日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

原人の登場は最後の2センチ

 

冬の噺(はなし)に、古典落語の名作が多いという。
その代表格としては、『芝浜』や『富久』か。

財布を拾ったり、富くじに当たる。
ほんの偶然から大金を手に入れるなど、ツイている人物が落語には登場する。

立川談春さんによると、「改心して、努力して、必死に懸命に生きた結果、つかんだささやかな幸せ、なんていう話は、ただの一つもない」ようだ。

現実では、なかなか財布も拾わず、宝くじの大当たりとはいかない。
絵空事だと分かっていても、つらい真実よりも優しい嘘が慰めになるのかもしれない。

 

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脚本家・倉本聡さんは「ナスの呪い揚げ」を食べるとか。随筆『愚者の旅』に書かれていた。それは、自作のドラマを批評家から(理にかなわず)酷評されたときの儀式のようだ。

ヘタを取り、刻み目を入れる。そして、批評家の名前を唱えながら、(先のとがった)割り箸でくし刺しにする。油の煮立つ鍋で揚げ、ショウガ醤油で食べる。
その食物は、心によく効くらしい。

誰の心にも相性の悪い相手がいる。やけ酒、このような特異な料理も、感情の清算をつけるために人が作り上げた知恵だろう。

大人になるということは、この“知恵の引き出し”をいくつも用意することなのだろうか。

 

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先週末、時間調整で横浜の港を散歩した。
気温も下がっていたので真冬の格好をしていたら、大汗をかいた。
電車の中も暖房が効きすぎて、上着を脱いだが暑かった。

<暖冬よ ちらちらちらちら蝶(ちょう)とんだ>。
コピーライター・土屋耕一さんによる回文だ。
上から読んでも下から読んでも同じ綴りになる文句である。

温室効果で悪玉のようにいわれる二酸化炭素
しかし、二酸化炭素がもし無ければたいへんなことになるようだ。
地球の平均気温が15度くらいの場合、零下18度ほどになってしまうという。

微妙な自然のバランスの中で、多くの生命と人間の文明も栄えてきた。
バランスが狂いだしたのは産業革命からという。化石燃料の消費が急激に増えた。

先進国はこれまで二酸化炭素を出して繁栄してきた。
途上国はその責任を指摘しつつも、これからの発展を前に歯止めをかけられては困る、と消極的だった。

1億年を1メートルとして、地球の歴史46メートルの中では、原人の登場が最後の2センチ。近代の歴史はミリにも満たないそうだ。

人生、現実は良いことばかりではないし、“知恵の引き出し”を駆使しなければ渡り歩けないこともある。その中で、いくつもの感情や喜怒哀楽を授受している。
それも地球があればこそだ。

文明が引き起こした気候変動は、人間が解決するほかに術はない。
ミリにも満たない存在で、(地球や他の生きものにとっての)疫病神でありたくはない。

 

岡林さん弾き語りは爆笑の渦

 

岡林信康さん。若い頃、カリスマ性を強く感じたアーティストである。

1960年代後半に、多くの学生や若者たちによる“フォークゲリラ”と称された反戦集会が行われた。駅前などで反戦的なフォークソングなどを歌った。そのときの定番曲が岡林さんの『友よ』である。

社会の不合理にめざめ、社会主義運動に身を投じた岡林さん。
それらの運動と、創作される反戦歌が受けて「フォークの神様」とも呼ばれた。

70年代になり、若者たちは「私たち」から「私」、「ぼく」になった。

神様と崇められた岡林さんは、ファンの想いとのギャップから、京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活をしていた。

5年間の農耕生活を経たある日、演歌路線の新アルバム『うつし絵』をひっさげ、1975年に復活コンサートを中野サンプラザで行う。

私にとっては初の生歌が聴けるチャンスで、2日連続で堪能した。

 

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先週、41年ぶりに岡林信康さんの弾き語りコンサートに行ってきた。

ファンも歳をとり場内和気あいあいで、爆笑の渦だった。若い頃よりゆったりと楽しみながら盛り上がった。

相変わらずの、落語トークのMCがおもしろい。
さだまさしさんのMCは有名であるが、岡林さんはさださんより早くからやっていたことになる。

お馴染みの名曲を続々と披露してくれたが、何十年も聴いていなかったはずなのに、自分の中の感覚ですぐに蘇るのがふしぎでならなかった。かつては、自分でも岡林さんの曲をさんざん歌っていたから、擦り込まれているのかもしれない。

ステージ後半で、ピアノセッションの相方がなかなか出てこなかった。
ピアノの方が遅れて出てきて、岡林さんのトークが始まる。

だいぶ話し込んでから岡林さんはハタと気付いた。その前の1曲を飛ばしてたのである。だから、ピアノの方が出てこなかったのであろう。相方をまた楽屋に引っ込ませてから歌った。

その曲『チューリップのアップリケ』を聴き逃すところであった。

『橋~"実録"仁義なき寄り合い』でも終始笑いっぱなしで、場内は大爆笑だった。
曲はよく知っていたが、まさかステージで披露してくれるとは思ってもみなかった。

農耕生活での実話をリズミカルで親しみやすいメロディに乗せたコミック・ソングである。
登場人物はすべて実名だと言っていた。しかし、時の移ろいで生きている人はひとりだけになっているそうだ。

過疎村での寄り合いの議事録を歌詞にしているのだが、実にうまく書けている。
歌詞のすべてをご披露したいところだが、問題になっても困るので私が適当にアレンジして書いてみた。

 

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◎ 『橋~"実録"仁義なき寄り合い』の概要

寄合いの席で 区長さん。
「村のあの橋ゃ もう駄目だ。耕耘機を通すのも怖いほど」。

先日、役場に願うたところ村でもなんぼか銭出せ、と言われた。
「なんとしょう? 銭は惜しいし命も惜しい。何ぞよい思案はないかえ?」

すると、万次郎さんが身を乗り出した。

「皆の衆、聞いておくれ。台風なんぞの災害で橋がポキリと いったときゃ、お上が全額 持つそうな。そこでどうじゃろ、大水が出た時みんなでのこぎりを持ち出し、橋げた切ったらば」。

岩太郎さんが煙草をふかしながら言った。

「それはまずいぞ 。それそれ隣のあの村じゃ。去年の大水の時、区長の号令でみんながのこぎりもち出して橋げたギコギコやったのが、お上にばれて大騒ぎ。やばい橋なぞ 渡れんぞい」。

居眠りしていた長さんがむっくり起きて、「皆の衆どうじゃろ、冬の雪かきにかいた雪をば橋の上へみんなで捨てたらよかろうが」。

大あくびしながら続けた。

「村中の雪をせっせとひと冬集めりゃかなり重いもの。そうすりゃポッキリと落ちて流れて、うまくゆくのではないじゃろか」。

それは良いと、みんなが賛成 しかけたら、綱ちゃんひとりが青い顔で必死に訴えた。

「待っておくれよ皆の衆。俺らの家だけ川向こう。橋をば雪でふさがれりゃ、家の出はいり何とする。おまけに、あの橋が落ちりゃええけど落ちぬ時は、馬鹿をみるのは俺らひとりじゃ」。

そんなわけであれこれと、真面目な意見は出たけれど、思案はなかなかまとまらない。

そして、橋は流れずお話は、下の方へと流れてく。あそこの後家はん、だれそれと。ああでもこうでも何でもない。

そのうちみんなで酒を呑み、歌をうたって サヨウナラ・・・♪♪。

 

言語明瞭なる独り言の時代

 

<行く年や猫うづくまる膝の上>。
師走の作なのであろうか。夏目漱石さんの一句である。

今日は漱石さんが没して100年の命日だという。
また本年は、(『吾輩は猫である』にもその名が登場している)英国のシェークスピアが、没後400年の節目を迎えている。

ご両人による数々の作品は、時間という風雨に古びず、今なお色落ちすることがない。

 

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10年ほど前、小説や漫画の世界で“死神(しにがみ)”のブームがあったという。
伊坂幸太郎さんの小説『死神の精度』などがよく読まれたそうだ。

かつて、気のすすまない縁談を受け入れようとする童謡詩人・金子みすゞさんに、弟がたずねたらしい。

「ほかに好きな人はいないの?」。
みすゞさんは「いる」と寂しそうに言い、
「黒い着物を着て、長い鎌を持った人なの」、と答えたという。

不幸な結婚生活を経て、26歳でみずから命を絶つ人の短い後半生が思い浮かぶ。

生きていることの手応えや“生”の実感が希薄な時代ゆえ、死の恐怖が造形化された死神に心ひかれたのであろうか。

 

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独り言なるもの、たいていはボソボソ聞き取りにくいものだが、言語明瞭の場合には“悲喜劇”も生まれる。作曲家・曽根幸明さんの随筆にあった。

勝新太郎さんの事務所に勤めていた方の失敗談である。
徹夜でマージャンをしている勝さんがその方に言った。
「おい、ラーメンを頼んでくれ」。

そして、事務所の人の独り言が全員の耳に届いた。
「こんな早朝に何を言ってやがんでぇ。スープにゴム管でも刻んで食いやがれ」。

お茶目な勝さんはその独り言を聞き流し、翌日にゴム管入りのスープを持参したそうな。
「さあ、食ってみろ」と。

現代人は、聞き取られては困る独り言を言語明瞭に、大音量で発信してしまう時代を生きているのではないだろうか。ネットやSNSでの独り言が大声で拡散して、取り返しのつかない状態に陥ることも多いだろう。

そのせいか、私にはSNSへ近寄り難い思いが強い。いらない独り言をかんたんに口走ってしまいそうだから。

独り言はボイスレコーダーに囁く程度が、ちょうどいいのかもしれない。

 

大晦日の夕方に人類が現れる

 

“驚くこと”を表現する慣用句がある。
たとえば、“やぶから棒”、“寝耳に水”、“ひょうたんから駒”。

“やぶから棒”と“寝耳に水”が使われる場面では、対応にあたふたする姿が浮かぶ。
“ひょうたんから駒”は、普通で起こりえないような意外性が加味される。

“青天の霹靂”もある。
組織などの人事で何人も飛び越え抜擢されたり、噂や批評もないうちに受賞したりするケースに使われる。私にとって、ボブ・ディランさんのノーベル文学賞が、まさしくこれであった。

“青天の霹靂”の語源がおもしろい。
中国南宋陸游の詩が出典なのだという。

病んで床に就いたまま秋を過ごした詩人が、突然起きて書き出す様子から生まれた。
それは、土中に潜んでいた竜が雷鳴を轟かして現れるのに喩えられ、その詩人“筆の勢い”が“青天の霹靂”に結びついた。

 

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木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見したニュートン
その瞬間は、“青天の霹靂”の気持ちになったのだろうか。

リンゴの話の真意は別にして、ニュートンの功績にはまちがいないだろう。
<壮大な天体の運行も、リンゴが地面に落ちるのも、同じ法則に支配されていると発見した>。別の世界と思われていた地上と天界は、これでつながったという。

<引力の やさしき日なり 黒土に 輪をひろげゆく 銀杏の落ち葉>。
昭和期の日本の歌人・大西民子さんが、日常の風景をあらわした短歌である。
見慣れた景色と宇宙が融合するような、のどかでふしぎな世界だ。

地球の誕生から46億年。その時間を1年に凝縮してみれば、1月1日午前0時に生まれた地球に人類が姿を現すのは、12月31日の晩だという。この師走もアッという間に大晦日を迎えることだろう。今の時期から、あと少しで人類誕生の瞬間だ。

 

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今年も“新たな生命”が多く誕生している。
「今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング」(明治安田生命保険より)というのがある。

男児の1位は“大翔くん”と書いて、“ひろと”、“はると”“やまと”などと読むそうだ。
女児は“葵さん”がトップで、“あおい”、“ひまり”、“あお”と読む。

新生児に限らず、今の幼児の名前は難しい漢字や読み方がわからず、思わず訊き返すことがよくある。

昭和のおじさんから見て、名前ランキングで気になるものもあった。
女児の名前で、「子」のつく名は100位までに、莉子さん、桃子さんしか見つからなかった。(私の孫娘にも「子」はついていないのであるが)。

かつて、ガリ版刷りのクラス名簿には、「子」がずらりと並んでいたものだ。
「子」のつく女の子がこれほどまでに、希少化することは想像もできなかった。
まさに、“青天の霹靂”の思いである。

しかし、どの名前も親心がこもったすてきな贈り物であり、どの子も気に入ってくれたらうれしい。

名前は人生そのもので、<人は名前を生きる>といってもいいように思う。
人類の歴史を絶やさぬためにも・・・。

 

鬼太郎とねずみ男を従えつつ

 

昨年、亡くなられた水木しげるさん。そのお墓に鬼太郎ねずみ男の石像があるとか。

悪事を働くもうまくいかず、時には反省ものぞかせるねずみ男を水木さんは好んだ。
私も、ねずみ男と目玉の親父の大ファンである。

「俺は人気者だ」。ねずみ男鬼太郎に告げる。
「これから“ビビビのねずみ男”として売り出すからな」、と。

“ビビビ”とはビンタの音だと、水木さんは語っていた。
やたらにビンタを張るねずみ男のキャラには、いまいましい古兵の記憶がイメージされている。

軍隊時代、上官のご機嫌取りを一切しない水木さんは、誰よりもたくさん殴られた。

同様な話は岡本太郎さんにもあった。
ご本人も語られていたが、私の父親の知り合いに、太郎さんの上官だった人がいた。
太郎さんはどれだけ殴られても、何度も何度も起き上がる。その姿を見て上官は怖くなったという。

水木しげるさんと岡本太郎さんには、共通の気概があるようだ。

 

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21歳で応召した水木さんは、南方の激戦地ニューブリテン島へ。
理由なく殴られ、敵襲から生きのびて戻れば、「なぜ死ななかったのか」と上官に責められた。

マラリアの高熱に苦しみ、飢えと渇き、爆撃で左腕を失った。
部隊は全滅し、多くの戦友を失った。

昨今のニュースでも、いじめやパワハラは後を絶たない。

江戸の俗曲に<旅は心、世は情け、捨て子は村の育(はぐく)みよ>とある。
捨て子があれば村の皆で育てるのだ、と。

水木さんいわく、「私の描く漫画にメッセージがあるとすれば<少年よ、頑張るなかれ>ですかね」。

水木語録をプリントしたTシャツにも<人のうしろをあるきなさい>との言葉が。

 

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日本人には外国語を4字に縮めて使う得意技があるそうだ。
パソコンやリモコンなど、実に多彩だ。

「ハラ」のつく(言葉の)原点のような“セクハラ”という言葉。
最近かと思いきや、意外と古いようだ。1989年(平成元年)から使われているという。

セクハラという言葉が長く使われるだろう、と予言したのは作家・井上ひさしさんである。セクとハラの2拍が重なる語は、安定した構造を持っているから、との持論であった。

以来、「ハラ」のつく他の言葉がいくつも登場した。
上司からのパワハラ。酒をめぐるアルハラ

生まれては消える。泡沫のような新語・流行語だが、根付いて生きのびていくものは、社会と切り結び響き合う(それぞれの)理由がありそうだ。

水木さんの残した仕事の量と質をみれば、ご自身が勤勉だったことは一目瞭然。
ところが、水木さんの言葉には、ホッとできるものが多い。

「なまけ者になりなさい」、「けんかはよせ 腹がへるぞ」などと。
そういえば、吉田拓郎さんの楽曲にも、『ガンバラナイけどいいでしょう』というのがある。

効率や成果ばかりへと神経をとがらせる日常に、自由な空気を吹き込み、人のこころの奥底に訴えて争いをいさめる。異界を知る先達の言葉は、現代への警句でもありそうだ。

 

元気の獲得は生活との調和?

 

「24時間戦えますか!?」
懐かしいフレーズである。バブル全盛時、この合言葉で栄養ドリンクのCMが流行った。

仕事が入れ食い状態で人手不足になる。欠員でも出たらもうたいへん。毎週、募集広告を出しても効果なし。売り手市場のため、若者たちは条件のいいところへ集中。
ひどいときは、2人分や3人分の仕事があたりまえ。休日出勤をしても代休はなし。

好景気を背景にしたサラリーマンのかけ声だったにしても、今の時代には受け入れ難いフレーズなのかもしれない。あの時代より、給料の基準はだいぶ落ちていても、仕事以外に大切なものが増えたからだろう。

“24時間戦えますか”の商品は「リゲイン」であったと思う。
Re(再生)+gain(獲得)。

バブル時代、おそろかになった“生活との調和”を再生してこそ、元気が獲得できる。
そんな解釈も悪くはないだろう。

 

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身近な言葉の意味を紐解いてみるのもおもしろい。

知ったかぶりの隠居がお茶を飲んでいるところへ八五郎がやってくる。
落語の『薬缶(やかん)』である。

「知らないものはない」と広言する隠居が気に入らぬ八五郎は、言い負かそうと立て続けに問いかける。

魚の名にも話が及ぶ。
「じゃあ、『平目』は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「ホウボウは落ち着きなくほうぼう泳ぎ回るから」。

口から出まかせである。

マグロはと問われれば、「真っ黒だから」と説く。
「だって、まぐろの切り身は赤(あけ)えじゃあありませんか」と、納得しない八五郎。
「だからおまえは愚者(ぐしゃ)だ……切り身で泳ぐ魚がどこにいるか」。

昨年、遺伝子組み換え技術で、通常の2倍ほど速く成長するサケが米国で開発。
食品として販売していいとの、米当局のお墨付きも出たという。

いつかは、そのピンク色の身が店頭に並ぶ。
遺伝子を組み換えた魚と表示する義務もない。

穀物遺伝子組み換えは普及し、牛の成長をホルモン剤で速めている国もあるらしい。

 

1736

 

SAKEが世界で新展開だという。
それも、欧州の王室が催す晩餐会から街のレストランまで・・と。
世界中、日本酒(SAKE)が様々な場面で飲まれるようになっている。

日本酒の海外輸出(数量)は、2003年の8270キロ・リットルから、13年の1万6202キロ・リットルへと10年で倍増。輸出額では、同じ期間に39億円から105億円と3倍近く増えているのだ。

国内の人口減少が見込まれる中、日本酒業界の活路は、高級品の需要も期待できる海外市場にあるそうだ。日本各地の蔵元による、あの手この手の情報発信がその原動力になっている。

まだ観る機会はないが、日本酒を題材にした映画も生まれ、東京とハワイの映画祭で上映されたようだ。SAKEの海外市場への展開も新たな段階に入り始めた。

この数日、気温がだいぶ落ちてきた。サケの話をしていたら今夜あたり久しぶりに熱燗で一本いきたくなってきた。とくれば、鍋料理がよさそうだ。

 

 

矛盾含みの今秋も過ぎ去った

 

いつのまにか、四季のうちで“秋の長さ"を気にするようになっている。
たしか5、6年前に長い秋の年があり、その体感から(長い秋を堪能できると)得した気分になれることを知った。

秋の期間の断定は、「最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になった間」が基準らしい。テレビのお天気情報で言っていた。ちなみに私の住む地域では、たったの23日間で(この数年でも)“最短の秋"だったらしい。

その短い秋の間、テレビではさかんに「小春日和」という言葉が使われていた。
その度に違和感をおぼえたが、調べてみると判明した。

小春日和という言葉。俳句では冬の季語になるという。
言葉の使い方に制限はないだろうが、(自分の中に擦り込まれていた)過去の知識からの“ちぐはぐさ"だったのだと思う。

 

1733

 

2016年10月26日、甲府地方気象台は富士山の初冠雪を観測したと発表。
昨年より15日、平年よりは26日遅いという。観測開始以来、1956年と並び最も遅い記録となった。

11月9日、気象庁は(冬の訪れを告げる)「木枯らし1号」が、東京都心で吹いたと発表。昨年よりも16日遅いという。

11月24日、気象庁は、関東各地で初雪を観測。
東京都心では、気象観測を始めた1875年以来初めて、11月に積雪が確認された。
都心のほか横浜と甲府両市では、(1962年以来)54年ぶりの11月の降雪らしい。

 

1734

 

余白ならぬ「要白(ようはく)」という言葉があるとのこと。
以前に読んだコラムで知った。

要白とは意味のある空間のことで、絵画やデザイン、写真の世界ではよく用いられるらしい。それは、“空間"だけでなく、「時間」においても必要なものかもしれない。

短いときの秋は、四季の中でも影が薄く感じそうだが、その時間も決して余白ではなく要白なのだと感ずる。

米大統領選もこの秋の珍事であった。
ヒラリー・クリントン氏がドナルド・トランプ氏の得票数を、上回ったにもかかわらず落選。ヒラリー氏の得票数は、トランプ氏より200万票以上も多かったというのだ。

私には馴染みのない選挙方式のためか、頭でわかっても矛盾を感じてしかたがない。
いずれにしても、トランプ氏の勝利も要白ということなのだろうか。余白にならぬことを切に願いたい。

さて、あわただしい師走も目前に迫っている。
(普段より短く感じる)“年末という時間"を大切に過ごせるよう、心の片隅に要白を忘れずにギアチェンジしていきたい。

 

事実とは落語よりも奇怪なり

 

この秋スタートのテレビ番組はなかなかおもしろい。

その中で異彩を放つのが『超入門!落語 THE MOVIE』(NHK)である。
プロ落語家の口演に合わせ、俳優が当てぶりと口パクで物語の世界観を映像化するものだ。

その発端は、BSプレミアムで昨年10月に放送された『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』の落語特集のコーナーだという。落語家が口演した『茶の湯』を俳優が当てぶりで演じたところ、出演者たちが絶賛した。そして、今秋から25分番組としてレギュラー化になった。

寄席などで落語を収録し、その音源をロケ現場で実際に流しながら、映像を撮る。

番組プロデューサーいわく、「人形芝居の人形のようなもので、自分の間までは演じられない。ベテラン俳優ほど苦しんでいますね」と。

初回放送で花魁を演じた前田敦子さんなどは、口パクがピタリと嵌まり、まるで操り人形みたいで、観ていて笑い転げた。

 

1731

 

落語の登場人物といえば、善良でお人好しの庶民か。にくめないダメ人間もいれば、人の頼みを断りきれない者もいる。あとさきを考えず、すぐ行動するそそっかしい人間も。
打算が介入した悪知恵を働かせる者もいるが、だいたいがまぬけだったりする。

一年半前、落語かと思われる事件が起きた。
悪事を茶化す気持ちはないが、あまりにも落語的で忘れられない。

ことの発端は、無職男(65)が兵庫県尼崎市の交番に訪れたことだ。
その男は(パッケージ入りの包丁を見せて)「包丁を万引きした」と、交番勤務の男性警部補(48)へ告げた。

そこには、部下の男性巡査部長(34)と女性巡査(25)もいた。

男性警部補は(部下に)県警本部へ身元照会させ、男が指名手配されていないことなどを確認。そして、無職男を説得した。「なにごともなかったことにしよう」、と。

警部補は、自首の事件を扱ったことがなく、処理が面倒との気持ちだった。
納得できないのは、「万引きした」と説明したのに、無罪放免にされる無職男である。。

 

1732

 

結局、警部補に命じられたふたりの部下が男を車に乗せ、窃盗現場のホームセンター(尼崎市)に立ち寄り、巡査部長が「拾った」ことにして包丁を返した。
そしてご丁寧に、男の住まいがある大阪市内まで送り、男を降ろしたという。
諦めきれない男は、車の中で自分が万引きしたことを訴えていたそうだ。

その男は翌日、同市内から和歌山市までタクシーに無賃乗車して、和歌山県警に詐欺容疑で現行犯逮捕された。そこで、事のあらましが明らかになった。

調べで「自首したのに追い返された」との男の説明で、3人は容疑を認めたという。
その際、警部補は「面倒だった上、男の目的が留置場の食事のようだったので、事件として処理したくなかった」などと供述。部下2人は「上司には逆らえなかった」と話した。

兵庫県警幹部は「職務怠慢でしかない恥ずかしい事案だ。誰もやめようと声を上げなかったのも情けない」と話した。

窃盗事件の容疑者を逃がした疑いと警察車両で大阪市まで送り返したとして、県警は、警部補を停職6か月の懲戒処分とした。警部補とともに書類送検された部下2人は、巡査部長についても戒告の懲戒処分が下された。

にくみきれない登場人物ばかりではあるが、落語のように粋なオチにならぬのが「現実」のようである。

 

幸せホルモンは心の持ちよう

 

<亭主元気で留守がいい>。
このフレーズがテレビのCMで世間に広まったのが1986年(昭和61年)のことである。“格差社会”や“自分で自分をほめたい”などと並び、当時の流行語になっていた。

今よりはるかに景気のいい時代にマッチした、新鮮なフレーズだったと記憶しているが、この言葉はすでに、その24年前に使われていたようだ。

<「亭主は達者で留守がよい」という生活を心から楽しんでいるような、呑気そうな細君だった>。河盛好蔵さんの著書『夫婦十二カ月』にある文章だ。

昔からあった言い回しなのかもしれない。
しかし、河盛さんが書かれた頃は、主婦方に“亭主の留守”を楽しむ生活の余裕はなく、現代でも、共働きの世帯が増えてあまり馴染みのないフレーズともいえる。

世のありさまや風潮の隙間であった、あの(CMが流行った)時代ならではの流行語だろう。
はやり言葉は、その時代の空気が言葉と響き合い生まれる。
今思えば、とても幸せな「時の一コマ」であった。

 

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日本人にとって蕎麦は寿司と並び、“江戸の粋”という文化コードが根本にある食べ物らしい。

蕎麦については、「長居するのは野暮」や「汁をちょこっと付け、音を立ててすすり込むのが粋」といった作法もあるとか。

江戸の一般庶民は、「寿司や蕎麦などは短時間で食べられる」という当時のファストフードに通い、客同士による“粋の競争”から、独特のマナーが生まれたとのこと。

江戸の若者たちが、あのすする音は「俺の方が粋」、と競い合う姿を想像すると、楽しくなってくる。

しかし、「ズズッと音を出してすすってこそ粋で美味しい」マナーは、外国の食文化と大きな隔たりがあるとよくいわれる。

中国文化圏では、レンゲを使い、音をあまり立てないように食べる。
欧米もスープはもちろん、パスタなどの麺類をフォークで巻き取り、口に入れるので音は出ないのだ。

我が国の作法は日本以外で御法度とはいえ、日本で食べるには問題がない。粋に感じて「ズズッ」と音を立てて食べればいい。それだけで、幸せな気分を味わえることがある。

 

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日本で飼われる犬と猫の数は計2000万匹を超え、15歳未満の子供(1623万人)を上回る。

欧米の調査では、犬や猫などペットを飼う人の病院に通う回数が、飼っていない人に比べて約2割少ないそうだ。

ペットと触れ合うことで、脳から“オキシトシン”の分泌が増え、心を落ち着かせるそうだ。
それは「幸せホルモン」と呼ばれ、豪州で年3000億円、ドイツでは7500億円もの医療費を削減する経済効果があったとのこと。

幸せホルモンの分泌は、ペットに限らず恋人や親子が手をつないでも増えるという。
それでも、ペットに効用を期待してしまうのは、人と人の触れ合いが減少しているせいなのだろうか。

私の場合、ペットや人との触れ合いが少なくとも、数杯で幸せホルモンを感じられるふしぎな飲料があるが、本日も少々二日酔い気味なのが情けない。(ふむ)

 

テレビ離れなのに良い視聴率

 

1946年、ラジオ番組『のど自慢素人音楽会』としてスタートした『NHKのど自慢』。
すでに70年超えの長寿番組である。審査結果を鐘で知らせることが売り物だが、最初からそうではなかったらしい。

“のど自慢”の審査は、開催地のNHK・放送部長や、東京の芸能番組のプロデューサー・ディレクターが、会館の別室に審査室を設け、テレビ画面を通して審査するとのこと。

歌のうまさが大きな基準になる。また、朗らかに笑顔で歌っていると合格しやすいともいわれる。

出場者が歌っている最中に審査が行われる。その結果は鐘を鳴らす担当の方に伝わり、鐘を鳴らしてもらうというしくみだ。

番組開始当時にはディレクターが、歌をやめてほしい時に「結構です」と伝えていたという。
しかし、歌の途中で「結構です」と言われる出場者たちは、「良いです。上手です」などと勘違いしてしまうケースが多く、誤解を生まないために鐘を鳴らし始めたそうだ。

 

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この数年、テレビ視聴に関する話題も(良いのか悪いのかわからぬ)「結構です」調のお話が多すぎる。以前、私は「視聴率の曖昧さ」を記事にしたことがある。その後も、インターネット視聴番組の影響等、不透明な部分が増しているような気がしてならない。

“テレビ離れ”、“深刻な危機感”などの言葉を連ねて、スマホ向け番組無料配信を紹介するネット記事があった。

<若い世代のテレビ離れに歯止めがかからない中、テレビ各局がスマートフォン向けに番組を無料配信する新規事業に本腰を入れ始めている>のだと。

そして、テレビ朝日とインターネット企業が共同で始めた「Abema(アベマ)TV」の記述では、テレ朝報道局と連動したニュースやバラエティー、ドラマ、アニメなど二十数チャンネルをストリーミング形式で無料配信、とある。

今月2日に、スマホタブレット端末向けの番組視聴アプリが1000万ダウンロードを達成。1週間の視聴者数も約300万人まで増えているのだという。

話だけ訊いて(読んで)いると、若者すべてがテレビを観なくなるような勢いだ。

 

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かたや、同日の記事ではドラマ録画率はやはり高い、という内容のものがあった。
ビデオリサーチ社が行っている関東地区の視聴率調査の方法が、10月3日から変わったというのだ。

それまでは、リアルタイムの視聴率が600世帯。録画が対象のタイムシフトの視聴率は300世帯で測定してきた。その合計900世帯で二つの調査を実施し、重複分を抜いた「総合視聴率」を出す方式にしたとのこと。

録画率の高いといわれるドラマ。この秋の初回分の「総合視聴率」がいくつか紹介されていた。

『地味にスゴイ!校閲・・・』(日テレ) 通常12.9%、録画9.7%、総合21.1%。
『ドクターX・・・』(朝日) 通常20.4%、録画9.5%、総合28.3%。
『逃げるは恥だが・・・』(TBS) 通常10.2%、録画10.6%、総合19.5%。

ドラマでは、ほとんどの番組の総合視聴率が2ケタ台を記録し、録画して見る人の多いことが改めて裏付けられた。

「テレビ離れを強調し、スマホ向け番組無料配信を紹介する記事」と「総合視聴率2ケタ台のテレビドラマが堂々と並ぶ記事」で、どちらの情報が正しいのだろう。

“のど自慢”の“鐘の数”のように、白黒ハッキリつけてもらいたい気分である。