日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

言語明瞭なる独り言の時代

 

<行く年や猫うづくまる膝の上>。
師走の作なのであろうか。夏目漱石さんの一句である。

今日は漱石さんが没して100年の命日だという。
また本年は、(『吾輩は猫である』にもその名が登場している)英国のシェークスピアが、没後400年の節目を迎えている。

ご両人による数々の作品は、時間という風雨に古びず、今なお色落ちすることがない。

 

1741

 

10年ほど前、小説や漫画の世界で“死神(しにがみ)”のブームがあったという。
伊坂幸太郎さんの小説『死神の精度』などがよく読まれたそうだ。

かつて、気のすすまない縁談を受け入れようとする童謡詩人・金子みすゞさんに、弟がたずねたらしい。

「ほかに好きな人はいないの?」。
みすゞさんは「いる」と寂しそうに言い、
「黒い着物を着て、長い鎌を持った人なの」、と答えたという。

不幸な結婚生活を経て、26歳でみずから命を絶つ人の短い後半生が思い浮かぶ。

生きていることの手応えや“生”の実感が希薄な時代ゆえ、死の恐怖が造形化された死神に心ひかれたのであろうか。

 

1742

 

独り言なるもの、たいていはボソボソ聞き取りにくいものだが、言語明瞭の場合には“悲喜劇”も生まれる。作曲家・曽根幸明さんの随筆にあった。

勝新太郎さんの事務所に勤めていた方の失敗談である。
徹夜でマージャンをしている勝さんがその方に言った。
「おい、ラーメンを頼んでくれ」。

そして、事務所の人の独り言が全員の耳に届いた。
「こんな早朝に何を言ってやがんでぇ。スープにゴム管でも刻んで食いやがれ」。

お茶目な勝さんはその独り言を聞き流し、翌日にゴム管入りのスープを持参したそうな。
「さあ、食ってみろ」と。

現代人は、聞き取られては困る独り言を言語明瞭に、大音量で発信してしまう時代を生きているのではないだろうか。ネットやSNSでの独り言が大声で拡散して、取り返しのつかない状態に陥ることも多いだろう。

そのせいか、私にはSNSへ近寄り難い思いが強い。いらない独り言をかんたんに口走ってしまいそうだから。

独り言はボイスレコーダーに囁く程度が、ちょうどいいのかもしれない。

 

大晦日の夕方に人類が現れる

 

“驚くこと”を表現する慣用句がある。
たとえば、“やぶから棒”、“寝耳に水”、“ひょうたんから駒”。

“やぶから棒”と“寝耳に水”が使われる場面では、対応にあたふたする姿が浮かぶ。
“ひょうたんから駒”は、普通で起こりえないような意外性が加味される。

“青天の霹靂”もある。
組織などの人事で何人も飛び越え抜擢されたり、噂や批評もないうちに受賞したりするケースに使われる。私にとって、ボブ・ディランさんのノーベル文学賞が、まさしくこれであった。

“青天の霹靂”の語源がおもしろい。
中国南宋陸游の詩が出典なのだという。

病んで床に就いたまま秋を過ごした詩人が、突然起きて書き出す様子から生まれた。
それは、土中に潜んでいた竜が雷鳴を轟かして現れるのに喩えられ、その詩人“筆の勢い”が“青天の霹靂”に結びついた。

 

1739

 

木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見したニュートン
その瞬間は、“青天の霹靂”の気持ちになったのだろうか。

リンゴの話の真意は別にして、ニュートンの功績にはまちがいないだろう。
<壮大な天体の運行も、リンゴが地面に落ちるのも、同じ法則に支配されていると発見した>。別の世界と思われていた地上と天界は、これでつながったという。

<引力の やさしき日なり 黒土に 輪をひろげゆく 銀杏の落ち葉>。
昭和期の日本の歌人・大西民子さんが、日常の風景をあらわした短歌である。
見慣れた景色と宇宙が融合するような、のどかでふしぎな世界だ。

地球の誕生から46億年。その時間を1年に凝縮してみれば、1月1日午前0時に生まれた地球に人類が姿を現すのは、12月31日の晩だという。この師走もアッという間に大晦日を迎えることだろう。今の時期から、あと少しで人類誕生の瞬間だ。

 

1740

 

今年も“新たな生命”が多く誕生している。
「今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング」(明治安田生命保険より)というのがある。

男児の1位は“大翔くん”と書いて、“ひろと”、“はると”“やまと”などと読むそうだ。
女児は“葵さん”がトップで、“あおい”、“ひまり”、“あお”と読む。

新生児に限らず、今の幼児の名前は難しい漢字や読み方がわからず、思わず訊き返すことがよくある。

昭和のおじさんから見て、名前ランキングで気になるものもあった。
女児の名前で、「子」のつく名は100位までに、莉子さん、桃子さんしか見つからなかった。(私の孫娘にも「子」はついていないのであるが)。

かつて、ガリ版刷りのクラス名簿には、「子」がずらりと並んでいたものだ。
「子」のつく女の子がこれほどまでに、希少化することは想像もできなかった。
まさに、“青天の霹靂”の思いである。

しかし、どの名前も親心がこもったすてきな贈り物であり、どの子も気に入ってくれたらうれしい。

名前は人生そのもので、<人は名前を生きる>といってもいいように思う。
人類の歴史を絶やさぬためにも・・・。

 

鬼太郎とねずみ男を従えつつ

 

昨年、亡くなられた水木しげるさん。そのお墓に鬼太郎ねずみ男の石像があるとか。

悪事を働くもうまくいかず、時には反省ものぞかせるねずみ男を水木さんは好んだ。
私も、ねずみ男と目玉の親父の大ファンである。

「俺は人気者だ」。ねずみ男鬼太郎に告げる。
「これから“ビビビのねずみ男”として売り出すからな」、と。

“ビビビ”とはビンタの音だと、水木さんは語っていた。
やたらにビンタを張るねずみ男のキャラには、いまいましい古兵の記憶がイメージされている。

軍隊時代、上官のご機嫌取りを一切しない水木さんは、誰よりもたくさん殴られた。

同様な話は岡本太郎さんにもあった。
ご本人も語られていたが、私の父親の知り合いに、太郎さんの上官だった人がいた。
太郎さんはどれだけ殴られても、何度も何度も起き上がる。その姿を見て上官は怖くなったという。

水木しげるさんと岡本太郎さんには、共通の気概があるようだ。

 

1737

 

21歳で応召した水木さんは、南方の激戦地ニューブリテン島へ。
理由なく殴られ、敵襲から生きのびて戻れば、「なぜ死ななかったのか」と上官に責められた。

マラリアの高熱に苦しみ、飢えと渇き、爆撃で左腕を失った。
部隊は全滅し、多くの戦友を失った。

昨今のニュースでも、いじめやパワハラは後を絶たない。

江戸の俗曲に<旅は心、世は情け、捨て子は村の育(はぐく)みよ>とある。
捨て子があれば村の皆で育てるのだ、と。

水木さんいわく、「私の描く漫画にメッセージがあるとすれば<少年よ、頑張るなかれ>ですかね」。

水木語録をプリントしたTシャツにも<人のうしろをあるきなさい>との言葉が。

 

1738

 

日本人には外国語を4字に縮めて使う得意技があるそうだ。
パソコンやリモコンなど、実に多彩だ。

「ハラ」のつく(言葉の)原点のような“セクハラ”という言葉。
最近かと思いきや、意外と古いようだ。1989年(平成元年)から使われているという。

セクハラという言葉が長く使われるだろう、と予言したのは作家・井上ひさしさんである。セクとハラの2拍が重なる語は、安定した構造を持っているから、との持論であった。

以来、「ハラ」のつく他の言葉がいくつも登場した。
上司からのパワハラ。酒をめぐるアルハラ

生まれては消える。泡沫のような新語・流行語だが、根付いて生きのびていくものは、社会と切り結び響き合う(それぞれの)理由がありそうだ。

水木さんの残した仕事の量と質をみれば、ご自身が勤勉だったことは一目瞭然。
ところが、水木さんの言葉には、ホッとできるものが多い。

「なまけ者になりなさい」、「けんかはよせ 腹がへるぞ」などと。
そういえば、吉田拓郎さんの楽曲にも、『ガンバラナイけどいいでしょう』というのがある。

効率や成果ばかりへと神経をとがらせる日常に、自由な空気を吹き込み、人のこころの奥底に訴えて争いをいさめる。異界を知る先達の言葉は、現代への警句でもありそうだ。

 

元気の獲得は生活との調和?

 

「24時間戦えますか!?」
懐かしいフレーズである。バブル全盛時、この合言葉で栄養ドリンクのCMが流行った。

仕事が入れ食い状態で人手不足になる。欠員でも出たらもうたいへん。毎週、募集広告を出しても効果なし。売り手市場のため、若者たちは条件のいいところへ集中。
ひどいときは、2人分や3人分の仕事があたりまえ。休日出勤をしても代休はなし。

好景気を背景にしたサラリーマンのかけ声だったにしても、今の時代には受け入れ難いフレーズなのかもしれない。あの時代より、給料の基準はだいぶ落ちていても、仕事以外に大切なものが増えたからだろう。

“24時間戦えますか”の商品は「リゲイン」であったと思う。
Re(再生)+gain(獲得)。

バブル時代、おそろかになった“生活との調和”を再生してこそ、元気が獲得できる。
そんな解釈も悪くはないだろう。

 

1735


身近な言葉の意味を紐解いてみるのもおもしろい。

知ったかぶりの隠居がお茶を飲んでいるところへ八五郎がやってくる。
落語の『薬缶(やかん)』である。

「知らないものはない」と広言する隠居が気に入らぬ八五郎は、言い負かそうと立て続けに問いかける。

魚の名にも話が及ぶ。
「じゃあ、『平目』は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「ホウボウは落ち着きなくほうぼう泳ぎ回るから」。

口から出まかせである。

マグロはと問われれば、「真っ黒だから」と説く。
「だって、まぐろの切り身は赤(あけ)えじゃあありませんか」と、納得しない八五郎。
「だからおまえは愚者(ぐしゃ)だ……切り身で泳ぐ魚がどこにいるか」。

昨年、遺伝子組み換え技術で、通常の2倍ほど速く成長するサケが米国で開発。
食品として販売していいとの、米当局のお墨付きも出たという。

いつかは、そのピンク色の身が店頭に並ぶ。
遺伝子を組み換えた魚と表示する義務もない。

穀物遺伝子組み換えは普及し、牛の成長をホルモン剤で速めている国もあるらしい。

 

1736

 

SAKEが世界で新展開だという。
それも、欧州の王室が催す晩餐会から街のレストランまで・・と。
世界中、日本酒(SAKE)が様々な場面で飲まれるようになっている。

日本酒の海外輸出(数量)は、2003年の8270キロ・リットルから、13年の1万6202キロ・リットルへと10年で倍増。輸出額では、同じ期間に39億円から105億円と3倍近く増えているのだ。

国内の人口減少が見込まれる中、日本酒業界の活路は、高級品の需要も期待できる海外市場にあるそうだ。日本各地の蔵元による、あの手この手の情報発信がその原動力になっている。

まだ観る機会はないが、日本酒を題材にした映画も生まれ、東京とハワイの映画祭で上映されたようだ。SAKEの海外市場への展開も新たな段階に入り始めた。

この数日、気温がだいぶ落ちてきた。サケの話をしていたら今夜あたり久しぶりに熱燗で一本いきたくなってきた。とくれば、鍋料理がよさそうだ。

 

 

矛盾含みの今秋も過ぎ去った

 

いつのまにか、四季のうちで“秋の長さ"を気にするようになっている。
たしか5、6年前に長い秋の年があり、その体感から(長い秋を堪能できると)得した気分になれることを知った。

秋の期間の断定は、「最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になった間」が基準らしい。テレビのお天気情報で言っていた。ちなみに私の住む地域では、たったの23日間で(この数年でも)“最短の秋"だったらしい。

その短い秋の間、テレビではさかんに「小春日和」という言葉が使われていた。
その度に違和感をおぼえたが、調べてみると判明した。

小春日和という言葉。俳句では冬の季語になるという。
言葉の使い方に制限はないだろうが、(自分の中に擦り込まれていた)過去の知識からの“ちぐはぐさ"だったのだと思う。

 

1733

 

2016年10月26日、甲府地方気象台は富士山の初冠雪を観測したと発表。
昨年より15日、平年よりは26日遅いという。観測開始以来、1956年と並び最も遅い記録となった。

11月9日、気象庁は(冬の訪れを告げる)「木枯らし1号」が、東京都心で吹いたと発表。昨年よりも16日遅いという。

11月24日、気象庁は、関東各地で初雪を観測。
東京都心では、気象観測を始めた1875年以来初めて、11月に積雪が確認された。
都心のほか横浜と甲府両市では、(1962年以来)54年ぶりの11月の降雪らしい。

 

1734

 

余白ならぬ「要白(ようはく)」という言葉があるとのこと。
以前に読んだコラムで知った。

要白とは意味のある空間のことで、絵画やデザイン、写真の世界ではよく用いられるらしい。それは、“空間"だけでなく、「時間」においても必要なものかもしれない。

短いときの秋は、四季の中でも影が薄く感じそうだが、その時間も決して余白ではなく要白なのだと感ずる。

米大統領選もこの秋の珍事であった。
ヒラリー・クリントン氏がドナルド・トランプ氏の得票数を、上回ったにもかかわらず落選。ヒラリー氏の得票数は、トランプ氏より200万票以上も多かったというのだ。

私には馴染みのない選挙方式のためか、頭でわかっても矛盾を感じてしかたがない。
いずれにしても、トランプ氏の勝利も要白ということなのだろうか。余白にならぬことを切に願いたい。

さて、あわただしい師走も目前に迫っている。
(普段より短く感じる)“年末という時間"を大切に過ごせるよう、心の片隅に要白を忘れずにギアチェンジしていきたい。

 

事実とは落語よりも奇怪なり

 

この秋スタートのテレビ番組はなかなかおもしろい。

その中で異彩を放つのが『超入門!落語 THE MOVIE』(NHK)である。
プロ落語家の口演に合わせ、俳優が当てぶりと口パクで物語の世界観を映像化するものだ。

その発端は、BSプレミアムで昨年10月に放送された『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』の落語特集のコーナーだという。落語家が口演した『茶の湯』を俳優が当てぶりで演じたところ、出演者たちが絶賛した。そして、今秋から25分番組としてレギュラー化になった。

寄席などで落語を収録し、その音源をロケ現場で実際に流しながら、映像を撮る。

番組プロデューサーいわく、「人形芝居の人形のようなもので、自分の間までは演じられない。ベテラン俳優ほど苦しんでいますね」と。

初回放送で花魁を演じた前田敦子さんなどは、口パクがピタリと嵌まり、まるで操り人形みたいで、観ていて笑い転げた。

 

1731

 

落語の登場人物といえば、善良でお人好しの庶民か。にくめないダメ人間もいれば、人の頼みを断りきれない者もいる。あとさきを考えず、すぐ行動するそそっかしい人間も。
打算が介入した悪知恵を働かせる者もいるが、だいたいがまぬけだったりする。

一年半前、落語かと思われる事件が起きた。
悪事を茶化す気持ちはないが、あまりにも落語的で忘れられない。

ことの発端は、無職男(65)が兵庫県尼崎市の交番に訪れたことだ。
その男は(パッケージ入りの包丁を見せて)「包丁を万引きした」と、交番勤務の男性警部補(48)へ告げた。

そこには、部下の男性巡査部長(34)と女性巡査(25)もいた。

男性警部補は(部下に)県警本部へ身元照会させ、男が指名手配されていないことなどを確認。そして、無職男を説得した。「なにごともなかったことにしよう」、と。

警部補は、自首の事件を扱ったことがなく、処理が面倒との気持ちだった。
納得できないのは、「万引きした」と説明したのに、無罪放免にされる無職男である。。

 

1732

 

結局、警部補に命じられたふたりの部下が男を車に乗せ、窃盗現場のホームセンター(尼崎市)に立ち寄り、巡査部長が「拾った」ことにして包丁を返した。
そしてご丁寧に、男の住まいがある大阪市内まで送り、男を降ろしたという。
諦めきれない男は、車の中で自分が万引きしたことを訴えていたそうだ。

その男は翌日、同市内から和歌山市までタクシーに無賃乗車して、和歌山県警に詐欺容疑で現行犯逮捕された。そこで、事のあらましが明らかになった。

調べで「自首したのに追い返された」との男の説明で、3人は容疑を認めたという。
その際、警部補は「面倒だった上、男の目的が留置場の食事のようだったので、事件として処理したくなかった」などと供述。部下2人は「上司には逆らえなかった」と話した。

兵庫県警幹部は「職務怠慢でしかない恥ずかしい事案だ。誰もやめようと声を上げなかったのも情けない」と話した。

窃盗事件の容疑者を逃がした疑いと警察車両で大阪市まで送り返したとして、県警は、警部補を停職6か月の懲戒処分とした。警部補とともに書類送検された部下2人は、巡査部長についても戒告の懲戒処分が下された。

にくみきれない登場人物ばかりではあるが、落語のように粋なオチにならぬのが「現実」のようである。

 

幸せホルモンは心の持ちよう

 

<亭主元気で留守がいい>。
このフレーズがテレビのCMで世間に広まったのが1986年(昭和61年)のことである。“格差社会”や“自分で自分をほめたい”などと並び、当時の流行語になっていた。

今よりはるかに景気のいい時代にマッチした、新鮮なフレーズだったと記憶しているが、この言葉はすでに、その24年前に使われていたようだ。

<「亭主は達者で留守がよい」という生活を心から楽しんでいるような、呑気そうな細君だった>。河盛好蔵さんの著書『夫婦十二カ月』にある文章だ。

昔からあった言い回しなのかもしれない。
しかし、河盛さんが書かれた頃は、主婦方に“亭主の留守”を楽しむ生活の余裕はなく、現代でも、共働きの世帯が増えてあまり馴染みのないフレーズともいえる。

世のありさまや風潮の隙間であった、あの(CMが流行った)時代ならではの流行語だろう。
はやり言葉は、その時代の空気が言葉と響き合い生まれる。
今思えば、とても幸せな「時の一コマ」であった。

 

1729

 

日本人にとって蕎麦は寿司と並び、“江戸の粋”という文化コードが根本にある食べ物らしい。

蕎麦については、「長居するのは野暮」や「汁をちょこっと付け、音を立ててすすり込むのが粋」といった作法もあるとか。

江戸の一般庶民は、「寿司や蕎麦などは短時間で食べられる」という当時のファストフードに通い、客同士による“粋の競争”から、独特のマナーが生まれたとのこと。

江戸の若者たちが、あのすする音は「俺の方が粋」、と競い合う姿を想像すると、楽しくなってくる。

しかし、「ズズッと音を出してすすってこそ粋で美味しい」マナーは、外国の食文化と大きな隔たりがあるとよくいわれる。

中国文化圏では、レンゲを使い、音をあまり立てないように食べる。
欧米もスープはもちろん、パスタなどの麺類をフォークで巻き取り、口に入れるので音は出ないのだ。

我が国の作法は日本以外で御法度とはいえ、日本で食べるには問題がない。粋に感じて「ズズッ」と音を立てて食べればいい。それだけで、幸せな気分を味わえることがある。

 

1730

 

日本で飼われる犬と猫の数は計2000万匹を超え、15歳未満の子供(1623万人)を上回る。

欧米の調査では、犬や猫などペットを飼う人の病院に通う回数が、飼っていない人に比べて約2割少ないそうだ。

ペットと触れ合うことで、脳から“オキシトシン”の分泌が増え、心を落ち着かせるそうだ。
それは「幸せホルモン」と呼ばれ、豪州で年3000億円、ドイツでは7500億円もの医療費を削減する経済効果があったとのこと。

幸せホルモンの分泌は、ペットに限らず恋人や親子が手をつないでも増えるという。
それでも、ペットに効用を期待してしまうのは、人と人の触れ合いが減少しているせいなのだろうか。

私の場合、ペットや人との触れ合いが少なくとも、数杯で幸せホルモンを感じられるふしぎな飲料があるが、本日も少々二日酔い気味なのが情けない。(ふむ)

 

テレビ離れなのに良い視聴率

 

1946年、ラジオ番組『のど自慢素人音楽会』としてスタートした『NHKのど自慢』。
すでに70年超えの長寿番組である。審査結果を鐘で知らせることが売り物だが、最初からそうではなかったらしい。

“のど自慢”の審査は、開催地のNHK・放送部長や、東京の芸能番組のプロデューサー・ディレクターが、会館の別室に審査室を設け、テレビ画面を通して審査するとのこと。

歌のうまさが大きな基準になる。また、朗らかに笑顔で歌っていると合格しやすいともいわれる。

出場者が歌っている最中に審査が行われる。その結果は鐘を鳴らす担当の方に伝わり、鐘を鳴らしてもらうというしくみだ。

番組開始当時にはディレクターが、歌をやめてほしい時に「結構です」と伝えていたという。
しかし、歌の途中で「結構です」と言われる出場者たちは、「良いです。上手です」などと勘違いしてしまうケースが多く、誤解を生まないために鐘を鳴らし始めたそうだ。

 

1727

 

この数年、テレビ視聴に関する話題も(良いのか悪いのかわからぬ)「結構です」調のお話が多すぎる。以前、私は「視聴率の曖昧さ」を記事にしたことがある。その後も、インターネット視聴番組の影響等、不透明な部分が増しているような気がしてならない。

“テレビ離れ”、“深刻な危機感”などの言葉を連ねて、スマホ向け番組無料配信を紹介するネット記事があった。

<若い世代のテレビ離れに歯止めがかからない中、テレビ各局がスマートフォン向けに番組を無料配信する新規事業に本腰を入れ始めている>のだと。

そして、テレビ朝日とインターネット企業が共同で始めた「Abema(アベマ)TV」の記述では、テレ朝報道局と連動したニュースやバラエティー、ドラマ、アニメなど二十数チャンネルをストリーミング形式で無料配信、とある。

今月2日に、スマホタブレット端末向けの番組視聴アプリが1000万ダウンロードを達成。1週間の視聴者数も約300万人まで増えているのだという。

話だけ訊いて(読んで)いると、若者すべてがテレビを観なくなるような勢いだ。

 

1728

 

かたや、同日の記事ではドラマ録画率はやはり高い、という内容のものがあった。
ビデオリサーチ社が行っている関東地区の視聴率調査の方法が、10月3日から変わったというのだ。

それまでは、リアルタイムの視聴率が600世帯。録画が対象のタイムシフトの視聴率は300世帯で測定してきた。その合計900世帯で二つの調査を実施し、重複分を抜いた「総合視聴率」を出す方式にしたとのこと。

録画率の高いといわれるドラマ。この秋の初回分の「総合視聴率」がいくつか紹介されていた。

『地味にスゴイ!校閲・・・』(日テレ) 通常12.9%、録画9.7%、総合21.1%。
『ドクターX・・・』(朝日) 通常20.4%、録画9.5%、総合28.3%。
『逃げるは恥だが・・・』(TBS) 通常10.2%、録画10.6%、総合19.5%。

ドラマでは、ほとんどの番組の総合視聴率が2ケタ台を記録し、録画して見る人の多いことが改めて裏付けられた。

「テレビ離れを強調し、スマホ向け番組無料配信を紹介する記事」と「総合視聴率2ケタ台のテレビドラマが堂々と並ぶ記事」で、どちらの情報が正しいのだろう。

“のど自慢”の“鐘の数”のように、白黒ハッキリつけてもらいたい気分である。

 

いつまでもあると思うな金と髪

 

<一生に一度のお買い物です。十二分にご吟味ください・・・>。

広告コピーだ。その商品は、車でも家でもなく白黒テレビだった。

1955年(昭和30年)、販売価格は12万5000円である。
サラリーマンの初任給が9000円の時代だ。まさに、“一生に一度”の覚悟で購入する品物だったようだ。

フラフープ。ダッコちゃん。氷で冷やす冷蔵庫。路面電車。駄菓子屋・・・。
懐かしい風景がいくつも脳裏に浮かぶ。

身元不明の他殺体が見つかったのは東京・国鉄蒲田駅の操車場。
殺害されたのは誰か。松本清張さんの名作『砂の器』のオープニングだ。

被害者はやがて、51歳の元巡査と判明した。そして、<すでに50を過ぎた老人>と書かれていた。

その歳でもう老人? と信じがたいつもりでも、鏡に映るわが身を見て納得しかけることも度々だ。昭和の時代の自分はこんなではなかった。あったのだ! 髪の毛が!!
もっと、フサフサと“ジャマになるほど”に、である。

 

1725

 

新聞の連載が始まったのは1960年(昭和35年)だった。今より平均寿命が15歳ほど短かった頃の小説なのだ。その頃、人は50代で晩年に差しかかるというのが、多くの日本人に共通する感覚だったそうだ。

家の雨漏りには幼い頃の思い出があるという。洗面器を置いて受けるのだが、ピチャピチャと騒々しい。雑巾を、洗面器の中に敷いて雨垂れの音を弱める。

野育ちの人には、その知恵を会得した昔の楽しからざる記憶だが、温室育ちの花には縁のない“生活の知恵”かもしれない。

<家のうち鍋などさげてゆきかへるゆふぐれにきく秋雨の音>。
歌人・三ヶ島葭子(よしこ)さんによる雨漏りの歌である。

葭子さんの異母弟にあたるのが俳優・左卜全さんだという。
平成の世に漂う“いやな感じ”を憂えるには、弟の歌った『老人と子供のポルカ』の方が適切なのか。

<♪ やめてケレ・・・やめてケ~レ ◯◯◯◯>。
今は国内よりも、大統領選挙後のアメリカ国民の心情と合致するのではないだろうか。

 

1726

 

女性にサインを求められた作家・幸田文さんは、署名にひと言、「御多幸を」と書き添えた。そう書いたつもりだったのが、「御多福を」と書き間違えていたそうだ。

大いに気がとがめたとエッセイ『福』にある。
よく気のつく幸田さんにしてそうなのだから、人生に誤字はつき物だろう。

国文学者・池田弥三郎さんは、見知らぬ学生から手紙をもらった。
<見識のない先生に、突然、手紙を差し上げます>との書き出しだった。
もちろん「見識」は、「面識」の間違いである。

<もし人生に第二版があるならば、私は校正をしたい>。
英国の詩人、ジョン・クレアさんは友人へ手紙に書いたという。
残念ながら、“人生とは初版がすべて”のようだ。

人生の部分を昭和に置き換えたらどうだろう。
お金と便利な品々を手に入れながら、繁栄の坂道を登り続けたつもりだったのに、あの時代は遥か高みに輝いて映る。いったいなぜだろう。

 

「見ぬもの清し」と「ごり押し」

 

母は、床に落ちた豆を素早く拾い、「見ぬもの清しだからね」と言った。
それが後に、“3秒ルール”という名で知ることになった処世の知恵だった・・・と。
エッセイスト・玉村豊男さんのコラムにあった。

落ちても見たことにしなければ、誰も清潔を疑わない。とても説得力のある言葉だ。

過剰な潔癖さの若者もいるらしい。昔ながらの清潔感に鍛えられた身にとって、無菌抗菌志向には、いささか違和感を覚えないでもない。

今の日本は、世界でいちばん清潔な社会かもしれない。そのため外国に行くのは嫌だという若者が増えている、とも記されていた。

 

1723

 

「見ぬもの清し」を「知らぬが仏」や「見ぬうちが花」などの意味合いで使う人もいるらしいが、玉村さんにとってその言葉は母親に教わった「3秒ルール」なのだという。

昔は、父親に代わり小言をいうのは、おじ(伯父・叔父)の役目だったらしい。
<叔父や叔母もいない社会というものは人類の歴史に類例がない>。

一人っ子政策」の中国を、世界中の心理学者や社会学者が貴重な研究対象にしようとしていたとか。ほぼ半世紀後の未来を描く、アーサー・クラークのSF小説『2061年宇宙の旅』の題材にも共通するという。

中国政府が1979年から続けてきた一人っ子政策を廃止ということで、どうやらそれも、作家の想定したようには、ならなくてすむようだ。

 

1724

 

昨年、政府と経済界と「官民対話」の議論を受けた安倍首相は、「世界に先駆けた第4次産業革命を実現します。スピード勝負です」と言った。

それは、石炭と蒸気機関の第1次、石油や電気の第2次、情報技術による第3次に続く大変化らしい。

人工知能ビッグデータを活用し、東京五輪ではドライバーのいらない無人自動走行のタクシーを“日常の足”として使えるようにしたい。

数年内には、小型無人飛行機ドローンを使った宅配も実現する、とか。
数年後の構想がイメージ図とともに描かれているらしい。

“女性が輝く”に続き、「1億総活躍」。耳に心地よくても抽象的な言葉を連ねるのがお得意のようだが、“絵に描いた餅”にならぬことを願う。

かつて、京都や石川に“鮴(ごり)押し”という漁法があったそうだ。
2人でむしろを持ち、川底の石をこするように小魚を浅瀬へと追い込む。

汗をかいたぶんだけ、帰りの魚籠は重くなったはず。
額に汗しない強引な未来図には、“無菌抗菌志向”と共通するなにかを感じてならない。

そこからは、“3秒ルール”の「見ぬもの清し」のような、具体的な潔さがまったく見いだせないからだ。