日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

中途半端なき「褒め」と「叱り」

 

実力派の漫才コンビ「ナイツ」の塙宣之さんと土屋伸之さんは、2002年に漫才協会に入り、内海桂子師匠の一門になった。そして07年に「寄席にも出たい」と、落語芸術協会にも入った。

その際、お世話になった師匠は(「笑点」でおなじみの)落語家・三遊亭小遊三さんでその一門に入った。まだテレビに出てない若手の頃である。小遊三師匠は、初めての“漫才師の弟子”としてとってくれたのである。

落語のお弟子さんと違い彼らは、芸を直接教えてもらうことはなかったが、「この間、番組見たけど笑っちゃったよ」などと(小遊三師匠に)褒めてもらう。そして師匠は無口で、無駄にはしゃべらない。小遊三師匠は当時から今もずっと優しいという。

「ナイツ」のネタをちゃんと見ていてくれて、要点だけ言うとあとは言わない。
師匠の芸や、協会の副会長として落語家さんたちを人望でまとめるところを見て、学ぶことは多いとのこと。

 

1841

 

黒澤明監督は幼少時、よく泣かされていたそうだ。小学校で、「みんなのなぶり者になった」と、自伝『蝦蟇(がま)の油』に記した。そして、学校を「牢獄のように感じた」とも。

その環境を変えたのは、ひとりの教師であった。
同級生に笑われた黒澤少年の絵を褒め、三重丸を与えたのだ。

自信がついた黒澤少年は、図画の時間が楽しくなり画家を志した。
そして、映画界に定住した黒澤さんは、映画の設計図となる絵コンテやシナリオを数々描き、巨匠の原点を築いた。

くもりなき教師の目が、眠れる才能を育んだのは言うまでもないことだ。黒澤さんにとっても、この師との出会いなくして、多くの名作は生まれなかったかもしれない。

 

1842

 

数日前に興味ある新聞記事を見つけた。

子どもの頃、周囲に褒められた経験が多い人ほど、大人になって困難な状況に直面しても、“へこたれない”傾向にある、のだと。

国立青少年教育振興機構」の調査結果で、20~60歳代を対象の全国調査らしい。

「厳しく叱られてもくじけない」や「失敗してもあきらめずにもう一度挑戦する」などの質問結果として、「褒められた」経験が多い人ほど、「へこたれない力」が強いという。

また、「厳しく叱られた」経験の多い人も、「へこたれない」という同様の傾向が見られた。
褒められた経験や厳しく叱られた経験が少ない人の場合は、「へこたれない力」が最も弱かったようだ。

思えば自分自身、人生の先輩たちに多く褒めていただいた。その分、叱られることがあっても“訊く耳”を持って吸収できることばかりであった。

親の立場では、子どもにきちんと向き合い、褒めるべきところは大いに褒め、悪いところはしっかり叱る姿勢が重要なのだという。子どもへの無関心や放任は好ましくない。

一番いけないのは、中途半端に褒めて中途半端に叱ること。

とはいえ自分も、(人生の達人たちに)教わったことの半分も、子どもたちの世代に伝えきれていない。逆に教わることばかり。実に嘆かわしいものだ。

 

マニアックなドラマの観かた

 

深浦加奈子さんという女優は、様々な役柄をこなし名脇役と評された。
惜しくも、2008年8月に48歳で亡くなられた。

舞台を中心に活動を始め、テレビドラマ『家なき子』や『スウィート・ホーム』での演技で広く認められるようになった。今も、人気ドラマシリーズの再放送で、深浦さんのお顔を拝見する。名前を知らない視聴者も、テレビではお馴染みの方だったのである。

私がドラマや映画を観ようと思うときの判断は、主演よりも脇役が重視である。
今も、福浦さんのように名脇役として活躍されている女優がいる。
遊井亮子さんである。

BDレコーダーのキーワード録画機能を利用して、遊井さんの出演されたほとんどの作品を観ている。

遊井さんのこなした役の種類は豊富で、脇役の彼女が主役に思えてくるからおもしろい。出演本数の多さもさることながら、お宝映像の作品とも出会える。

 

1839

 

ベテラン俳優の小野武彦さんは、(脇役として)若い頃に平社員役などで多くの作品に出やすかったが、年輩になると役職の役に限られ、競争率が大きくなる、と言っていた。それでも、出演されるときは渋くて楽しめる演技をご披露してくれる。

かつて、主役に対して“脇役”や“端役”と呼ばれていたが、最近では「助演者」というニュアンスが強いようだ。<名ドラマの陰にはいつも名助演者あり>なのである。

ドラマ界は主演俳優がほとんど固定化され、制作者の自由が効きにくいといわれる。
その背景にて、制作者の色が出るのは圧倒的に助演者であり、制作者のセンスや力量も表れやすい。

<役者には、良い役者とそうでない役者の二通りしかない>。助演が大半だった蟹江敬三さんは語っていた。

主役をこなした名優も助演者として、その個性と存在感にあふれる好演を見せている。

 

1840

 

主演作もある岸部一徳さんという役者の名助演者ぶりは天下一品である。
したたかで、存在感のある演技。

『相棒』での水谷豊さんとの丁々発止のやりとりが忘れられない。今は『ドクターX』にて米倉涼子さんとのコミカルなやりとりが楽しみで、シリーズ再開が待ち遠しい。

岸部さんの演技にはミュージシャンのエッセンスを感じる。数年前の、(GSで一世を風靡した)タイガースの復活コンサートでは、すばらしいベース演奏を披露してくれていた。

思えば、ベースという楽器そのものも名バイプレヤーなのだろうか。
ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんも、岸部一徳さんと同じベーシストであった。
俳優としてシリアスなドラマに出られているのを観て、名バイプレヤーだと感激した。

<脇役を引き立てるのが主役>と言ったのは渡瀬恒彦さんだ。
主役、助演で活躍中の内藤剛志さんが、主役を務めたがシリーズ物が続かないときに、渡瀬さんから教わったという。

<台本で自分のことしか読んでいないか。周りの台詞をしっかりと読め・・・>と。
いかにも渡瀬さんらしい、すばらしい言葉である。

 

旅の楽しげな土産話に人柄が


優れた経営者には共通点があるのだという。
元官僚で工業経済学者・政策研究大学院大学名誉教授である橋本久義さんによる理論がおもしろい。

1. 人徳があること。町工場なので経営者が悪いと、従業員が辞めてしまう。
      暴走族出身者を教育し、一人前の工員に育て上げるぐらいは当然なのだ、と。
2. 謙虚さがあること。そうでなければ、社員の能力をきちんと評価できない。
     そして、埋もれている能力を見つける嗅覚を発達させていく。
3. 社外の人を徹底的に大切にすること。
      発注先の技術者や地域の学者が無給で協力してくれる。
      つまり、「あの人のためならば、とひと肌脱がせてしまう」ことなのだ。

優れた経営者の人柄が浮かんできてわかりやすい。

“カンパニー”の語源は“コンパーニャ”。中世イタリア語で、コンは「共にする」、パーニャは「パン」。同じ釜の飯を食うものという意味になる。

 

1837


国文学者・池田弥三郎さんが、奥様と一緒に東北の旅館に泊まった際の話である。

「じいさん、ばあさん、お出かけ」。散歩に出るとき、番頭さんが大声で言った。
今度は、戻ると「じいさん、ばあさん、お帰り」と。

一度だけならず二度は勘弁ならぬ、と池田さん。
「キミ、僕たちは確かに若くはないが、もっとほかに言い方があるんじゃないか!」

問いただしたところ、“じいさん、ばあさん”は、宿泊の部屋番号「十三番さん」であったのだ。

お国訛りは魔法の言葉なのか、ほんのひと言でその土地に生まれ育った人を懐かしい過去に呼び戻す。そして、ゆきずりの旅人には土産話を残してくれるようだ。

 

1838

 

8歳のころに失明した箏曲家・宮城道雄さんは、光を断たれて、指先の感覚が研ぎ澄まされたのだろう。布地の色は分からなくとも、縞の粗い細かいは見当がついたという。

晩年に至るまで旺盛な好奇心のおもむくまま、触れて、撫でてみることを喜びとしたようだ。

欧州旅行から帰国後、親しい作家の内田百閒さんと対談をした。
「パリのノートルダムは撫でてみましたか」と百閒さん。
「脚のほうを撫でてみました」と笑顔の宮城さん。

「どうです、手ざわりは」
「じつは(英国)女王を撫でてきたかったんです」
「それはだめ」

とても楽しい旅の土産話である。
お二人のこの会話だけで、小さな物事にこだわらない人柄がしのばれる。

さて、今はGWの真っ最中である。旅の途上で土産話を作成中の方も多かろう。
残念ながら私は留守番の組なので、皆様が戻られての楽しい土産話(記事)が、今から待ち遠しい。

 

宵が裏方で生酔いできる季節

 

<小説とは迷っている人間が書き、迷っている人間に読んでもらうもの>と司馬遼太郎さんは語った。

女性初の芥川賞受賞は1938年(昭和13年)下半期に、中里恒子さんの作品『乗合馬車』が受賞した。今では、選ばれる側、選ぶ側で女性作家の活躍が目立つが。

当時、授賞事務にあたった裏方の人たちは時計で大あわてしたようだ。正賞として贈る懐中時計に女性用の用意がなかったのである。

数十文字の記念の言葉を刻むため、小さすぎても具合が悪い。そして、時計の種類が少ない時代のこと、時計店を何軒も回ったという。

 

1835

 

香川県琴平町の金丸座(金毘羅大芝居)は天保年間に建てられ、現存する日本最古の劇場らしい。よく響く効果音のように、表の木立からウグイスの声が聴こえてくるという。

江戸期の人々も秋はしぐれ、冬は木枯らし、と四季折々の音を聴きながら芝居を楽しんだことだろう。

回り舞台の仕掛けがある地下室(奈落)には、舞台の床下から力棒(ちからぼう)と呼ばれる4本の丸太が下がり、その足もとには手のひら大の力石(ちからいし)が数十個、一定間隔で円を描く形に埋められている。

裏方さんたちが力石に足を踏ん張り、力棒を肩にあてて舞台を回すのだ。皆が心をひとつにし、呼吸をそろえて満身の力を棒に伝えるそうだ。

優雅な舞台の下で働く、裏方さんたちのご苦労が思い浮かばれる。

 

1836

 

「生酔い」とは両極端を表す不思議な言葉のようだ。
「少し酒に酔うこと」と「ぐでんぐでんに酔っていること」の意味と辞書にある。

寒くも暑くもない穏やかな季節になった。
どちらの意味に転ぶかは知らぬが、生酔い気分で2軒目を探し歩く宵が気持ちいい時期だ。宵は酒飲みにとってなによりの裏方なのである。

日暮れ間もないころを指す「宵」とい言葉も、もっと遅い夜更けの時間帯と勘違いする人も多い。「まだまだ“宵のうち”」と、飲み続けるわが身も意図的に勘違いしている。

かつて、気象庁は、情報が正確に伝わるようにと、予報用語の「宵のうち」(午後6~9時ごろ)を「夜のはじめごろ」に改めた。情緒ある日本語が天気予報から消えたのは少し寂しくも思われる。

過度に飲酒すると、アルコール量が肝臓の処理能力を超え、アルコールやアセトアルデヒドが分解されずに肝臓の外に出るのだという。酔っぱらいのくせにこういうことはよく考えていない。

アルコールは脱水、低血糖などを引き起こし、アセトアルデヒドには毒性があり、翌日の朝、頭痛や吐き気などに悩まされる。これが二日酔いだという。

通常の「酔い」は、アルコールによって脳の機能がまひした状態。これは毎晩体験しているのでよくわかる。

「宵のうち」にならい情報が正確に伝わるように書くと、血中アルコール濃度0.1%が「ほろ酔い」の段階で、これを超えて飲み続けると二日酔いになりやすくなる・・・とのこと。

とはいえ、愛しい宵へ軽装で突入するときには、昨夜のアルコール濃度のことなど、まったく頭にはない状態なのである。実に困ったものだ。

 

“日本でよかった”の味わいは

 

人間の舌が感じる基本味は、「甘味・塩味・酸味・苦味・旨味」の5つといわれる。
“旨味”に関する物質は、1908年に日本人が発見したそうだ。

だし昆布からグルタミン酸を見つけ、その後、かつお節のイノシン酸、しいたけのグアニル酸などと、次々に旨味成分を発見した。

“出汁”の文化が定着していた日本人は、基本味の構成に敏感だったようだ。根付いた先人の知恵は大きい。

葛まんじゅうも、バテやすい夏には「胃に優しく滋養のある葛の根を食べる」、ということから始まった。

和菓子は(明治時代以降にヨーロッパなどから日本に入ってきた)洋菓子に対する言葉であるが、古くから神仏への供え物として、大切に扱われてきた。

日本の伝統的な菓子のことであり、餅菓子、最中、饅頭、羊羹、落雁、煎餅などが含まれる。

 

1834

 

「菓子」という文字からも伺えるが、菓子とはもともと木の実や果物を指していた。
縄文時代に日本人はすでにクッキーのようなものを食べていたことがあるという。
それは、栗などの木の実を砕いて熱を加えたものなのだ。

和菓子は歴史の過程で、海外の影響も強く受けているらしい。
中国で学んだ禅僧は喫茶と点心という習慣を広め、遣唐使は油で揚げるという調理法を伝えた。

大量の砂糖と卵を使う“南蛮菓子”も和菓子の流れを大きく変えた。
洋菓子に比べ和菓子は、油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米や麦などの穀類、(小豆・大豆などの)豆類、葛粉などのデンプン、そして砂糖を主原料としたものが多い。豆類を加工して作る餡も重要な要素となる。

一般に緑茶に合わせることを想定して作られ、茶の湯との関係も深い。

和菓子の色彩やデザインは、食べるのがもったいないくらいに美しい。
見て味わうだけでなく、それぞれの菓子の名の由来を知ることで、愛着が増してくる。

 

1833

 

今に通じる和菓子が京都で誕生したのは、江戸時代の元禄期らしい。
従来との大きな違いは、優美な色づかいだった。

その時代、格式を重んじる世界に住む男たちにとって、和菓子はたしなみの一つとなった。公家文化、茶の湯文化、町人文化などと、それぞれが盛り上がりを見せ、男たちは優雅な菓子を楽しんだ。

和菓子の風情として、四季との結びつきが強いことも大きな特徴だと思える。
各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさがたまらない。そしてそれは、豊かな季節感をもって表現されている。

和菓子は人生の節目ともつながりが深い。ひな祭りには“ひちぎり”という餅など。端午の節句には、ちまきやかしわ餅を食べる。まんじゅうも、めでたいときの紅白から、仏事用までと、日本人の生活に密着している。

そしてそこには「甘味」のみならず、“日本の土壌や人々の生活に馴染んだ”絶妙な「旨味」の存在感があるようなのだ。

 

公衆電話を知らない子供たち


職場の隣の公園にあった公衆電話が見あたらない。だいぶ前からのことだったらしい。
普段からその存在をまったく気に留めなくなったせいなのだろう。

私のマンションの下にある公衆電話の生存確認はできている。
ただ、使用している人は見ていない。たしか、数年前までは年輩の男性が利用していて、珍しさを感じた記憶はある。

作家・藤原智美さんのコラムでは、行きつけの美容室で20歳の新人アシスタントが、「公衆電話を知らない」といったのでびっくりした、とある。藤原さんの説明で、駅などで見かける“ヘンな機械”が電話だとわかり、その彼女は納得したらしい。

私も、ある公共施設の受付前の公衆電話で、途方に暮れていた小学生女子に公衆電話のかけ方を訊かれて教えたことがある。携帯電話を忘れて、家に電話をかけたい、とのことだった。

 

1831

 

日本に設置の公衆電話は、2000年に約74万台あったというが、昨春の時点で約17万台。4分の1以上も減少したことになる。設置箇所の大半は大都市だというから、見つけるのがいかにたいへんかがわかる。

2011年の東日本大地震のとき、携帯電話や固定電話を始め、他の通信インフラが途絶した状態の中で、公衆電話は力を発揮した。大災害などで回線が混み合っても優先的につながり、被災地では無料になる場合もあるという。

その時、電話ボックスに長い列ができ、電話がつながりホッとしたという人がとても多い。

昨年、行方不明になっていた埼玉県内の少女が2年ぶりに保護された。少女は公衆電話で自宅に連絡し、助けを求めたという。緊急時にこそ存在感を示す公衆電話のつなぐ命や心に感銘を受ける。それにしても、少女が公衆電話のかけ方を知っていてくれて本当によかった。

 

1832

 

パソコンが使えない若者、というネット記事などもよく見かける。

パソコン操作を習得してから机でインターネットを楽しむスタイルから、簡単操作のスマートフォンを使い、「手のひらの上でインターネットを楽しむ」スタイルに移行しているからだ。

スマートフォンタブレットは常に携帯できるデバイスなので、屋内での操作が主なパソコンより利用頻度が増え、利用時間も格段に長くなる。操作に特別なスキルを必要としない分、インターネットを使い始める年齢層も低くなっている。

Windows CE搭載のモバイル機でネットにつないだ日が懐かしい。PHSを使うも電波状態に左右された。そのときに重宝したのがグレ電と呼ばれる公衆電話であった。
ISDNを利用したデジタル公衆電話のことで、灰色(グレイ)であるところからこの名で呼ばれた。

家でも固定電話を使うことが減り、たまに子機で電話をかけようとしても、番号を先に押してしまいつながらない。それに、携帯の電話帳機能に頼りがちで、手書きの電話帳がどこにあるのかもわからない始末である。

現在の環境に慣れきっている私たちも同じで、子どもたちのことを笑ってはいられない。

 

花見と人工知能の関係は如何に

 

「寒くないの? 半袖で」と妻。
「平気、若いから」と私。
「感じなくなっているのではないの。暑さ寒さを・・・」と再び妻。
つい先程の会話である。

花見の時期も過ぎた。
風雨に見舞われながらも、健気に残った今年の桜。その散り際は実にお見事であった。
もうだめだろうと諦めたが、土俵際で踏ん張ってくれた桜は、この世のものとは思えぬほどの咲きっぷりであった。その翌日の強風で一気に葉桜へと変身したが。

さて、昨春の大きな話題といえば、米グーグル傘下の人工知能「アルファ碁」が囲碁の世界トップ棋士に圧勝したことである。

人工知能(AI)という言葉が使われ始めて60年を超えたが、これほどまでに人工知能という言葉が飛び交ったことがあっただろうか。

 

1829

 

1回の対戦で考えられる局面の数は、囲碁の場合10の360乗になり、宇宙の原子の数より多いのだという。ちなみに、将棋は10の220乗、チェスが10の120乗である。

アルファ碁の勝因として指摘されたのが、「ディープ・ラーニング(深層学習)」だ。
コンピューターが自ら学ぶ仕組みであり、プロ棋士らの対局の約3000万盤面を読み込み、勝ちにつながるパターンを学習した。また、アルファ碁同士で対戦で、技をさらに向上させた。

コンピューターが、勝率の高い手を自分で見つけ出して選べるためにと、深層学習は、人間の脳の神経細胞のネットワークを参考にしたそうだ。

人はイヌやネコを何度か見た経験で、その目や耳、ひげなどに反応する神経細胞のネットワークが出来上がり、イヌやネコを見たらすぐに認識できるシステムを構築する。

脳科学者・茂木健一郎さんが、<お花見こそ史上最強の「脳トレ」の一つ>とコラムに書かれていた。

毎年、日本人が多大なエネルギーを注いで花見を欠かないのも、お花見が脳に良い、ということを感じ取っているのではないのだろうか・・・と。

 

1830

 

花見を成功させるためには、数多くの条件をクリアしなければならない。そのために使われる脳の回路はハンパではないらしい。

まず“桜”の咲く時期をとらえなければならない。桜前線がどのように北上し、開花はいつなのか。肝心の満開はいつのなるのか。そわそわとさせる情報が細かくチェックしながら、幹事は、お花見の開催日を決定するのである。

うまく満開の時に合えばいいが、少しでも時期がずれるとまだつぼみだったり、すっかり散ってしまったりといことになる。春の気候は変わりやすいため、当日の天気も心配だ。

その日時の計画から当日の運用まで、自然まかせという側面があり、環境のちょっとした変化に、常に目を配っていなければならない。

無事に花見当日を迎えられたとする。
誰が場所取りをして、どのようにしてお酒やおつまみを持ち寄るか。

連絡体制や雨が降ってきた時の対応も必要になる。
また、お開きはいつくらいにして、後片付けはどうするのか。
居酒屋さんで飲み会をする場合の何倍も、頭と気を駆使しなければならない。

いっそのこと、花見に関する指示をすべて人工知能にまかせられたら、楽になることだろう。“人工知能VS人間”という「花見幹事」対決ができるものなら、ぜひ実践してほしいのであるが。

 

娯楽性の中にあるべき芸術性

 

数年前テレビで、漫画家のさいとう・たかを さんが、黒澤明監督の話をしていた。
その黒澤論がおもしろかった。

黒澤明監督作品から学んだものは多いと言う。
その続きで、娯楽作品があんなにすばらしいのに、社会性やメッセージを前面に押し出した芸術作品には興味がまったくわかない、とのこと。

『野良犬』、『七人の侍』、『隠し砦の三悪人』、 『用心棒』、『椿三十郎』、『天国と地獄 』、『赤ひげ』・・・。たしかにおもしろい作品ばかりである。

七人の侍』は、本場であるアメリカ西部劇の『荒野の七人』として生まれ変わり、シリーズ化された。『用心棒』も焼き直され、クリント・イーストウッドさん主演の『荒野の用心棒』が世に出た。

この作品がきっかけで、マカロニ・ウェスタンのブームが起こり、クリント・イーストウッドさんに大スターへの道が拓けて、さらに名監督にもなった。

 

1827

 

七人の侍』製作時のエピソードがある。

撮影の段階で、当初の予定の上映時間がどんどん伸び、予算もはるかにオーバーした。
映画会社の東宝から中止を告知された。

撮影済分だけをとりあえず試写することになり、重役陣たちも集まり渋い顔で観始めた。
その試写は、野武士の一団と戦う七人が寄せ集められ、その対決を一致団結して臨む・・・というシーンで終わっていた。

そこまで観せられ、おもしろくなってしまった重役たちは、次が観たくてたまらない状態になっていたそうだ。

そして、完成させることが決定した。

「上映時間を削らないと中止だ」と言い渡された際の黒澤さんのコメントがふるっていた。
<フィルムを切るなら縦に切れ!!>と。

 

1828

 

クラシック音楽古典落語同様に、元は娯楽目的の芸術だったのではないのか。

バロック時代までの音楽家は、王や貴族といったスポンサーあってのモノだったが、18世紀後半になるとコンサートが盛んになり、市民にも音楽が浸透したそうだ。

出版社から楽譜を発売することで、才能のある音楽家は自分自身でお金を稼ぐことができたという。

話し変わるが、私は“X JAPAN”というバンドの大ファンである。
ヴィジュアル系ロックバンドとしてのデビューだったらしいが、そんな風に見たことは一度もない。

スピード感あふれる楽曲もさることながら、あの美しいメロディーラインがたまらないのだ。
いつもクラシック音楽のつもりで聴いてしまう。

聴いていると娯楽感などなくなり、芸術的にさえ思えてしまう。

クラッシック、民謡、ジャズ、演歌・・・。
思えば、どんなジャンルの名曲も、作者の鼻歌から始まったのであろう。

音楽 のみならず、すばらしい作品は身近にたくさん埋もれているのかもしれない。
それは娯楽的であり、また芸術的でもあるようだ。きっと・・・。

 

「遊び心」にこそ説得力がある

 

<“恐れないのが詩人”で“恐れるのが哲人”>なのだと、夏目漱石さんは『虞美人草』で述べている。

先が見えないくらい強い感覚にかき立てられる詩作に比べ、哲人は結果を先に考え取り越し苦労ばかりするのだと。なかなか言い得て妙である。

格言やことわざのパロディーも楽しい。

<妻を憎んで人妻を憎まず>(罪を憎んで人を憎まず)、<敵は本能にあり>(敵は本能寺にあり)などと。

今の時代では、<一寸の無心にも五分の騙し>(一寸の虫にも五分の魂)が合いそうだ。
世の機微をとらえて味わい深いものばかりである。

 

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一昨年、秋元康さんがテレビでおもしろいことを語っておられた。
作詞において秋元さんが心掛けているのは、香具師(やし)の「ヘビは飛ぶよ」という言葉なのだという。

それは、道行く人を一言で足止めして、箱に注目を集める手法とのこと。
それが、楽曲タイトルのインパクトを重視する考えに通じているのだという。

「ヘビは飛ぶよ」と言いながら、箱ごと飛ばして中のヘビが一瞬だけ空中に舞う、というのがそのカラクリだ。

テレビとの関わりが深い秋元さんは、この“香具師の箱”が今のテレビにも求められているのでは? と語った。

昔は超能力もあり円盤も見られた。
そういうものがいつもテレビにはあったのに、いつしか消え失せた。

見せるときの責任を問われるようになり、今は「責任を問われるのなら出さない」という風潮になってきているのだという。

 

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4K、8Kなど、技術がどんなに進歩しても、<何が映っていて、そこに観たいものがあるのか>というコンテンツの力が重要なのだ、と秋元さんは説く。

アナログテレビの頃のように、<録画よりも早く観たくなるような>番組の再来に期待がもたれるのである。

ところが、テレビそのものの本質は変わりつつあるようだ。
視聴者がテレビで見た番組の履歴が、どんどん外へ送信されていくという。

そのデータは、視聴履歴から予想したオススメ番組を表示する程度らしいが、将来は広告にも利用されそうなのだ。また、ビッグデータとしての利用価値も十分であろう。

テレビ視聴履歴は、テレビメーカーにとって「お金のなる木」であり、ネットにつながるスマートテレビが、番組の視聴履歴を集めるのは、業界で常識ともいわれている。

視聴者を商材としてそれなりの番組作りをされるのであれば、アナログ時代からの遊び心が、大きく削がれる要因にもなりかねない。

 

「学ぶ」ための大切な基本動作


将棋の史上最年少棋士藤井聡太四段(14)は、デビュー11連勝で新記録とのこと。
5歳の時、(くもん出版から販売されている)「スタディ将棋」を祖母から贈られたのが、将棋を始めるきっかけになったという。

幼稚園の時に<将棋の名人になりたい>という言葉を残し、小学生になると将来の夢として<名人をこす>と言い放ったからすごい。

その後はネット将棋を指して研鑽を積んでいるそうだが、コンピュータとの関わる度合いがどれくらいなのか、とても興味深い。

昨年、コンピュータの「AlphaGo」が、世界のトップ棋士韓国棋院のイセドル九段を破った。五番勝負でAlphaGoの4勝1敗。AlphaGoは名誉九段を授与したそうだ。

今や、人工知能が人間の“先生”となっている時代なのかもしれない。そして、その基本中の基本を、コンピュータが教えてくれている。

 

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人工知能は何も特別なことをしているわけではないのだ。そもそも人間の脳に備わる学習方法を忠実に実行しているだけなのだから。

AlphaGoの実行していることは、とても簡単なことで、人間の棋士によるお手本を、たくさん学習するのだ。それは<過去の数多いプロ同士の棋譜を読み込み、そこからパターンを学習する>という単純作業のようだ。

自分で多く対局してみて、過ちから学び修正していく。どのような手を打つと勝つ確率が上がるのか何回も試行錯誤し、次第に技を研ぎ澄ませる。

お手本からパターンを学び、「試行錯誤でよりよい方法を見つける」という基本の動作を何度も何度も繰り返しながら、人工知能は強くなっていった

「自動運転」も同じで、ゼロから人工知能が運転することよりも、熟練したドライバーの運転パターンを覚えることで学習していくのである。

 

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ある天才ハッカーが、短期間で自動運転車を開発したらしい。その際の手順は、自分で公道を「お手本」として運転してみせてから、そのパターンを「ディープ・ラーニング(深層学習)」で覚えこませた。

人間が“他人から学ぶ”という行為もまったく同様であるが、その課題の本質は簡単なようでいてむずかしいものがある。

走るコンピュータ化された今の自動車は、ハンドルの動かし方や、アクセルの踏み方などと、さまざまなデータをとることができる。人工知能が自動車運転を達人から学ぶ場合は、詳細なデータをとることができるし、パターン学習にて短時間に達人の技を盗むことが可能なのである。

人間どうしの場合、人の技を習得することはかなりの集中度と観察眼がいるし、観察自体もむずかしい。本来、人間のやるべきことを、人工知能は地道にやってのける。

人間が大いに反省する原点はそこにあるのかもしれない。

<学びにおいての基本動作とは地道にやること>。皮肉なもので、現在の人間はコンピュータ利用にかまけて、その原点に気づかず、どんどんお置き去りにされているモノが、増え続けているような気がしてならない。