日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

鑑賞よりも感賞の確率に興味

 

作家の感性はおもしろい。

<あくびを するとき ネコのかおは花のようになります>。
まど・みちおさんの詩『ネコ』の一節である。

小さな口を開け、目鼻がグシャッとなるネコのあくびは、ダリアやバラに見えなくもない。

凛として美しいキキョウ(桔梗)のなかに、脳の病名の一文字がどうして含まれているのか。脳梗塞で入院した新聞記者さんがコラムに書いていた。

作家・色川武大さんは友人との雑談で、日ごろからの疑問を口にした。
「どうして“轢死”には楽しいって字が入っているのだ」と。

<選球眼より選球体>と言ったのはイチロー選手である。
「選球眼ならかんたん。でも、頭で判断すると打てなくなる」。

頭で“打てない”と考えても、体の反応でボール球も見事に打ち返したイチロー選手ならではの名言だ。

 

1679

 

イチロー選手は、<打率より安打数>とも常に言い続けている。
打率は減るから、(打席を)逃げたくなる気持ちが生じかねない。
安打数は増えるだけだから、楽しさを感じ打席に入りたくなるのだと。

イチロー選手の安打確率は、頭より体が最優先だったようだ。

“確率”という言葉は元々日本になかったという。
英語で“プロバビリティ”といい、「起こりそうなこと」の意味とか。
難しく訳すなら「蓋然性」、「確からしさ」などの語が該当。

明治期、どれもしっくりこないため「確かな率で“確率”はどうか」との提案が出たそうだ。
「起こりそうなこと」を数字として示しているだけで、計算で導き出した「確かな率」ではないという。

2013年からの1年間では、「50年に1度」の大雨警報が4回も出ていた。
「50年に1度の異常気象」といっても、「50年周期で降る雨」と思うのは大きな誤解らしい。

 

1680

 

常軌を逸した事件が後を絶たない。
動物学者・河合雅雄さんは「サル学の中から学ぶことがある」のだという。

群れの中で母親に育てられたサルは母親との接触がどういうものかを実感し、他のサルの母子関係も見ながら育つ。そのため、親になっても大丈夫であるが、母親から隔離飼育されると子育ての方法がわからないそうだ。

ニホンザルは子供の成長に応じて上手に子育てをする。
ニホンザルに限らず動物の子育ては、子供がひとりで生きていく力をつけさせるということに尽きるのだという。

人間は真剣に「サル学」から学び、家族や仲間たちを大切にできる感性を、もう一度しっかりと身に付ける必要があるのではないだろうか。

 

グローバル時代のアリジゴク

 

ふだん何気なく使う言葉には、歴史の重みの潜むものもあるという。
「感謝感激、雨あられ」は、日露戦争が題材で筑前琵琶の一節で「乱射乱撃・・・」のもじりだという。

「この際だから」は、関東大震災直後の流行語らしい。
東日本大震災後、明かりの減った街路を歩きながら、“この際”がまさに“今”だと受け止めたことを思い出す。

元の言い回しが忘れられ、もじったパロディーが生き延びる。
大正期に首都をがれきの山にした大地震から93年。今年も地震や台風による大災害が続いている。

 

1677

 

<日本に この生(き)まじめな 蟻の顔>と詠んだのは、俳人加藤楸邨(しゅうそん)さんである。アリからイメージするのは、律義な働き者。それが作者の日本人観であったのだろう。

呼び鈴が鳴り玄関のふちに、大きな段ボール箱が置かれる。
弾んだ声がひびく。きた、きた!と。電化製品、家具、すしの出前や車もあろう。
家にモノが増えるよろこびに満ちた昭和の家庭風景である。

あくせく働くサラリーマンにとって、家族の“きた、きた!”はなによりの褒美であった。
モノの値段はふしぎだ。金持ちはいいなあと思っていると、カラーテレビも、車も、パソコンも、いつの間にか天上からわが家に降りてきてくれた。

過去70年間を振り返ると、多くの人に浮かぶ歴史的な出来事は何だろう。
オリンピックのような祝祭、震災や台風といった災害、バブル経済政権交代もあるかもしれない。たいていは日本の光景か。

 

1678

 

歴史を考えるときの自分とは、ふつう日本人としての“自分”だ。
しかし今、そのふつうが必ずしも“ふつう”ではすまない時代なのだという。

グローバル時代になり、人やモノ、カネ、情報が国境を軽々と大量に超える。
社会の抱える問題も国境で区切られなくなっているようだ。

金融危機地球温暖化感染症……。日本だけの問題ではなく、被害にあうのは多くの国の経済弱者、人類全体だったりと。

解決に取り組む人々のネットワークも日本という枠だけにおさまりきれない。
歴史家・入江昭さんは“グローバル・ヒストリー”の重要性を訴えている。(『歴史家が見る現代世界』)

それは、国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、<自国中心の各国史から解放する>考え方だという。

現代、どの国も(世界の)ほかの国や人とつながり、混ざり合い“混血化”、“雑種化”しているとの指摘もある。

ところで、アリの大敵にアリジゴクがいる。砂地にすり鉢状の巣を掘って潜み、落ちてくるのを捕食する。巣は砂が崩れないぎりぎりの角度に作られていて、アリが脚を踏み入れると崩れるそうだ。

戦争、テロ、大災害、不況の連鎖・・・。あとを絶たないことばかりである。グローバル時代の良いところ、悪いところはもちろんあるはずだ。ただ、なにかが起きればアリジゴクの穴に脚をかんたんに踏み入れそうな気がしてならない。

 

 

今週のお題防災の日

 

知らないことの多すぎる気が

 

こうしてなにかを書こうとするたび、知らないことが増えてくる。

人類最大の天敵は?
マイクロソフト創業者ビル・ゲイツさんいわく「蚊」だと言う。

<蚊は破局的な病をもたらす。最悪はマラリアで、毎年60万人以上が(蚊の)犠牲になる>のだと。

その他の動物では、世界で毎年サメが10人、ライオンで100人、蛇で5万人が犠牲になる。最多の蚊は72万5000人と桁違いである。
叩けばつぶれてしまうほど小さ蚊こそが、大きな脅威なのである。

“不器用”という言葉が株を上げたのは、高倉健さんの渋いせりふによってだという。
本来、否定的な意味だったのが、その中にあった好意的なニュアンスが膨らんだ。
そして、いまや“器用”を超える褒め言葉になっているようだ。

同時に二つのことができない意味の揶揄ながら、飾らぬ正直者という含みもあった。
なんでもこなす人がを“器用貧乏”と称されることもあるため、“不器用”と言われれば素直に喜ぶべきか。

 

1675

 

1963年春、「ホテルニューオータニ」の建設工事が始まった
1年半後に東京五輪の開催が迫っていた。

当時、外国人の宿泊施設が圧倒的に不足で、ホテル建設は重要課題だった。五輪に間に合わせるため、様々な工夫が凝らされる。

そのひとつに、「ユニットバス」があった。
東洋陶器(TOTO)が施工業者から相談を受けて考案し、初めて導入された。
浴槽とトイレ、洗面台を一体とし、現地で組み立てる方式は工期の短縮につながった。

<将棋ソフトが1秒間に1800万手を読むと聞いて「ほほう」とうなり、新型ロケットの管制業務がパソコンわずか2台でなされると聞いて「ほほう」とうなる>。

3年前の新聞コラムにあった文面である。

そして、「ついにそういう時代が来るか!」と、驚いたニュースにふれる。
人が運転しなくても目的地にたどり着ける“自動運転カー”を、日産自動車が2020年までに発売するとの新報道だった。

今や、その“自動運転カー”も完成形に近づき、走行テストをしている段階である。

 

1676

 

私の住むところでは、(台風の影響か)秋の風を感じ始めている。

<秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる>は太宰治さんの『ア、秋』の一節だ。<秋ハ夏ノ焼ケ残リサ>ともある。
晩夏が胸に一抹の感傷を引くのは、太宰さんもいっしょか。

夕暮れ時の蝉時雨にツクツクボウシの声が際立つ。哀調を帯びた調べに、行く夏を思う。

<入道雲にのって/夏休みはいってしまった/「サヨナラ」のかわりに/素晴らしい夕立をふりまいて>(高田敏子さんの詩『忘れもの』)。

昨年も、一昨年も、この時期には<もう一度 もどってこないかな>との感傷がよぎった。こうして、毎年の季節が忙しく過ぎゆくが、夏の忘れものの如く、知らないことが置き去りになり、どんどん増えてゆく。

 

 

刻々と動く時計へテンポ良く

 

刻々と動く時計の秒針を見ながら、だれが1分を60秒にしたのだろうと考える。
それは、紀元前3~1世紀のバビロニア(現イラク南部)人だという説があるようだ。

60は2、3、4、5、6、10・・・と、多くの数の倍数になっているため、使い勝手がよかろう、というのが定説だとか。1分は10秒の6つ分と考えれば、あせる気持ちも鎮まる。

往年のプロ野球投手・土橋正幸さんはテンポよく投げ込む小気味よさから「江戸っ子投法」と称された。

実家が浅草の鮮魚店で、明るく朗らか、一本気の人情家。歯切れのいい口調も含めてその呼称になったようだ。東京出身のプロ野球選手の中で、江戸っ子の異名で一番親しまれたのは土橋さんだという。

 

1673

 

1962年、東映フライヤーズパ・リーグ初制覇した当時のエースは土橋さんであり、阪神相手に日本シリーズも制しMVPとなった。1958年、全盛期の西鉄ライオンズ相手に9連続を含む16奪三振は当時の新記録。

実家の鮮魚店を手伝いながら、浅草・フランス座軟式野球チームから東映にテスト生で入団。のちに、軟式出身の投手として活躍した大野豊さん(広島)もいるが、数少ない異色の経歴だった。

プロ野球を見慣れていると、高校野球が新鮮に映る。その魅力のひとつにテンポの良さが挙げられる。1敗すれば即敗退という厳しい条件の中、プロの試合より短い時間内で熱い戦いが繰り広げられる。

クライマックスシリーズ(CS)への疑問で、プロ野球離れしてだいぶたつが、高校野球のテンポで改めて野球の楽しさを教わった。

 

1674

 

プロ野球は両リーグとも6チーム中(上位)3チームに入れば、日本シリーズ挑戦へのチャンスが与えられる。「リーグ戦で優勝できなくても3位内に入ればいいのだ」との甘い精神構造が、試合のテンポを悪くしているような気もしてくる。

野球は試合時間が読みづらいスポーツである。展開次第では、延長戦もある。
アメリカでの草創期はもっとすごく、先に21点を取った方が勝つルールだったとか。それでは、時間の見当はほとんどつかない。

力に差があればすぐ終わり、拮抗していれば延々と続く。あまりにも不便なので、攻守を“9回”に決めたようだ。それでも、大リーグは今も延長戦で(原則)決着がつくまで続ける。本場のプロの意地なのであろうか。

超高齢社会の日本は、“多死社会”でもあるといわれる。
年間130万人近い人が亡くなり、2030年頃には160万人を超すとか。

多くの人が死を意識しながら、延びた寿命を生きていく。
“どう生き、どう逝くか”ということに向き合わざるを得ないのなら、限られた時間をダラダラではなく、テンポ良く生きられたらうれしい。

 

牧水さん酒話と今の天気予報

 

1885年8月24日、宮崎県に生まれた歌人若山牧水さんは、旅と酒をこよなく愛した。その酒量は並大抵のものでないという。

大正の末、九州へ51日間の長旅をした。その紀行文に記録されている。

朝の4合から始まり、<一日平均2升5合に見つもり、この旅の間に一人して約1石3斗を飲んで来た>。呑む量に石(約180.4リットル)の単位を用いる人はめったにいない。

肝臓を患った牧水さんは、九州旅行の3年後に43歳で亡くなった。
その呑みっぷりで、体内のアルコールが防腐剤となって遺体が傷まなかった、という伝説話まであるとか。

 

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牧水さんは、大好きなお酒の作品も数多いようだ。

<かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ>。
<秋かぜや 日本(やまと)の国の 稲の穂の 酒のあぢは ひ日にまさり来れ>。

牧水さんの足元にも及ばぬが、酒好きのわが身にも染みわたる歌である。
今の季節にちょうどよい。

8月もあと一週間。残暑は厳しくとも、確実に秋が待機している気配がある。
台風とのからみもあり、天気もめまぐるしく変わる。

<東京地方、きょうは天気が変わりやすく午後から夜にかけて時々雨が降る見込み>。

ラジオのアナウンスに拍手が起きたそうだ。1945年8月22日に天気予報が復活した瞬間である。

戦時中、軍事機密として天気予報の発表が禁じられたという。
灯火管制の解除による明るい夜とともに、天気予報の復活は(終戦で)平和の象徴になった。

<台風等の位置、示度、進行方向及び速度等は表さざるものとす>。
軍の管制下では暴風警報の内容さえ制限されたという。

 

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隔世の感とでもいうか、昨夏、本格運用が始まった「ひまわり8号」は、最先端の観測システムを搭載。500メートル四方の解像度で台風や雨雲をとらえる。カラー撮影は世界初だ。

私もスマホ、iPadで雨雲レーダーを大いに利用させていただいている。
刻々と変わる雲の動きが、手の中で随時に確認できて助けられる。

ひまわり8号は静止気象衛星である。これまでのひまわりに比べて観測バンド数が大幅に増えたため「静止地球環境観測衛星」とも呼ばれる。

2016年に打ち上げの ひまわり9号は、軌道上で待機し、2022年からひまわり8号と交代して2028年まで運用される予定だという。

システムの進化で、その用途も拡大していく。
日本及び東アジア・西太平洋域内の各国における天気予報や台風・集中豪雨、気候変動などの監視・予測、船舶や航空機の運航の安全確保、地球環境の監視を目的とするとのこと。

天気予報の進化はうれしく、個人の持つ端末でも瞬時に確認できるようになった。
欲を出したらきりがないのだろうが、(今も拡大している)自然災害を事前に退避できるような防衛システムが出てきてくれないものだろうか。

大災害の前で、人間はあまりにも無防備で、どんどん小さく見えてくる。

 

まだ熱い夜はウイスキーでも

 

甘酒は夏の季語だという。点滴同様の栄養分を含むからだそうだ。

<江戸時代の必須アミノ酸強化飲料が甘酒であり、総合ビタミンドリンク剤であった>との説がある。暑い日に熱い甘酒を飲むことで、夏バテ防止につながるというのだ。

ウイスキーの宣伝で知られた開高健さんと山口瞳さんには、酒の名言が多い。

「名酒の名酒ぶりを知りたければ、日頃は安酒を飲んでいなければならない」と開高さん。
山口さんいわく「最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい」のだと。
ともに“達人の域”が窺える。

 

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そんな異才2人と組んで仕事をしたのは、画家の柳原良平さんである。

昭和30年代に一世を風靡した“アンクルトリス”のキャラクターは、若き柳原さん作だという。ずんぐりしたはげ頭のおじさんは子どもでも知っていた。
私もテレビで観ていて楽しくなり、子どもごころにウイスキーで酔いたくなった口だ。

誕生した昭和33年にはプロ野球長嶋茂雄さんがデビューし、東京タワーが建った。
NHKのテレビ契約は100万件を超えて、高度成長のエンジンがうなりだした時期だ。

粋でとぼけた味の絵が宣伝コピーを引き立てた。
物質的な豊かさを追い始めた時代の気分をうまく映し出していた。

はげ頭ならぬ「丸坊主」や「丸裸」などと言うときの“丸”は、何かがさっぱりないことの意味に使われたりする。「丸腰」は、といえば事情が少し変わるようだ。

腰に刀などの武器が「さっぱりない」と解せないこともないが、武士が刀を外した腰が丸みを帯びて見えたから、という俗説もあるらしい。

高校球児たちの坊主は高野連の強制ではないそうだ。高野連の”日本学生野球憲章”のどこにも、坊主にしないといけないという文は書いてないという。

 

1670

 

旧制高校に野球が広がったのは明治半ばである。その時代には野球用語をめぐる珍話がいろいろある。その中に、審判が走者に塁を与えるときに叫ぶ「テイク・ワンベース」。

当時の見物人にはこれが、「たくあんベース」と聞こえたようだ。それが少年たちの草野球に広がり、少年たちは間違いも気にせず、貪欲に野球を楽しみ学んだ。

“たくあん”は、当時の人たちの野球熱を今に伝える挿話としてうなずける。テレビで甲子園の賑わいを観るたび、その熱がずっと継続されていることを感じる。

今年もあと1時間足らずで、甲子園の決勝戦が始まる。
作新学院(栃木)と北海(南北海道)の雌雄を決する時が迫っているのだ。

1962年以来2回目、栃木勢としても54年ぶりの全国制覇を狙う作新学院と、北海道勢が初参加した1920年にも出場し、全国最多37回出場で初優勝を目指す北海が熱く対戦する。

両チームの戦いぶりを観てきたが、たがいのエースの投球数は限界を超えている。
死力を尽くす投げ合いが予測される。

残念ながら、リアルタイムのテレビ観戦ができないため、録画予約をした。
帰宅の際、ウイスキーを買って帰るつもりだ。少し前、久しぶりのジョニーウォーカーを懐かしく味わった。本日も、夜中の熱い観戦にはウイスキーが欠かせない気分になっている。

 

京都・昭和・ひばりさん・健さん

 

テレビの2時間サスペンスで、京都が一番多く舞台になるという。
人気の観光地であり、古都の優雅なしっとり感と事件との落差が、視聴者を引きつけるからだ。

私だと、京都といえば東映のチャンバラ映画だ。
橋蔵さん、錦之助さんらのお顔も浮かぶが、美空ひばりさん主演のイメージが強い。ひばりさんが出演した映画は165本にもなる。

映画会社は東映以外に、松竹、新東宝東宝に出演しているが、やはり東映の時代劇スターという印象である。歌番組の特集では、映画『東京キッド』の1シーンがよく使われる。松竹作品で、1950年(昭和25年)に封切られた。

母を亡くした靴磨きの少女をひばりさんが演じ、<右のポッケにゃ夢がある/左のポッケにゃチュウインガム/空を見たけりゃビルの屋根/もぐりたくなりゃマンホール・・・>。
同名の主題歌はひばりさんの代表曲になった。

 

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阿久悠さんは著書『愛すべき名歌たち』に、天才少女歌手といった生やさしい存在ではなかった、と書いた。<敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、しかも人を救う使命を帯びていた>のだと。

終戦から71年。左のポッケは豊富な品々で膨らんでいるが、右のポッケにある夢は?

江戸の面影は関東大震災とともに消え、戦前の面影は東京オリンピックを境に消えたといわれる。一つひとつの食べ物に感謝するこころ、父母に対する折り目正しさも、今は遠い戦前の残り香かもしれない。

東映といえば、この方も忘れられない。
高倉健さんである。

“主演・高倉健”と銘打たれた小説がある。芥川賞作家・丸山健二さんの『鉛のバラ』だ。

2003年、丸山さんは「自分の小説の主人公になってもらえないか。そのために写真を撮りたい」と依頼した。健さんは二つ返事で了解し、一人自ら車を運転し、長野県・安曇野にある丸山さんの家に乗り付けた。

 

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二人の出会いは、映画少年だった丸山さんが1983年の高倉健写真集に『それが高倉健という男ではないのか』と題した文を寄せたことだった。

<映画を愛していたからではなく、役者稼業に惚れこんでいたせいでもなく、ただそれが仕事であり、それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない>。

好きで俳優になったのではなく、貿易関係の仕事を目指し、明大・商学部を選んだが、就職難で芸能プロのマネジャー見習いの面接に行ったところ、東映の専務から「俳優にならないか」と言われ、食うためにニューフェイスになった。

<いやいや仕事をしているのではない。好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にする。やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する。それが高倉健ではないのか>。

健さんは、才能のあるなしや、好き嫌いではなく、仕事という習慣を通し、己を鍛え上げた人。一介の役者は“高倉健という仕事”に徹することで、記録と記憶に残る俳優になった。

 

食欲は食べ盛りの昔への郷愁

 

近年は法事が多く、“おい・めいの子どもたち”との初対面が増えている。
おい、めいの子どもは何と呼ぶのか。検索すると、“またおい・まためい”もしくは、“姪孫(てっそん)”というらしい。その子たちからみると、私は“大おじ”になるのか。

核家族の始まりは半世紀以上前。それまで祖父母が共に暮らし、近所には大おじや大おばも住む。そういう時代であった。

出生率の低水準で一人っ子が増え、“姪孫”どころか“おい・めい”の存続さえ危うい。いとこって何? 何十年か先の子どもたちの会話に出てきそうだ。

知人との酒場談義で、幼い頃の食卓の話が出る。盛り上がる料理といえば、やはりカレーだろう。それぞれの家庭の味は、専門店もかなわない。とくに“夕べのカレーの残り”を翌朝に食べるおいしさのくだりで意気投合する。

食欲とは食べ盛りの昔への郷愁だという。そして「おかわり!」の記憶が、のちのちまで食欲を刺激する。

 

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少子化といえども、今の若者たちはすばらしい。オリンピックで世界を舞台に大活躍し、炎天下の甲子園ですばらしいプレーを連発している。

101年前の8月、今の高校野球の第1回大会が開幕する日、大阪朝日新聞は『初めて野球を見る人の為にベースボール早分り』という特集を組んだという。
以前、朝日新聞のコラムにあった。

まず、「野球とは18人の人々が9人ずつ敵と味方に分かれ、球(ボール)や打棒(バット)などという道具を使って互いに攻め合う遊戯である」と、始まる。

守備位置の呼び名などを図入りでこまごま説明するが、とても書き尽くせず、次のように締めくくる。

「むずかしい規則が山ほどあるが、やはり百聞は一見に如かず。我が社の大会を観覧せられんことを希望する」。そして、「野球とは思ったより面白いものだという感じを持たれるに違いない」と。

1世紀を経て、甲子園の夏は今たけなわである。

 

1666

 

高校野球第8日(14日)2回戦の東邦(愛知)対八戸学院光星(青森)はものすごい試合であった。おそらく生涯忘れられないほどの大逆転劇である。

7回の八戸学院光星の攻撃が終わった時点での点差は7。東邦は終盤に猛攻、4点差まで追い上げた9回裏、一死後に1点を返したものの、あっけなく二死である。しかし、右前打と左前適時打で2点差。左中間を破る2点二塁打で同点。最後は、左前へとサヨナラ劇の完成であった。

詩人、哲学者の串田孫一さんは、消しゴムを「救主(すくいぬし)」と呼んだ。
軽率や無知から生まれた書き損じを消してくれるのだから、と。
世の中には消しゴムのような職業がある。人は、ささくれた感情の“書き損じ”を歌手の歌声に忘れ、またアイドルの笑顔に紛らし、つかのま消し去りながら日々を生きている。

若者の熱気のさなか、SMAPが解散を発表。熱心なファンはとても多く、彼らも長年にわたり(ファンへ)消しゴムの役割を担っていたのだろう。メンバーもすでに、大人の世代だが、解散を主張したメンバーはあまりにも幼くみえる。もっときちんと、さわやかに、ファンへのお別れメッセージを伝えられなかったのか。

オリンピックや高校野球の選手たちは、職業として活躍しているわけではないが、観客や視聴者を感動させ、ふだんの“書き損じ”もさわやかに消し去ってくれる。

 

とりとめのない話を寄せ集め

 

<ひどい妻 寝ている俺にファブリーズ>。

おもしろい話の断片につい反応してしまう。
おなじみのサラリーマン川柳にあった。

汗をかく季節の真っ最中である。
季節を問わず、“メタボ臭”、“加齢臭”なる言葉もある。

どうやら、においの原因は脂肪らしい。
肌の皮脂腺に脂質が増えすぎると腺が詰まって酸化。
いやなにおいを発する成分がつくられるのだという。

<新鮮なアユはスイカのような爽やかな香りがしますが、お父さんの加齢臭と同じ成分なんですよ>とは、さかなクンの談。

『地球がもし100cmの球だったら』(永井 智哉さん著)によると、海の平均水深は0.3ミリで、海水は全部でビール瓶1本ほどの量しかないそうだ。

世界の海へ年間に数百万トンも流れ込むプラスチックごみ。
波や紫外線で細かく砕け、<海がプラスチックのスープになっている>という。
ビール瓶1本への換算で、その汚染がリアルに思えてしまう。

 

1663

 

「逢魔が時」はいつ頃の時間帯かと検索。“薄暗いたそがれ時”だという。
妖怪や魔物が姿を現し、災いを起こす時刻でもあるようだ。

<妖怪とは、人間が人間との関係のなかから立ち現われてくる幻想であり、自分たちの否定的分身>だとの説がある。闇が想像力をかき立て、河童、天狗などの伝説が語り継がれた。

夜が照明で明るくなった現代も、人間関係が心に指す“陰”はある。
妖怪ならぬ、身近に棲息する生物も、人間に思いもよらぬパワーを秘める。

アリは、小さい生きものながら力持ちだ。自重の50倍ほどモノを運ぶ力持ちだという。60キロの人間なら3トンにも及ぶ。重量挙げの世界記録は300キロに満たないらしいから、その怪力ぶりがものすごい。

 

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リオのオリンピック。メダルラッシュの快進撃で、日本中が熱く盛り上がっている。
今から80年前(1936年)の今日、ベルリン五輪の水泳女子2百メートル平泳ぎで、
前畑秀子選手が、日本人女性として初めての金メダルにかがやいた。

その際、ラジオから流れたアナウンサーの名放送は、今も語り継がれる。
河西三省さんによる<前畑がんばれ!!>である。

その数は、“がんばれ”が36回。“前畑勝った、勝った”は15回に及んだ。

NHKの先輩アナウンサーから「勝った、勝った、そればかりでタイムを伝えることさえ忘れた」と苦言を呈されたこともあった。

実況中の河西さんは、興奮のあまり机の上に立ち、ストップウオッチを踏みつぶしていたため、伝えることができなかった。

1929年の早慶戦を実況した松内則三さんの名放送も有名だ。

神宮球場 どんよりした空/白雲、低く垂れた空夕闇迫る神宮球場 カラスが二羽、三羽、四羽戦雲 いよいよ急を告げております>。

80年前のベルリン五輪は日没前の美しい夕映えであったのか。
戦雲は急を告げ、日中戦争がはじまる。4年後に予定の東京五輪は幻で終わった。
そして、血なまぐさい闇が時代を覆っていくことになる。

 

置き菓子と自販機コンビニ

 

置き菓子」のオフィスグリコという会社の業績がいいと訊いた。

場所だけ貸り、お金の回収や商品の補充はすべてグリコが担う。お金の回収の不備や責任も、オフィス側には負わせない。

設置費は無料で、“リフレッシュボックス”という箱をオフィスに配置する。
1箱に10種類、計24個のお菓子が入っていて、菓子1個は税込み100円。ひとつ取ったら、箱にある貯金箱に100円を入れるだけ。

私が幼いころから慣れ親しんだ“富山の置き薬”とまったく同じシステムだ。
日本独自形態の配置販売業は、医薬品の販売業の業態のひとつである。

ボックスの引き出しは3段で、最初の補充時に1段ずつ売れ残った菓子もすべて回収し、これまでと違う新しい種類の商品を入れる。ほかの引き出しは菓子の補充をするだけだ。3週間で全く新しい商品に切り替わる。

グリコの専用スタッフが週1回、お金を回収して菓子を補充する。これがオフィスグリコの仕組みだ。補充の頻度や種類も、オフィスごとに変えているという。

 

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扱う菓子は他社メーカーの商品も加わり、年約150種類。お茶やアイスを入れられる冷凍冷蔵庫タイプもある。

60代までを対象にした独自調査で、菓子を食べる場所の1位は家庭(約70%)、次いでオフィス(約20%)だったという。オフィスには一定の菓子の需要があるようだ。

駅弁スタイルで売り始めてみたところ、よく売れた。ただし、販売できるのはお昼休憩の1時間と就業後のみと限られた。ニーズがあるとわかっても、時間制限では事業にならないと断念した。

配達や納品を理由に、時間を気にせずにオフィスに出入りできる配達業者にヒントを得て生まれたのが置き菓子スタイルだった。

“菓子を取ったらお金を入れてくれる”と顧客側を信頼し、貯金箱に鍵もかけていない。
お金の回収率は約96%。売上高約50億円で単純に比較すると、年2億円も回収できていない計算になる。未回収分は基本的にグリコが穴埋めをしている。

人目につく場所に置き直すことを提案したり、お金が必要だと明記した説明書きを置くようにしたり、と工夫を重ねる。実際にお金を理由とした撤去の事例は、これまで数件にとどまるという。

 

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自動販売機での商品売上額が世界1位の日本。かつて、飲料市場のシェアで約5割を占めていたが、コンビニなどに押され、近年は3割程度での推移だ。

その売上げも持ち直しているとか。
飲料各社では清涼飲料の新サービスを相次いで導入している。

日本コカ・コーラは、グループの自販機にスマートフォンをかざすと、購入本数が記録される専用アプリの提供を始め、15本買うと1本が無料でもらえる。他社も追随して、専用アプリを使うポイントサービスを始めた。

コンビニのファミリーマートも「自販ファミマ」オフィスを展開していて、18年春までに自動販売機での売上倍増をめざしているとか。

“無人コンビニ”として、おむすびやサンドイッチ、弁当など食品やストッキングなどの日用品まで自販機1台で最大60品まで販売し、価格は基本的に店頭と同じ。パスタやサラダ、シュークリームも扱う。商品は1日1回、昼食前に補充する。

主にオフィスや病院などの従業員用スペースや、高速道路のサービスエリアなど関東を中心に1086拠点、1520台設置している。近くにコンビニはあっても、外出するのが面倒な高層ビルでの需要が増えている。無人販売「オフィスファミマ」は、食べた分だけ料金を箱に入れてもらう仕組みだという。

モノが溢れるこの時代、同じ商品の販売も販売形態の差別化で、売れ方がまったくちがってくるのかもしれない。