすくい取って口に運べば、甘みがとても深いらしい。

うまい米は上へ上へと集まる。しゃもじで混ぜるのは“おいしさを均等にするためだ。

人間の社会でも、おいしい部分は上に集中する。しゃもじで混ぜる役目は政治家か、と思いきや、彼らは“上から目線”で(味をしめた)おいしいモノを抱え込んで離さない。

深い味わいのある言葉がわからなければ、伝統文化を理解することができない。
相手に語りかける言葉の品位によっては、人間関係が豊かになることもあれば、傷つくこともある。数学や論理的思考の能力も国語力と結びついているはず。

 

1867

 

古今和歌集にある夏の歌34首のうちで、28首にホトトギスが詠まれている。
昭和の初め、随筆家・寺田寅彦さんは信州・星野温泉でホトトギスの声を浴びるほど聞いたという。

物理学者でもあった寺田さんは、随想『疑問と空想』にて<なんのために鳴くのか?>と問いかけた。

科学者らしい考察で...
多くは鳴きながら飛ぶ。雌を呼ぶつもりならば、鳴き終わった時にはもう別の場所に移っているので用をなさない。

<おそらくは自分の発する音波が地表面に反響するのを利用して、飛行に必要な測量をしているのだろう>、との結論に達した。

言葉を発し、その反響に耳をすませ、自分が現在いる位置と進むべき方角を確かめる。
思えば人の世も、ホトトギスと同じに音波測量で成り立っているのかもしれない。

 

1868

 

「感性」を調べてみると、心に深く感じること、知性や意志と区別された感覚、などと出てくる。それは、欲求、感情、情緒などに関わる心の能力であると。

巷では成熟社会を迎え、商品開発のカギは価格の安さや高品質だけではなく、感性価値が決め手になるようだ。

その昔、俳優の小沢昭一さんが東京・四谷の街を歩いていたら、お稲荷さんの前あたりから妙な話し声が聞こえてきたそうだ。

何かと見ると、先代の林家正蔵さんが誰もいない所で落語を演じていた。
たずねると、正蔵師匠は「神様に聞いてもらっている」と答えた。

つまり、“今日(こんにち)さま”に捧げる、ということだったらしい。

<その日一日を守ってくれる神様、おてんとうさま、今日さまという昔懐かしい言葉に久しぶりで出会った>との言葉を、小沢さんはその回想に添えた。

一斉に世の中が夜行性の魔法をかけられたかのように、おてんとうさまや今日さまを忘れた出来事が続いている。嘆かわしいことである。

とはいえ、日が沈みアルコールが入ると活き活きしてくる昼行灯(あんどん)の私が、言えた義理でもないのだが。

 

面白い話は やはりおもしろい

 

<勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし>。
野村克也さんが監督時代から口癖のように語っていた言葉である。

映画界では、巨匠・黒澤明監督が言っていた。
<良いシナリオから駄作が生まれることもあるが、悪いシナリオから傑作が生まれることはない>と。

こういう話が大好きなので、なにかの拍子に思い出している。

<死の場面になると、俳優たちは急にリアリズムに切り替わるのだ>。
喜劇王チャップリンさんは、東京で見物した歌舞伎の印象を自伝に記した。
直前までバレエのように舞っていたのに・・・と。

たしかに、一世を風靡した東映のチャンバラ映画より、歌舞伎にはスローな動きも多い。
<忍者がもう存在しないというのは嘘だ。シアトルにいるではないか>。
かつてアメリカで、こんなジョークが野球ファンの口にのぼったとか。
もちろん忍者は、(以前)シアトル・マリナーズに在籍したイチロー選手のことだ。

 

1865

 

株式取引の重要指標である“時価総額”は、発行済み株式数に株価をかけ、企業価値を示す数字として使われる。何千億、何十兆などの数字が並ぶと、縁遠い身にはピンとこない。
5年後に時価総額をいまの倍の1兆円に高める、との目標を掲げた日清食品ホールディングス経営陣は、社員に自社株の動きを意識してもらうのが難しいと感じた。

そこで生まれたのが「カブテリア」という名の社員食堂であった。
自社株の動きを掲示し、株価次第では翌月の昼食メニューが変わるシステムなのだ。

月末の株価が前月の平均を上回ると、“ご褒美デー”を設け、豪華な料理を振る舞う。
逆に下回れば、寂しい料理に取って代わる。その“お目玉デー”のメニューは、昭和30年代の学校給食に習い、揚げパン、牛乳、おでん・・・などらしい。

経営陣も反省の気持ちから、執行役員がエプロンを着けて配膳にあたるという。
そこがおもしろいと、社員には大受けで利用者も増えたという。

 

1866

 

人間の腸内に棲息する細菌の数は1000兆にもなるという。
人間は大量かつ多種多様の細菌と共存して、多くの仕事を細菌に“外注”しているらしい。
胃がんの原因にもなるピロリ菌だが、胃酸を薄めて胃の粘膜を守る作用を人間に代わって何万年も行っている。

ピロリ菌を除菌すると、胃潰瘍の薬を飲まなくてはならなくなることもあるそうな。
大腸の“腸内細菌”は、住んでいる場所や人種、食べ物といった地球での人間の文化や生活と深く関わっている。腸内細菌は肥満やがんに関係することがわかってきたとのこと。
昨年、横浜で開催された日本抗加齢医学会の学術総会では、腸内細菌が認知機能を高める、という報告が出たようだ。

健康な成人の腸では“善玉菌”が20%、“悪玉菌”が10%である。そして、その他の70%が“日和見(ひよりみ)菌”と呼ばれるものである。善玉や悪玉にコロコロ寝返るタイプだという。おそらく私は、この日和見菌にかなり感化されているようだ。

 

不変ではなかった一日の時間


約45億年前、誕生したばかりの地球は自転のスピードが速く、1日は5時間ほどしかなかったそうだ。以前、新聞のコラム記事で知りおどろいた。

その回転にブレーキをかけているのが月の引力で、潮の満ち引きが起きて、大量の水と海底の間に摩擦が生まれ、自転と逆方向の力が徐々に加わり、いまの回転速度に落ち着いたという。もし今も5時間の1日であったら、われわれの生活はどうなっているのか。

女子フィギュアスケートの金メダリスト・荒川静香選手は、演技の秒数を計るとき、口のなかで「ワン・アイスクリーム、ツー・アイスクリーム・・・」と唱えたらしい。

「ワン、ツー、スリー」では3秒に短く、引き伸ばして唱えるのも加減がむずかしい。演技の技術力だけではなく、(銀盤を舞う)第一人者にとって不可欠な知恵なのだろう。

 

1864

 

ドイツの作家ユンガーさんは『砂時計の書』に記した。
<部屋には時計でなく、砂時計を置きたい。静かで安らかな気持ちになるから>と。

それは、時計が生活に入り込んでいなかった遠い昔へのあこがれであり、機械時計にしばられない贅沢・・・とも。

今のように時間に沿って仕事を始めて終えるのではなく、そこに現れることが仕事の始まりで、時間に遅れるという概念も希薄だったはず。

急いで物事をこなし、“決められた時間に間に合わせること”で達成感を持つ現代人は、時間に追われて失っているものがあるようだ。

職場で時間に追われる父親だけでなく、保育園や幼稚園、学校でのママ友グループもかなりお忙しそうだ。

PTAや趣味のグループで連絡をとりあう際、メールではわずらわしい。
全員のメールアドレスと電話番号を集めプリントして配り、お知らせがあるたびに一斉メールで出欠や意見を募る。そして、返信の集計に手間がかかるのだ。

LINEの グループ機能などである程度の改善はできると思うが、スケジュール調整も簡単な“連絡網アプリ”なるものがスマホなどで活用できるらしい。そのアプリで情報を共有することにより、時間短縮になるらしい。

 

1863

 

“連絡網アプリ”の機能として、一斉連絡はもちろん、意見交換や賛否の集約、イベントの日程調整も簡単にできてしまう。カレンダーなどをメンバーで共有できる、高機能サービスもあるという。

父母会、PTAへのかかわりは人数が多く、連絡は煩雑で役員の負担も大きい。
連絡網などの無料サービスを活用することで、大きな負担減になるという。

親睦会を開く際などは、日程調整の機能を使い候補日の一覧を送る。メンバーは“参加”、“不参加”、“未定”などの項目をクリックするだけ。その結果は自動集計され、参加者の多い日が一目でわかるようになる。

アンケート機能では、意見の集約も簡単にできる。既読と未読がわかり未回答の人には催促メールを送れるのだ。

少数のお知らせと返答の集計だけならメールですむが、仕事や議論が多いなら連絡網アプリでこなす。うまく使い分ければ時間も短縮できるだろう。

私はママ友ではないので“連絡網アプリ”を必要としないが、“砂時計アプリ”があればぜひ使いたい心境である。

 

他人事と自分事は入れ替わる

 

傘が活躍する時期になっている。しかし、雨の日はまだ少ない。

雨の予報で外出時に傘を持ち歩いても、使わないで済むことがある。そういうときは、なんだか損をした気分になる。電車の忘れ物ランキングでも、傘が1位をキープし続けているようだ。

暮らしのあらゆるところにコンピューターが入り込む時代になっても、人の頭上で物理的に雨を遮る仕組みである傘は昔のままである。その原理は江戸期の浮世絵にも描かれている。

傘は風にも弱いし、横から雨が吹きつけたり、下から跳ね返ってきたりもする。
そのような完璧ではない道具に頼らざるをえないところで、気象に対する人類の無力を知るのかもしれない。

IT技術の駆使で格段の進化をとげたのは天気の予測であるが、(今のところ)雨の防御策は傘頼みのままである。

 

1861

 

「他人事」を何と読むのか。6年前の「国語に関する世論調査」(文化庁)では、「ひとごと」を選んだ人が30.4%、「たにんごと」は54.2%だったそうだ。

そもそも他人に関わることを「ひとごと」といい、漢字での表記は「人事」だった。
それでは読みにくいため「他人事」になったという。

文字通り読んで「たにんごと」となり、「他人事」に対応する言葉として「自分事」という言い方も生まれているようだ。

職場、学校、生活のあらゆる場で、「当事者・関係者・傍観者」の関係が入れ替わる。
対岸の火事”だったのが、いつの間にかわが身に火の粉が飛んできたり・・・と。

急な雨で自分だけ傘を持っていたので助かった。当事者の自分は濡れている人の中に知人を見つけた。関係者であった知人を傘の中に入れてあげた。傘の中のふたりは当事者になり、濡れて慌てる人たちを眺める。そのときは傍観者になっている。つまり他人事なのだから。

逆の場面もあるだろう。雨に降られて傘を持っていないのは自分だけ。濡れながら、関係者の知人に出会えればラッキーなのであるが・・・。

 

1862

 

<あくびがでるわ/いやけがさすわ/しにたいくらい/てんでたいくつ/まぬけなあなた/すべってころべ>。自分事でつながり合えたはずの彼か彼女から、こんなLINEやメールをもらったらどうだろう。自分事で熱く怒り、さっさと他人事にしたくなるかもしれない。

横書き6行の左端を縦に読んでみると「あ・い・し・て・ま・す」。
それを知ったとたん、今まで以上の自分事でホットな気分に切り替わることだろう。
(和田誠さんのエッセイ『ことばの波止場』より)

さて、話を雨に戻そう。
日常のありふれた風景が人を哲学者にすることもあるという。

話術家・徳川夢声さんは、自宅の庭に降る雨を見ながら<池には雨が落ちて、無数の輪が発生し消滅する>と、1942年(昭和17年)3月の日記に書いたそうだ。

<人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることが出来たら、こんな風だろうと思つた。
カミ(神)の目から見る人間の生死がこの通りだろう>と。

たしかに。自分事として捉えるとそのことがすごく理解できてしまうのである。